第2話「天下の大悪人、妹を気づかう」

 その日の夜。

 夕食の席では、父上は皆に星怜せいれいを紹介した。


 夕食の席についているのは、俺と星怜。

 父上──黄家こうけの長である、黄英深こうえいしん

 母上──玉四ぎょくし

 兄上──黄海亮こうかいりょう


 その他には給仕を担当している、使用人の白葉はくようがいる。

 白葉は16歳。

 彼女は子どものころから黄家に仕えていて、様々な仕事をしてくれてる。

 ちなみに俺の護衛で、幼なじみでもある。


「今日から柳家りゅうけの娘、星怜せいれいがうちの家族となった!」


 酒杯を手に、父さまは言った。


「知っての通り、柳家は昔から黄家のためにくしてくれた。特に星怜せいれいの父は、副官としてわしを助けてくれていた。彼を失ったのは痛恨つうこんのことだ。それでわしは、柳家の忘れ形見である星怜を引き取ることにした。柳家を残すために姓はそのままだが、星怜を家族としてあつかうことを望む!」

しんさま」


 母上が唇に指を当てて、父上を見た。


「あまり大声を出すものではありません。星怜ちゃんは黄家に来たばかりです。びっくりしてしまいますよ」

「……む。う、うむ。玉四が言うならそうなのだろう……」


 父上が、しょぼんとした顔になる。

 見た目は豪傑ごうけつで、戦場では将軍として兵を指揮する父上だけど、母上には弱い。


 母上は元平民だ。父上が熱心にくどいて、結婚したって聞いてる。

 父上は母上に惚れ込んでるから、逆らえないんだ。


「おどろかせたのならあやまる。すまなかったな。星怜せいれい

「…………いぇ」


 ささやくような声で、星怜が答える。


「…………だぃ……じょうぶ……です」

「はっきり答えなさい。家長である父上が話しかけているのだぞ」


 兄上が星怜を見た。

 でも、父上は兄上をとがめるように、


「よいのだ。海亮かいりょう

「よくありません。いくら父さまの親友の娘とはいえ、うちの人間になるからには──」

「わしが良いと言っているのだ」

「…………はい」


 父上に言われて、兄上が引き下がる。

 皆が落ち着いたのを見て、従者の白葉はくようがお茶を淹れ直す。


 広間には、黄家の全員が集まっている。

 この中に将来、星怜を後宮に入れる者がいるんだろうか……?


 いや、今考えても仕方がないか。

 まずは星怜せいれいが家になじめるようにしないと。


「父上。乾杯かんぱいをしませんか?」


 話が途切れるのを待って、俺は言った。


「家族が増えるんですから、お祝いということで」

「う、うむ。そうだな」

「よく言ってくれました。天芳」

「父上がそうおっしゃるなら」

「…………はぃ」


 父さまは酒杯しゅはいを、俺と兄上と母上は茶の入った器を掲げる。

 星怜も、お茶の器を両手で持ち上げている。


「新たな家族が来たことを祝い、黄家のますますの繁栄を願って。乾杯!」

「「「乾杯」」」

「……かん……ぱぃ」


 乾杯が終わると、従者の白葉が料理を運んでくる。

 この世界の料理は、意外とおいしい。

 前世の記憶で言うと、素朴そぼくな中華料理といった感じだ。


 今日のメニューは胡餅パンと、羊の肉が入ったスープ。ニラと卵の炒め物だ。

 いつもより豪華なのは、星怜を歓迎するためだろう。


 父上は家族が増えたのがうれしいのか、ひげを揺らして笑っている。

 母上は席について、隣にいる星怜を気にかけてる。

 兄上は難しい顔だ。いや……兄上はいつもこんな感じだったっけ。


 兄上は、俺の前世風に言うとイケメンだ。でも、本人は父上のような武将顔じゃないことを気にしてる。身体つきも、父上に比べて細い。


 そのせいか、兄上は自分に厳しい。

 今もきちんと背筋を伸ばして、儀礼マナーに則って食事をしてる。

 とっつきにくいけれど、俺──天芳にとっては尊敬できる兄上だ。


「…………ん?」


 ふと見ると、星怜がスープに口をつけて、すぐに離すのが見えた。

 自分でも飲んでみると……むちゃくちゃ熱い。

 父上も兄上も熱いのが好きだから、気がつかないのか。


 星怜は猫舌なんだろうか。すごく飲みにくそうだ。

 さじに口をつけて、離してを繰り返してる。


 よし。星怜と親しくなるチャンスだ。

 さりげなく対処法を教えよう。


 俺は胡餅パンをちぎって、スープに漬けた。

 器のふちを一周させて、パンにスープを染みこませる。

 こうすればパンも食べやすくなるし、スープも冷める。猫舌でも問題ないはずだ。


「…………あ」


 ……星怜せいれいがこっちを見た。

 胡餅パンをちぎって、俺の真似をしようとしてる。


 よかった。

 これで星怜も、落ち着いて食事ができるはず──


「──天芳てんほう! 子どものような真似はやめないか!!」


 不意に、兄上が叫んだ。


胡餅パンスープの器でこねまわすなど、子どものすることだ!! 黄家は貴家とも付き合いがあるのだぞ。高貴な方たちとの食事の席でもこのような真似をするのか。お前は!!」

「兄上? これは……」

「言い訳をするな! 新しい家族の前で、恥ずかしいとは思わないのか!?」

「──失礼しました」


 俺は兄さまに謝罪する。


「ですが、ぼくよりも年下の子がするのは、構いませんね?」

「減らず口をたたくな! だいたいお前は──」

海亮かいりょう。食事の席です。大声を出すものではありません」


 兄上を止めたのは、母上だった。


 母上は星怜せいれいの肩を抱いていた。

 星怜は硬直して、目を見開いてる。

 胡餅パンを手で握ったまま、おびえたような顔だ。


「ここは家族の食卓です。儀礼にこだわらなくてもいいじゃありませんか。ねぇ。しんさま」


 母上は父上に笑いかける。

 父上はうなずいて、


「うむ。玉四ぎょくしの言うとおりだ。戦場いくさばでは、スープに干し飯をぶちこんでむものだからな。胡餅パンの食べ方など、どうでもよいではないか」

「父上と母上が甘やかすから、天芳はこんななのです」


 兄上は荒い息をつきながら、


内力ないりょくがない。気品もない。そんな家族をもった僕の恥ずかしさが……」

「そこまでになさい。海亮」

「母上!」

「星怜を歓迎するための席ですよ。主賓しゅひんをおびえさせてどうするのですか」


 言われてはじめて、兄さまが星怜を見た。

 母さまの隣で、星怜は震えだしている。

 もう、食事をするどころじゃなさそうだった。


「私は星怜を休ませます。皆は食事を続けてください」


 そう言って母上は、星怜を自室へと連れていった。

 後には俺と父上と兄上と、きまずい空気が残された。


「……お前のせいだぞ。天芳」


 兄上が俺をにらんでるけど、それどころじゃなかった。


 失敗した。初日から。俺が星怜をおびえさせた。

 まずい。これは……かなりまずい。


 これで星怜が、黄家で萎縮いしゅくするようになったら? 黄家にいるのが嫌だと思いはじめたら?

 それで未来の藍河国王──今の王太子に求められたら、後宮に入ってしまうんじゃないか?

 そうなれば、黄天芳は破滅へと大きな一歩を踏み出すことになる。


 俺は、余計なことをするべきじゃなかったんだろうか……?


 それから俺たちは、無言で夕食を済ませた。

 味なんか、わからなかった。

 処刑エンドが近づいてくる恐怖に、おびえていたからだ。


 そんな俺が食事を終えて、部屋に戻ろうとすると──


「天芳。こちらにいらっしゃい」


 母上が、俺を呼び止めた。


「あなたに、星怜のことを話しておきましょう」






「申し訳ありませんでした。母上」


 母上の部屋に入るなり、俺は頭を下げた。


 母上は寝台ベッドの上で身体を起こしている。

 顔色は、あまりよくない。


 母上は身体が弱くて、特に春先は調子が悪くなる。

 そんな母上が今日は厨房ちゅうぼうに立っていた。星怜を歓迎するために。

 その気遣いを、俺がだいなしにしてしまったんだ。


「ぼくはもう14歳です。子どものような真似をするべきではありませんでした」

「いいのですよ。ありがとう。天芳」


 俺の言葉に、母さまは首を横に振った。


「あなたは星怜のことを、よく見てくれていたのですね」

「……母上?」

「私は、星怜が熱いものが苦手だということに気づきませんでした。星怜があなたの真似をするのを見るまで、今日の料理があの子にとって熱すぎたことも、わからなかったのですよ」

「母上のせいじゃありません。それより、星怜はどうしていますか?」

「眠っています。疲れたのでしょう」

「そうですか……」

「天芳。あなたに星怜の事情について、話しておきたいのです」


 母さまは真面目な表情で、告げた。


「そして、できればあなたに、星怜のことをお願いしたいと思っています」

「ぼくにですか? でも、ぼくは……」

「あなたの内力ないりょくが弱いことは知っています」


 ……いえ、弱いというよりゼロなんですけど。


 父上や兄上は『気の力』で身体強化したり、打撃の威力を上げたりできるけど、俺にはそれができない。

 たがいの身体を気で押し合う『内力比べ』なんてのもあるけど、最近はぜんぜんやっていない。小さいころ父上や兄上の『気の力』で、すぐに吹っ飛ばされていた。

 そんな俺の内力を『弱い』って言ってくれるのは、母上のやさしさなんだろうな。


「優しいのはあなたの方ですよ。天芳」


 俺の内心を読み取ったみたいに、母上は言った。


「あなたは星怜が熱いものが苦手だと気づいて、スープ胡餅パンを浸けてみせたのでしょう? 母にはわかっていますよ」

「……母上」

「そんなあなただから、星怜をお願いしたいのです」

「あの……母上。うかがってもいいですか?」

「どうぞ」

「我が家と柳家りゅうけはどのような関係だったのですか?」

「柳家は代々、黄家と付き合いがありました。農民だった私がしんさまに嫁ぐときに、将軍の家での決まりごとや、礼儀作法などを教えてくださったのは柳家の方々です。海亮かいりょう天芳てんほうが生まれたときも、たくさん、手伝ってくださったのですよ」

「……知りませんでした」

星怜せいれいが生まれてから、柳家の方々は、あまり当家に寄りつかなくなったのです」


 母さまはため息をついた。


「星怜の銀色の髪と赤い目、不気味だとそしるものたちが現れたからです。柳家の方々は、黄家に迷惑をかけたくないと言って、関わりを控えるようになりました」

「ぼくは星怜の髪も目も、きれいだと思うのですけど」

「あなたのように思わない者もいたのですよ」

「柳家の人たちは……亡くなられたのですね」

「北の地で、異民族の兵に襲われたと聞いています」


 母上は、星怜の家族が襲われた事件のことを話しはじめた。



 柳家の人々は、娘の星怜を大切にしていた。

 彼女をひとりにしておけなくて、いつも一緒に行動していた。


 そんなとき、星怜の父は、北の砦への輸送任務を命じられた。

 慣れた仕事だった。

 だから、妻と星怜と、一族の者を連れていった。


 そこを異民族の騎兵団に襲われたそうだ。



「荷物は燃やされ、柳家の方々と兵士たちは殺されました。生き残ったのは星怜だけです。異変を知った深さまが救援に向かったとき、星怜はがけの木に引っかかっていたそうです。それで敵は、彼女を見逃したのでしょう」

「崖の木に、ですか」

「2日間も……その状態でいたようですよ」

「柳家の方々は、みんな亡くなってしまったのですか?」

「星怜の母の遺体だけは見つかっていません。異民族に連れ去られたか……あるいは、どこかで生きていらっしゃるのかもしれませんが、可能性は低いでしょう」


 悲しそうな口調で、母上は説明してくれた。


「そんな目に遭ったのなら……星怜がおびえるのも無理はないですね」

「星怜も以前は、家族には笑顔を見せていたそうです。それも今は難しいのでしょうね」


 そう言って母上は、俺の手を取った。


「ですから天芳に、星怜のことを気に掛けてあげて欲しいのです。父さまは、あの方なりに星怜を大切にしてくださるでしょう。海亮も同じです。けれど、あの子のことをわかってあげられるのは、天芳だけのような気がするのです」

「……ぼくが、ですか?」

「母からの願いです。なにかあったとき、天芳は星怜の味方になってあげて」

「わかりました。母上」


 これでわかった。黄家うちに、星怜を後宮に差し出すような人間はいない。

 前世の記憶を取り戻す前の天芳も、父上と母上には忠実だった。

 となると、敵は家の外にいるということになる。


 だったら、方針は変わらない。

 星怜と仲良くなって、彼女が遠くにいかないようにする。

 内力ないりょくを手に入れて、いざというときに逃げられるようにする。

 星怜も守る。それだけだ。


「わかりました。母上」


 俺は拱手きょうしゅして、母さまに答えた。


「お約束します。義兄あにとして、ぼくが星怜を守ります」

「よく言ってくれました」

「だから……今日はもう、休んでください」


 俺が言うと、母上は微笑んで、寝台ベッドに横になった。


 俺はふと、思い出した。

剣主大乱史伝ヒストリー=オブ=ソードマスター』には黄天芳の母──玉四ぎょくしというキャラはいない。

 父上──黄英深こうえいしんも同じだ。

 さらに言えば、兄上──黄海亮こうかいりょうも登場しない。


 もっとも、ゲームが始まるのは、今から10年後の世界だ。

 父上は引退しているのかもしれない。

 武官じゃない母上が登場しないのも、納得できる。


 でも、兄上が登場しないのは不自然だ。

 もしかしたら10年の間に……黄家になにかが起こるんだろうか。

 その結果、味方を失った天芳と星怜は、権力を求めたのだろうか。


 ……冗談じゃない。

 そんな運命を受け入れてたまるか。


 俺は破滅しない。星怜もそうだ。

 もしも黄家に災難が待ち受けているのだとしたら、なんとしてでも変えてやる。

 その方法はまだ……わからないけれど。


「おやすみ。天芳」

「おやすみなさい。母上」


 そんなことを考えながら、俺は母上の部屋を出たのだった。




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