第7話「天下の大悪人、兄と語り合う」

 俺が『獣身導引じゅうしんどういん』をはじめてから、1ヶ月が経った。

 家族にないしょで修行をする計画は、初日で頓挫とんざした。

 星怜に見つかっただけじゃない。白葉も母上も、俺が『獣身導引』をしているのを知っていた。

 そのせいで、父上や兄上にも知られてしまったんだ。


「まぁ、なんでも試すのは良いことだ」


 父上は豪快ごうかいに笑って、許してくれた。


「問題がなければ、続けるがよい」

「ですが父上。『飛熊将軍ひゆうしょうぐん』の子どもが、出所のわからない武術書に手を出すのは……」


 反対したのは兄上だった。

 だけど、父上は苦笑いして、


天芳てんほうは、普通の導引法どういんほうでは内力ないりょくを身に着けることができなかったのだ。わらにもすがる思いで書物を買い求めたのだろう。その気持ちをわかってやりなさい」

「お話はわかりますが……」

「その結果、天芳に内力が身につけば言うことはないであろう? それに見よ。ふたりの様子を」


 父上はひげをなでながら、俺の方を見た。

 正確には俺と、隣にくっついている星怜せいれいを。


「天芳兄さん。ごはん。おいしいですね」

「うん」

「天芳兄さんは、どんなお料理がお好きですか?」

「うちの厨房係ちゅうぼうかかりが作るものは、どれもおいしいよ?」

「は、はい。でも……そういうことではなくて……」


 星怜せいれいは『獣身導引じゅうしんどういん』をはじめてから、部屋に閉じこもるのをやめた。

 部屋の外に出て、母さまの手伝いをするようになった。

 黄家のみんなとも積極的に話しかけるようになったし、よく笑うようになった。表情豊かな、年相応の女の子になったんだ。


 この星怜が『剣主大乱ヒストリー=オブ史伝=ソードマスター』に登場する悪女になるなんて考えられない。

 たぶん……違うルートに入ったんだと思う。そう思いたい。


 それはいいんだけど──


「仲むつまじい姿ではないか。実の兄妹のようだぞ」

「……そうですね。父上」


 豪快ごうかいに笑う父さまと、静かにこっちを見つめる兄上。


 なんだか、恥ずかしい。

獣身導引じゅうしんどういん』をやってから、星怜は俺にべったりになってしまったから。


 朝と晩の『獣身導引』を一緒にやって。

 ふたりで白葉に内力のチェックをしてもらって。

 一緒に本を読んで。

 俺が書の練習をするのにも、星怜が付き合うようになった。


 ……まぁいいか。

 とにかく星怜とは仲良くなれた。それだけで十分だ。


 それに、『獣身導引』のおかげで内力を手に入れることもできた。

 白葉と『内力比べ』をすると、少しずつ自分の『気』が強くなってるのがわかる。こんなにすぐに効果が出るとは思ってなかった。

 さすが弱者専用の武術書だ。


 あとは、究極の逃走スキル『四神歩法』を覚えるだけだ。

 そうすれば乱世らんせいになっても生き延びられるはずで……。


「天芳兄さん。どうされましたか?」


 気がつくと、星怜が心配そうな顔で、俺を見ていた。


「難しいお顔をされていますよ?」

「なんでもないです」

「困ったことがあったら、星怜に言ってください。星怜は、天芳さまの力になりたいです」

「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ」


「…………ふん」


 かすかに、兄上が鼻を鳴らす音がした。

 見ると、テーブルの向こうで、兄上が俺をにらんでいた。


「どうかしましたか。兄上」

「なんでもない」


 そう言って食事を終えた兄上は、食堂を出ていってしまったのだった。







「天芳。最近のお前は、少しおかしいんじゃないか?」


 その夜、俺は廊下で、海亮かいりょう兄上に呼び止められた。


「怪しい書物をもとに修行を始めるなんて……以前のお前は、そんなことはしなかっただろう?」

「そうでしたね」


 前世の記憶を取り戻すまでの俺は、武術に興味を持たなかった。

 自分は小役人にしかなれないと思って、そのための勉強しかしてこなかった。


 そんな俺がいきなり変な修行を始めたんだ。

 兄上が不審に思うのも、無理ないよな。


「ぼくが変わったのは、星怜が来たからです」


 俺は拱手きょうしゅして、答えた。


「ぼくは自分に危機感がまったくなかったことに気づきました。だから、星怜のためにも、しっかりしなきゃいけないと思ったんです」

「星怜の見本になるようにか?」

「だいたいそんな感じです」

「だが、おかしいだろう?」

「なにがですか?」

「どうして市場で、導引法どういんほうの書物なんか買ってくるのだ? しかも、お前が何年もかけて貯めた金を使って。どうしてそこまでしなければいけなかったんだ?」

「それは……」


 俺は、記憶を取り戻す前の自分のことを思い出す。

 将軍の家に生まれながら、内力を持たなかった自分。


 当時の黄天芳こうてんほうが、なにを考えていたかというと──


「これまでのぼくは、自分のことをあきらめていたのかもしれません」

「……なんだと?」

「内力を持たないぼくを、兄上も父上も責めませんでした。けれど、家の外の人たちはそうじゃなかった。『黄家の長男は駿馬しゅんめ。次男は駄馬だば』と言われたこともあります。それでぼくは自分のことを、半分、あきらめていたんです」


 でも、これからは乱世になる。

 北方の異民族には強力なリーダーが生まれ、南方の新興国も大きく発展する。

 ゲームの歴史通りなら、国は大きく乱れるはずだ。

 だから──


「だけどぼくは、運命に抗うことを決めたんです。そのために全力を尽くすと」

「気持ちはわかるが……市場で売っている書物など、怪しいものばかりだ。偽物をつかまされたらどうするつもりだったのだ?」

「本物にめぐりあえるまで、買い続けるつもりでした。どんなに時間がかかっても。できるだけのことをして、お金を貯めて」

「……お前は、そこまで追い詰められていたのか?」

「ぼくにとっては、生きるか死ぬかの問題です」

「いや、それほどではないだろう?」

黄家こうけの未来がかかっているんです!」

「そこまで気負うこともないだろう!?」

「ぼくは運命にあらがうことと、星怜を守ることを心に誓いました。そのためには、どんな手段でも使います。貯金を使い果たすくらい、なんでもありません」

「そ、そうか……」


 兄上はため息をついた。


「すまない。私は……誤解していたようだ」

「誤解?」

「私は、お前が家督かとくを狙っているのではないかと思ったんだ」


 そう言って、うつむく兄上。


「お前が必死に内力を身につけようとしているのは、『飛熊将軍ひゆうしょうぐん』の後継者になりたいからではないかと考えてしまったんだよ。笑ってくれ。自分が、こんなに小さい人間だとは思わなかった」

「……兄上」

「お前が内力を使えるようになったと聞いたとたん、不安になったのだ。黄家の跡継ぎは天芳てんほうの方がふさわしいと、皆が思うのではないかと」

「そんなことにはならないと思います」

「お前は自分を知らないだけだ」

「自分を?」

「お前は昔から、他人のことをよく見ていた。私はそれは他人の顔色をうかがっているのだと思っていたのだが……違うのだな。お前は星怜をよく見て、彼女がなにを望むのかを考えて、その心を開いてしまった。私には、できなかったことだ」


 兄上はため息をついた。


「知っているか? 私は星怜と話をするのが怖かったのだよ」

「怖かった……ですか?」

「星怜は、父さまの親友の娘だ。うかつなことをして彼女を傷つけたら、父さまの不興ふきょうを買うことになる。私はそれが怖かった。だから、星怜に近づかないようにしていたのだ」

「そうだったんですか……」

「なのに、お前は星怜の心を開いてしまった。それで私はお前に嫉妬しっとしたのだ。まったく、情けないことだな。私のような者は、黄家にいない方がいいのかもしれぬ」

「そんなことはありません!」


 ふざけんな。

 なにを言ってるんだ。兄上は。


「いない方がいいなんて、そんなことは言わないでください! 兄上は、ぼくや星怜にとって絶対に必要な人なんです!!」

「て、天芳?」

「兄上こそが、ぼくや星怜を助けてくれる人なんです。ずっとぼくたちの側にいてください。兄上!!」


 もしも『剣主大乱史伝』の世界に黄海亮兄上がいたら、黄天芳と柳星怜の運命は変わっていたはずだ。


 兄上は『飛熊将軍』の後継者だ。

 ゲームの中でも強い武力を持つキャラになっていたに違いない。


 兄上はプライドが高い。正義感も強い。

 そんな兄上なら、黄天芳の暴走を止められる。黄天芳が天下の大悪人になる前に、力ずくでも改心させてくれただろう。


 悪女となった柳星怜だって、兄上なら止められた。

 彼女に忠告したり、仲間を集めて藍河国王に圧力をかけることもできたんだ。


 ゲームの黄天芳と柳星怜は、国を滅ぼすほどの人間だった。

 国を愛する兄上が、ふたりを放っておくはずがない。

 ふたりが国を傾ける前に止めてくれたはず。


 そうなれば、ふたりの破滅エンドは回避できた。

 幽閉ゆうへい追放ついほうにはなったかもしれないけれど、処刑されることは防げたんだ。


 つまり兄上──黄海亮は、藍河国の重要人物なんだ。

 もちろん、兄上に転生のことは話せない。信じてもらえないだろうし……俺がおかしくなったと思われる可能性もある。

 逆にそのことが『黄天芳破滅エンド』へのルートに繋がることだって考えられる。


「兄上はご自分に、歴史を変える力があることを自覚すべきです!!」


 だから、俺が兄上に言えるのはこれだけだ。


「兄上……いえ、黄海亮こうかいりょう藍河国あいかこくの未来を左右するほどの重要人物なんです! 兄上になにかあったら黄家や藍河国は破滅の未来に向かうことになるんですよ!? どうしてそれがわからないんですか!!」

「わ、私が!? 未来を左右するほどの人物!?」

「そうです!!」


 俺は兄上の手を握った。

 父さまほどじゃないけど、ごつい手だった。武人の手だ。


「兄上の力で、ぼくたちと黄家を守ってください。藍河国を支えてください。いないほうがいいなんて、そんなことを言わないでください!!」

「……天芳。お前は、そこまで私のことを」

「いなくならないでください。決して、死なないでください!」


黄天芳破滅こうてんほうエンド』は、まだ完全に回避できたわけじゃない。

 星怜を後宮に入れることはなくなったかもしれないけれど、次の藍河国王が似たような女性を寵愛ちょうあいすることはあるだろう。

 ぶっちゃけあの人は、星怜みたいな女性が好みなわけだし。


 そうなったら、国は荒れる。

 兄上には、そんな国を支えてもらわなきゃいけない。


 それに、黄家の未来のこともある。

 ゲームには黄英深こうえいしん黄海亮こうかいりょう玉四ぎょくしというキャラは存在しない。父さまは10年後に引退しているのかもしれない。母さまは武人じゃないから、登場しないのも仕方がない。


 でも、兄上が登場しないのは不自然だ。

 万が一、兄上がゲームに登場できなくなるような危機がこの先訪れるなら、絶対に回避しなきゃいけない。

『藍河国崩壊エンド』や『黄天芳破滅エンド』を避けるために。


「どうか、ぼくたちに力を貸してください。黄家が幸せな未来をつかむために」

「天芳……お前は、黄家の未来のことまで……」

「危機はどこから来るかわかりません」

「あ、ああ。そうだな」

「ぼくは、兄上がいない未来なんてまっぴらです」

「……そ、そうか」

「ぼくが間違えたら、いさめてください。星怜がおかしなことをしたら、注意してください。それができるのは兄上だけなんです」

「…………あぁ」

「わかってくれましたか?」

「ああ……わかった。わかったとも」


 兄上は俺の肩に手を乗せて、うなずいた。


「お前の考えはわかった。天芳。私から言うことは、もうなにもない」

「ありがとうございます。兄上」

「私も……お前に恥ずかしくないように生きなければな……」

「兄上?」

「いや、なんでもない。時間を取らせて悪かった」


 そう言って、兄上は部屋に戻って行ったのだった。




────────────────────



 次回、第8話は、明日のお昼くらいに更新する予定です。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る