第2話無邪気な夜明け
パラサイト
無邪気な夜明け
私は、敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者の方を、より勇者と見る。自らに勝つことこそ、最も難しい勝利だからだ。
アリストテレス
「ふあー」
「アクル!起きたか!」
アクルが目を覚ましたのは、あれからまもなくの頃だ。
ぐぐぐ、と身体を伸ばすと、まだ眠たそうに瞼を擦る。
「あれ?あのお姉ちゃんたちは?」
アクルの言う“お姉ちゃん”というのがセントの事だと分かり、吾朗はアクルの頭を撫でた。
「知らない人に着いて行っちゃダメだろ?危うくお嫁に行けない身体になるところだったんだぞ」
「ごめんなさい。お菓子くれるって言うから」
「ダメだぞ。お兄ちゃんたちから離れないようにな」
「はーい」
本当に分かってるのかは不明だが、吾朗に撫でられているアクルはとても気持ちよさそうにしている。
ふとそこで、知らない人が増えていることに気付いた。
「誰?」
人見知りのしない性格のアクルは、トワナの前まで吾朗の服の裾を持ちながら寄る。
縁も綺麗な顔をしているが、それよりも女性よりの綺麗さを持っているトワナの顔に、アクルは興味津津。
「お姉ちゃん誰?」
「お姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんな。トワナって言うんだ。こいつが助けてくれたんだぞ」
「お兄ちゃんなの?お姉ちゃんみたい!ありがと!」
キッチンから良い匂いが漂ってくると、縁が両手に料理を持ってきた。
右手にはナポリタン大盛、左手にはアップルパイ大きいもの。
康史はその後ろから紙皿と割り箸を人数分持ってきてテーブルに並べる。
誰よりも早くアクルが手をつけ、口の周りを汚しながらどんどん食べていく。
吾朗はそれ以上に大口で平らげていく。
お腹が一杯になるとアクルはまた横になり、縁は吾朗に片づけをさせる。
「それで」
縁は食後のコーヒーを飲みながら、トワナに尋ねる。
「俺達の敵でありながら、あいつらからアクルを助けたのには、何か理由でもあるのか?」
その質問に、トワナは小さくため息を吐き、頷いた。
「俺は、人工パラサイト製造で知られる研究者によって産み出された、一三番目の人工パラサイトだ」
「一三番目?他のは?」
縁の隣に座っている康史が聞く。
キッチンでは片づけが終わった吾朗が、麦茶を飲みながら部屋に戻ってきた。
「全部で十五体の製造に成功したらしいが、うち九体は死に、五体は壊された。他の研究者によってな」
「どうして壊された?」
「単に人工物には反対だったんだ。俺は研究所から一人逃げた」
「逃げたって、なんともまあ」
吾朗が口を開けば、トワナはどこか一点を見つめる。
ソファで寝ているアクルに毛布をかけ、吾朗はその横に座って足を組む。
「・・・もともとは女だった。女の身体に二つ寄生させられた。寄生された俺は男の意識を持っていたから、身体を男に変えてもらったんだ」
「?寄生されて男の意識を持っていた?どういうこと?」
「宿主と寄生虫の間には優劣関係があるのは知ってるな」
「ああ」
当然のような言い方に返事を返せたのは縁。
確かにそんなことを縁が言っていたかも、と思うだけの康史は、トワナの言葉に驚愕する。
「俺は宿主でありながら、寄生虫に喰われた。自然界ではよくある話だが、実験中に変異を起こしたのは俺くらいだった。だからこそ本能的に危険を察知して逃げられた」
「なーるほどね」
その話に納得したように、吾朗は自分の顎を摩りながら答えた。
「ま、お前に何が植えられてるかは知らねーけど、脳が負けたってことか」
「・・・俺達もそうなることあったりする?」
もしも自分も・・・と考えた康史が吾朗に聞いてみると、吾朗は笑いながら否定した。
「産まれたときから身体にいる俺達は拒絶もなけりゃあ負けることもない。まあ、時たま精神疾患とかがある奴は負けることもあるがな」
「あ、そうなんだ。良かった」
そんな話を交わし、トワナは夜中に去って行った。
自分の様な人工パラサイトを減らしたいと思って行動に移しているようだ。
最後の最後、トワナが何を植えられたのか気になって聞いてみると、嫌そうな顔をしながら答えてくれた。
「カメレオンと河童」
カメレオンだからアクルが捕まった部屋に隠れていてもバレ無かったのか、と納得したが、河童って何?ともなった。
そもそもどういう能力を発揮するのか。
泳ぐのが速いくらいじゃないのか、と三人が三人とも思ったが、口にはしなかった。
トワナが去って行ったあと、吾朗はアクルを連れていつも借りているという二階の部屋で寝た。
康史は一人暮らしをしていたが、そこを解約して縁の部屋を借りることになった。
家賃代も浮くし、食事も出るから。
未だに謎の縁の家のこともお金のことも、本人に聞くことはできないが。
「明日あたり荷物持ってきておけよ」
「わかった。部屋ありがと」
「掃除は各自だからな」
欠伸をしながら縁も自室へと行った。
「さてと、貯金幾らあったかな」
引越し屋に頼むよりも自分で運んだ方がお金はかからないが、手軽にすぐ終わることを考えると。
そんなことを考えながら、康史は眠りについた。
「ルイスルイス」
「何だ」
部屋で拾った髪の毛を調べると、あることが分かったようだ。
謙一はとても嬉しそうに目を輝かせながら、部屋で寝ていたルイスを叩き起こした。
夜中に起こされて不機嫌そうなルイスだが、謙一が持ってきた検査結果を見て、一瞬目を大きく見開き、次いで目を細めてニヒルに笑った。
「そうか。生き残りがいたのか」
「ああ。一応サンプルとデータが残ってて良かったよ。照合も出来たし、DNAも調べられた。出来れば本体があればもっと良いんだけどな」
「ああ。これで手に入れなくちゃならねーもんが増えたな」
「へへへ。俺も今日までこうして地道にやってきた甲斐があるってもんだ。それにあのことも調べたいんだろ?」
「当然。俺達人工物には出来ない“進化”とやら。この目で確かめるのが一番だけどな」
「あいつらは面白いサンプルになるよ。今後の研究にとってもね」
持ってきたデータをルイスに手渡しすると、謙一はまた研究室へと籠る。
そこで夜な夜な何がなされているのか、ルイスも見たことがない。
「さってさって。俺も本格的に実験しなくちゃな」
「私もお手伝いするのです」
「アリーナ、女の子はもう寝ないとお肌に悪いぞ」
「女の子は恋をすると綺麗になるのです」
謙一は聞いているのかいないのか、アリーナの言葉を無視して棚に並んでいる瓶のひとつに手を伸ばす。
そして液体に入っている物体を取り出すと、テーブルの上のトレイに置く。
どくん、どくん、と波打つ鼓動をもつ物体にメスを入れていく。
「・・・まったく。男というのは理解出来ないのです」
―数日後の夜
「あれ?縁は?」
「買い物に行ったぞ」
康史が起きたときすでに縁は出かけていた。
とはいえ、それほど早い時間なわけではない。
寝坊したというのか、単に起きていたけどゴロゴロしていたのか、康史が下に下りてきたのは十時を回っていた。
「一人で出かけて大丈夫なの?」
「縁だろ?大丈夫じゃねー?それに近くのスーパーに洗剤とトイレットペーパー買いに行っただけだし」
「お兄ちゃんのバカヤロー!」
「こら」
吾朗はアクルの遊び相手をさせられていて、相撲をとっていた。
目の前にある吾朗の足に必死にしがみついているアクルは、きっと全力なのだろう。
ピクリとも動かない吾朗に対し、エネルギーを出す為に罵声を浴びせていた。
「朝飯置いてあるから。チンして食えよ」
「ありがと」
「ぐぬぬぬぬ・・・!侮れぬ!このおんぼろ傀儡め!」
「アクル、そんな言葉どこで覚えてきたんだ」
テーブルの上に用意してあったパンと、皿に盛りつけられたベーコンに目玉焼き、そしてサラダ。
お茶を用意しながらパンと皿をレンジに入れて温める。
ゆっくりと朝食を食べていると、縁が帰ってきた。
「おかえりー」
「おかえり!縁兄ちゃん!このラスボスを倒す手助けを!」
「吾朗はラスボスっていうほどのキャラじゃないから断る」
「そういう断り方しないで貰っていいか?」
手をあげて縁を迎えた吾朗に、まだ足を踏ん張らせているアクル。
そんな二人など他所に、縁はキッチンに向かう。
「おはようございます」
「おはよ。寝癖ついてるぞ」
「え?」
自分の髪を手で触ってみると、確かに後頭部の辺りが少しはねていた。
何回か摩ってみても直らないため、諦めて食事を続けた。
「(まあ、ニット帽被ればバレないかな)」
そんなことを考えていると、アクルがぜェぜェ言いながらキッチンに来た。
「縁兄ちゃん!オレンジジュース!」
「自分で注げよ」
冷蔵庫から一リットルの紙パックを取り出すと、それをアクルに渡した。
すると、アクルは注ぎ口を開けると片手を腰にあて、そのまま直に口をつけて飲みだした。
康史は思わず見入ってしまったが、縁は眉間にシワを寄せてアクルの口から紙パックを引きはがした。
「アクルは俺を怒らせる天才だな」
「へへへー。それほどでもー」
「・・・褒められてないけどね」
いたいけな少女という見方も出来るアクルに対し、縁は容赦なく首根っこを掴んで床に正座させた。
それからおよそ三十分ほど、縁の説教を受けるのだった。
吾朗は縁から出ているオーラにいち早く気付いて逃げようとしたが捕まってしまい、同じく正座させられていた。
唯一巻き込まれる事もなかった康史は食器を片づける。
「あれ?また出かけるのか?」
ようやく説教を終えた吾朗は、羽織るものを手にして玄関に向かって行く縁に声をかけた。
「役所」
「気をつけてなー」
縁が出かけてから早数時間。
「あれ?まだ縁帰ってきてねーの?」
「まだ」
「遅ェーな」
何をしに行ったのかは知らないが、吾朗はポケットから携帯を取り出すと縁にかける。
ちなみに、吾朗はスマホではない。
メールと電話さえ出来れば良いと、ガラケ―を貫いている。
「出ねーな」
普段から縁は、吾朗からの連絡を度々シカトすることがあるそうだ。
何度かけても出ないため、康史もかけてみるが、やはり出ない。
「嫌な予感しかしねーんだけど、お前どう?」
「同じく」
「おい!アクル!」
「なーにー」
床にごろごろと寝転がり、一人で芋虫ごっこをしていたアクルを呼ぶと、吾朗はアクルを抱きかかえた。
「康史も行くぞ」
「え、何処行くの?」
「アクル、嗅げ」
「ふんふん」
車もあったのだが、アクルに縁の匂いのついた服を嗅がせると、まるで警察犬のように道路を嗅いで行く。
「車使ってたら、匂い嗅ぎとれなかったんじゃ」
「あー。確かにな。でもアクルはなぜか縁に懐いてるからな。その分匂いも嗅ぎとれるんじゃねーか?」
「・・・それは無いかと」
地面に鼻をつけるようにしてクンクンと匂いを嗅いでいるアクルは、傍から見れば変態なのだろう。
何人もの人がアクルを見て、更に康史と吾朗を見て怪訝そうな表情をしていた。
警察に連絡されていないだけ良かった。
「こっちって、前アクルが捕まった病院の方向じゃねーよな?」
「多分。俺方向音痴なんで」
その時、アクルの頭上から黒い影が飛び出してきて、吾朗はアクルを抱えて退避した。
「ったく。誘き寄せられちまったみてーだな、俺達ぁ」
アクルを物陰に隠すと、吾朗は身体の色を変化させる。
すると身体から気持ち悪い色の気体が漂う。
「康史、ニット帽でも口に当てておけ。吸ったら死ぬかもしれねーし」
「う、うん」
自分の頭に被っていたニット帽をずりおろして口元にあてがう。
そして黒い影がゆらっと揺れながらこちらに向かってきた。
「確か、英之だっけか」
「こいつを連れて行こうと思ったんだけどよ、なかなか言う事聞いてくれなくてさ」
どさっと吾朗の前に投げられたのは、出かけた格好のままの縁だった。
「縁!」
康史は縁を引きずりながら英之から遠ざけると、意識はあるようだが苦しそうにしていた。
「なに、死にゃあしないよ。そいつに打ったのはただの発熱剤だ」
吾朗が英之に向かって毒を放出すると、英之の後ろから飛び出してきたソレによって後ろに大きく飛ばされた。
誰かは予想出来ていたが、吾朗は体勢を立て直すと、キレた口の中から血を少し吐いた。
「ルイス」
「お前等が欲しんだよ」
素早い動きで吾朗を捕え壁に押し付けると、口を開けて吾朗を食べようとする。
ルイスの脇腹を蹴飛ばし少しだけ移動した吾朗の後ろの壁は、ルイスの顎の力だけによって粉々になっていた。
壁が崩壊したことによって吾朗は隙間を見つけ、ルイスから逃げる。
「なんなんだよ、お前は」
「俺はただの人喰いだ。お前らよりも可愛いもんだろ?」
「性質悪いっつーの」
ニッと笑うルイスの背中には、多数の骸骨の姿が見える。
目など無いはずなのに、こちらを見ているギョロッとした目はとても不気味だ。
一方、英之と対峙することになった康史は、コツを掴んで出せるようになった式神を出し戦っていた。
死神といえども、自分よりも巨大な鬼に大鎌を当てることは難しく、英之は直接康史を狙いにきていた。
だが、それを鬼が許すはずがなく、まるで番人のように佇む。
「こりゃ、どうすれば倒せるんだ?」
ちらっとルイスの方を見てみると、初めて見るルイスの異形に、少なからず恐怖を覚えていた。
「お兄ちゃん!」
アクルの声に、康史は吾朗の方を見た。
すると、きっとたまたま通りかかった人であろう一般人を手にかけ、その身体を貪っているルイスがいた。
「うっ・・・」
ぐちゃぐちゃと音を立てながら、ルイスは口の周りを血塗れにしている。
それは人間と呼ぶにはあまりに不気味で異常な姿だ。
傍らでは吾朗が足を折られたまま転がっていた。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
アクルが吾朗のもとに駆け寄ると、声に反応したのか、それとも気配なのか、ルイスがアクルの方を見た。
手に持っているソレらをボトリ、と落とすと、アクルに近づいて行く。
「アクル、来るな・・・」
「やだ!お兄ちゃん!」
ぴた、とアクルの前で足を止めると、ルイスは両膝を曲げてアクルと目線を合わせる。
ニヤ―、と笑うと、アクルの頭を撫でた。
アクルは犬になってキャンキャン鳴いて牽制をしていた。
助けに行こうと思った康史だが、急に目の間に英之が現れ、大鎌を振るわれる。
式神によってまたもや攻撃を受け止められてしまった英之だが、足止めをしようとしているのだろう。
ルイスはアクルの首根っこを掴みあげ、ゆっくりと立ち上がる。
「いらねー力だが、五月蠅いのは嫌いだ」
そう呟くと、ルイスはアクルを空高く投げ飛ばす。
上を向いたルイスは、手を掲げるようにして上げると、その手は斧に変わった。
「アクル・・・!」
足を引きずりながら吾朗はルイスに立ち向かうが、脇腹を押えていることから、そこも痛むようだ。
落ちてきたアクルに斧を振るうだけ。
ルイスにとってはそれだけのことだったのだが、空から落ちてきたアクルは何やら違う姿をしていた。
初めは猫にでもなって機敏に逃げようとしているのか、とルイスは思っていたようだ。
「!!!!」
しかし、落ちてきたアクルはそれとも全く違うものになっていた。
ドスン、と大きな音を立てて落ちてきたアクルは、猫と呼ぶにはあまりに大きく、あまりに恐ろしい顔をしていた。
それは康史の式神よりは小さいものの、普通の康史たちから見れば充分大きい。
猫のように尖った耳、鋭い目、首には鈴がついており、足の爪も立派なものだ。
尻尾は大きく三つに分かれており、ルイスを睨みつけて威嚇する。
「これは・・・素晴らしい」
変化したアクルを見て、とても嬉しそうにルイスはアクルに近づいて行くが、アクルは足をルイスに向けて思い切り叩いた。
そのアクルの姿には吾朗も驚いていて、目も口も開けっぱなしだ。
「ははははははは!素晴らしい!これぞ神秘!生命の美しさだ!」
「シャ―!!!」
普段の可愛らしい癒し系の犬や猫ではない、その変わり様。
だが、ルイスはアクルからの攻撃を華麗にかわしながら、アクルの左足まで辿りつく。
すると、大きく口を開けてアクルの足に喰らいついた。
痛そうに顔を歪めながらも、なんとかルイスを振り切ろうとしているアクルだが、ルイスはなかなか放さない。
ぐいぐいと喰い込んで行くルイスの牙に、アクルは右足でルイスを叩いた。
それがどうやら丁度ルイスのお腹にめり込んだようで、ルイスは大きな爪でお腹を裂かれてしまった。
浅かったために直撃とまではいかなかったが、それでもルイスは身の危険を感じた。
アクルが欲しいと言う気持ちと、人喰いと呼ばれる自分が大きな猫ごときにやられてしまうという気持ちとで葛藤していた。
足の一本でも無くなれば、とルイスはまたアクルに攻撃しようとするが、巨大な尻尾がまるで鉄のように強くルイスの身体を弾いた。
「英之、その鎌であの足か首あたり、取れね―か?」
「出来るよ。あの鬼がいなけりゃあね」
「ちっ」
なんでも刈ってしまう英之の鎌ならと考えたようだが、鬼がそれを阻む。
悔しそうな顔をしながら、ルイスたちは去って行った。
「アクル!」
吾朗が名前を呼んでみると、大きな猫、というよりも化け猫と呼んだ方がしっくりが、アクルが反応をした。
だが、なかなか戻る気配がない。
しまいには、アクルはルイスにしたように、大きなその爪のついた手で康史たちに向かって攻撃してきた。
「わっ!!!」
だが、それは鬼によって止められる。
「ん・・・」
「縁!起きたか!?」
「・・・あいつらは?」
「もう逃げた。てか、それどころじゃねーんだよ。アクルがやべーんだよ!!!」
ようやく目を開けた縁は、目の前の状況を把握した。
「お前ら、先に行ってろ」
「吾朗、お前だって怪我してんだろ。どうする心算だ」
「可愛い妹、このままにしておけねーだろ」
ふう、とため息を吐くと、縁は康史の肩を借りて家へと帰って行った。
大丈夫かと心配する康史を他所に、縁はただ黙っていた。
残された吾朗は、アクルと一対一。
「アクル、俺がわかるか?」
「早くいつもの弱っちいアクルに戻れよ」
「アクル、家に帰るぞ」
何度も何度も声をかけてはみるが、アクルは吾朗にも威嚇を続ける。
足を折っている吾朗は、壁に背中をつけてお尻をつけて座る。
吾朗を観察するように、アクルは左右に動き回っている。
決して目線を逸らさずに。
一時間ほど経った頃、アクルはふと足を止めて身体を丸めて横にした。
「眠くなったな。ちょっと寝るか?」
そう言ったまま吾朗は少しだけ眠ってしまった。
目を開けたとき、もう空は暗くなっていたし肌寒かった。
「・・・・・・」
横でクウクウと小さな寝息をたてて寝ているアクルがいなければ、きっと寒い寒いと文句を言うだけだが。
「アクル、早く起きろ。帰るぞ」
「んー」
「ったく」
アクルをオンブして帰宅すると、康史と縁は驚いた顔をしていた。
「あれ。生きてたんだ」
「おいこら。何勝手に殺そうとしてんだよ」
「戻ったんだ」
「きっと、緊張が解けたんだろうね。昼寝でもしたの?」
「お兄ちゃんは何でも知ってるんだよ」
「ソレな、そろそろ卒業しろよ。絶対に嫌がられるから」
寝ているアクルを部屋まで連れて行くと、アクルが少し目を開けた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「・・・ごめんなさい」
「?何がだ?」
いつもの謝り方とは違うアクルの声色と表情に、吾朗は優しく頭を撫でながら話を聞く。
「うん。わかんない」
「なんだそりゃ」
肩を揺らして笑うと、アクルも小さく笑った。
アクルを寝かしつけて下に戻ると、平然と縁がこう聞いてきた。
「それにしても、よく帰ってこれたな」
「は?」
「いや、康史の話じゃ、骨折してたっぽいって言っていたから」
「骨折してなかった?折られてたよね?」
「起きたら治ってた。てか、お前等それ知っていながら迎えに来なかったのかよ」
「すごい治癒力と生命力だね。繊細な俺には到底無理だよ」
ずず、とお茶を啜りながら言う康史と縁は、悪気はない、と思う。
驚異的な回復力を見せた吾朗は、温くなった風呂に浸かり、くしゃみをした。
「はははははははは!今日は良い出会いがあった!」
「ちょっと、ルイスどうしたの?前からだけど今日は特別おかしいわ」
「あー、まあな」
廃れた病院に着くと、ルイスは謙一の元へ行って話をしていた。
「あれこそが俺の待っていた進化だ!自然寄生にしかないとされる貴重な現象そのものだ!戦闘力なんか欠片もなかったはずの奴が、あんな力を出せるんだ。もっと強くなることだって可能なはずだ!」
「落ち着いてよねー。自然界では有り得ても、人工物ではほぼ不可能なんだからさー」
帰ってきてからというもの、ずっと同じ話をされ、謙一とアリーナは少し疲れていた。
「あー、やっぱいーなー、あいつら。俺も出来ることなら生まれながらに寄生されたかったな」
「そんなこと言って、お前はただでさえ今の人喰いにさえ負けそうな身体なんだからな。戦う気質じゃないんだよ」
「そうなのです。今日だって血なまぐさい匂いがぷんぷんするのです」
「羨ましいなー」
「聞いちゃいねえな」
「え?輸血って出来ないと思ってた。違うのか?」
「出来るには出来る。だがあんまりやりすぎない方が良い」
昼間、縁が駅近くで献血を頼まれたことから会話が始まった。
「謎が多いって言ったろ。研究者でもわかってないことを俺が知るか」
なにやら感心を持った吾朗が色々縁に聞くが、徐々に難しいことを聞かれ、縁もお手上げだった。
親はパラサイトではないのに自分はパラサイト。
自分にもし子供が出来た場合、子はどうなるのか。
知ったところで何も出来ないが、気になることは沢山ある。
「あ」
「どうした、康史?」
「吾朗とアクルが二人ともパラサイトだと、親もそうだった可能性高いとか、そういうのもあるのかなと思って」
康史の仮説は、簡単に否定された。
「いや、俺の両親は二人とも普通の人間だ。俺が生まれてすぐに俺が何かおかしいってことに気付いて、気味悪がってあんまり面倒とか見て貰ったことがねーんだ」
「そうなんだ」
「学校にも行かねーでうろうろしてたら縁と会ってよ。それ以来此処で住まわせてもらってる」
なんだか暗い過去を聞いてしまったかと思った康史だが、吾朗は気にせず話す。
「着替えとか持ってこようと思って、何年か経って家に帰ったらアクルが生まれててよ、アクルも耳とか尻尾出してて明らかにおかしいってんで、俺が引き取ったわけ」
「お前等を面倒見てるのは俺だ」
「まあまあ」
縁が言うには、血の繋がった兄妹がどちらも寄生されているなんて、とても稀なことらしい。
確率的にはこの国にもまだまだいておかしくはないだろうが、範囲として考えると狭い。
ふと、康史はずっと疑問だったことを縁にぶつけてみる。
「縁の親は?ここでの生活費とかってどうしてるの?」
「ああ、それな、聞いちゃダメだぜ」
「え?」
答えてきたのは縁ではなく吾朗で、康史にこっそり話すように口に手をあてて話す。
「俺も前に聞いたことあるけど、一週間くらい口聞いてもらえなかったからな」
「え、何それ」
「わかんねー。けど、聞かない方が身の為だ」
「わかった」
きっと二人の会話は聞こえているだろうが、縁は黙って本を読んでいた。
それからすぐ、三人は各部屋に向かってベッドに横になった。
「アクル、いい加減解放してやれよ」
「やだ!」
「可哀そうだろ?苦しそうにしてるじゃねーか」
翌日、アクルは吾朗と昼間散歩に行き、道の途中で仔犬を拾ってきた。
柴犬のようだが、捨てられていたためかプルプルと小さな身体を震わせている。
見つけた途端アクルが仔犬を確保し、そのまま縁の家まで連れてきてしまったのだ。
案の定、縁には置いてこいと言われた。
それでも諦めきれないアクルは、吾朗にスーパーまで連れて行ってもらい、段ボールを貰って来て仔犬の家を作り始めた。
ガムテープと鋏を手に、アクルは悪戦苦闘。
「アクル、これじゃ窒息しちまうよ」
「なんで!」
「なんでって、四方八方囲んだらそうなるだろうが。てかなんで出入り口さえ作ってねーんだよ」
「めんどくさかったの!」
「ストレートな理由だな」
やれやれと言った風に、吾朗が閉まりきった天井部分を壊して、単なる囲いのようなものに変えた。
アクルは仔犬をその中に入れようとするが、入れても隅の方で震えている。
「すぐには慣れないだろう。保健所にでも引き渡せば良い」
「縁、そりゃあんまりだろ。捨てられたこいつだって被害者だ」
「なら、そもそもの原因の飼い主を見つけて警察にでも突き出すんだな」
二人の会話など聞いていないアクルは、だだだ、と走ってキッチンに行くとミルクを用意した。
「ちょっと待って」
それを康史が制止した。
「仔犬はミルク飲ませない方が良いよ。仔犬用の餌か何か買ってきた方が」
「じゃあ行こう!」
「え?俺?」
「おー、気ィつけてな」
なぜか吾朗ではなく康史の腕を引っ張っていくアクルは、どんどん前に進んで行く。
「ほーれほれ。遊びたいだろー」
二人が出かけていくと、吾朗は仔犬の前にねこじゃらしを出す。
それをひょいひょいっと動かすと、仔犬は少しだけ興味を示す。
「おほっ。可愛い反応」
だがそれでもなかなか他の仔犬のようにはしゃごうとしない。
根気強く吾朗は仔犬を抱いたりして懐かせようとする。
「どうして吾朗じゃなくて俺なの?」
「ねえ、昨日、どうなったの?」
「え?」
やっと通常の速度で歩き出したアクルが、康史に尋ねた。
最初は何を聞きたいのか分からなかったが、それは徐々にわかっていくことになる。
「昨日って、縁を探しに行ったときのこと?」
「うん。途中から覚えてないの。お兄ちゃんが怪我してて、なんかよくわかんなくなっちゃって、目が覚めたらお家帰ってて」
「・・・・・・」
どこまで話すべきなのか、悩んでいた。
正直に全て言ってしまうこともできるのだが、まだ子供のアクルに言ってしまっても良いことなのか。
吾朗から話す分には構わないかもしれないが、他人の自分から言うのもどうなのかと、康史は頭を悩ませた。
「お兄ちゃんは絶対教えてくれないでしょ?縁兄ちゃんだって、ああ見えて優しいから教えてくれないもん」
ああ見えて、なんて言われている同居人を小さく笑う。
「でも康史兄ちゃんなら教えてくれそうな気がしたの」
「んー」
「意外と無神経そうだから!」
「・・・・・・」
反論は出来ないかもしれないが、まさかこんな子供から言われるとは思っていなかった。
これでも色々考えているのだと、まずはそこを教えた方が良いのか。
目をキラキラさせてくるアクルに、康史はニット帽を触りながらため息を吐く。
「俺も、教えらんないかなー」
「なんでー!?」
ぴた、と足を止めてしまったアクルは、康史の服の裾を両手で掴む。
懇願するような目を向けられながら、康史は目を逸らさずに言う。
「俺から言うのは簡単だけど、吾朗も縁もアクルの為を思って黙ってることなら、俺が言う事は出来ないよ」
「・・・・・・」
唇を尖らせて拗ねてしまったアクルは、そこから動こうとしなかった。
そのまましばらくそこにいても良かったのだが、急な土砂降りで急いで家に逆戻りすることになった。
ずぶ濡れで家に帰ると、吾朗は濡れたままのアクルを抱っこして風呂場に連れて行く。
康史はアクルの後にシャワーを浴びることになり、洋服を脱いでタオルで身体を拭いていた。
「お兄ちゃん出てって!」
「なんで」
「いたいけな女の子の裸を見たいなんて、お兄ちゃんは変態ね!」
「はいはい、出て行くよ」
追い出されてしまった吾朗が部屋に戻ると、キョトンとした顔の康史がいた。
「どした?」
「いや、どした?じゃなくて。犬は?」
仔犬の様子を見にいってみると、仔犬は雑に作られた段ボールの小屋にいなかったのだ。
「あー、あの犬な。お前等が出ていってすぐにちょーっと散歩に連れて行ったらさ。飼いたいっていう子がいて。親も了承してくれたから渡してきた」
「そういうこと、早く連絡してくれると嬉しかったんだけど」
「まあまあ。でも荷物なかったってことは、餌とか買って来てなかったんだろ?なら良かったじゃねーか」
「ま、飼い主が見つかったなら」
言いたかったのはそこではなかったのだが、上手く言いくるめられてしまった感じだ。
アクルが出てくると、今度は康史が風呂場に向かう。
「ほらアクル、髪乾かさねーと風邪ひくぞ」
「あれー!犬がいない!誘拐されたんだ!」
「違うから。はいはい、早くこっちこい」
ストン、と胡坐をかいた自分の足の間にアクルを座らせると、濡れたままの髪をタオルでガシガシ乾かす。
「どこいった?犬は?」
「飼い主が見つかったの」
「なんで!いつの間に!」
「お前等が出かけてる間に」
「なんてこった!もうちょっと触っておくんだった!」
「俺はいっぱい触った」
仲の良い二人の会話を聞き流しながら、縁はテレビでニュースを見ていた。
シャワーを浴び終えた康史が部屋に戻ると、吾朗がアクルをお馬さんしていた。
そして縁が座っているところまで進むように吾朗に命令すれば、吾朗はそれに従って縁のもとまで向かう。
すると、アクルは縁に向かって短い腕を必死に伸ばした。
「姫!迎えに来ました!」
「ぶっ・・・!縁が姫って!」
確かに綺麗な顔ではあるが、まさか姫役に勝手にさせられているとは。
その後、アクルの夕飯にはアクルの嫌いな人参がこんもりとよそわれていた。
吾朗も同罪なのか、吾朗が嫌いな梅干しがご飯の上に敷き詰められていた。
二人して顔を青ざめているのを見ると、やはり兄妹なんだな、と悠長なことを思ってしまう。
「おい縁、前から思ってたけどよ」
「なんだ、文句でもあるのか」
「あるよ。子供がしたことにもっと寛大になった方が良いと思うぜ。それに俺まで巻き添えとか」
「小さい頃から躾はちゃんとしておかないといけないだろ。年上は敬う様にって」
「いやだから、問題はそこじゃなくて。俺に対して・・・」
「兄なんだからアクルの見本にならないとな、吾朗」
「・・・・・・」
ちらっとアクルを見てみると、アクルは吾朗のご飯の上の赤い物体を見つめている。
「食べないの?お兄ちゃん」
「・・・食べるよ。勿論食べる。食べ物は粗末に出来ないからな」
「さすがお兄ちゃん!アクルの人参も食べて!」
「余裕があったらな・・・」
食後、しばらくソファで横になることになるなんて、吾朗さえ予期出来なかっただろう。
その吾朗の頭を撫でるアクルは、人参を吾朗に食べさせた張本人だが。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ・・・死ぬときは綺麗な姉ちゃんに抱かれて死ぬって決めてるからな」
「アクル、吾朗の様子どうだ?」
「うん。放っておいて大丈夫みたい」
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