第3話
二人の来訪者を撃退して暫く経った、そんなある日。姫とみおに会いに行く前に、亮はある人の元へと訪れた。
赤瞳が捉えたのは、痩身長躯の五十代半ばの女性。化粧の跡はなく、白髪混じりの黒のショートがより一層清々しく見える。しなやかな深褐色の双眸が一瞬亮を認識したものの、すぐに視界から外れた。亮はすかさず、彼女の前に回り込む。
「ちょっとお時間をいただいてもよろしいでしょうか、マドモアゼル」
「よくもまあ、恥ずかしげもなくそんな言葉を口にできますね。お嬢さんの年齢をとうに超えたこのババアに」
「だって、私にとって、全女性はマドモアゼルですからネ! キラーン☆」
自虐も通じない相手の前に彼女は重い息を落とし、話を催促すると、
「それで? 用事はなんですか?」
「ああ、そう警戒しないでください。もし貴女がこの話に乗ったら、いいものが見れますよ」
「ふむ。それは、アタシにとっての“いいもの”になりますか?」
「うーん。それを判断するのが貴女次第ですよ、マドモアゼル」
思いのほか彼の話に興味津々な自分がいることに気付いた。
彼女は暫く言葉をためらい、信用できる男かどうか値踏みすると、どうぞとばかりに笑顔を維持する亮。
彼女がこの病院に働いてから早二十年が経ったが、辺境が故に娯楽も少ない。無論、彼が起こした数々の問題は、彼女の耳にも入っていた。
しかし、こうして件の問題児と対話を重ねてみたところ、噂ほどの頭おかしな患者ではないことが判った。むしろ、敢えてピエロを演じているような、そんな気もした。
――実に面白い男だ。
彼女自身でも知らないうちに、口角が少し上がっていた。
「いいでしょう。聞くだけ聞きます」
亮が中年女性と掛け合ってから二日後、談話室にゲーム機が実装された。
最新機種の据え置きのゲーム機の前で亮とみおが大はしゃぎしている隣に、7階唯一の患者である姫は何が起きたのか全く分からず、キョトンとした。実際、彼女はゲームおろか、ゲーム機を見るすら今回が初めてで。嬉しさより戸惑いの方が勝ったのだろう。
三人の手にコントローラーが行き渡って、みおのチョイスでレーシングゲームを遊ぶことに。
そして、試合開始てから約二分が経った頃、談話室内は様々な声が飛び交っていた。
「うおおおお。うおおおお」とエンジン音の真似をしながら、ゲーム内の車が曲がる方向に身体を傾くみお。その隣で姫は操作に不慣れながらも順調に進んでいる、が。姫の右隣、亮だけが目をかっぴらいていて画面を凝視。
「うおおおお、行け! 進め、進むんだ、カミカゼ号! お前はここで怖気づくような車ではないはずだ!」
いくら彼がゲーム内の車にエールを送り続けても、スタート地点から一歩も動いていないようでは最早試合にすらならない。「……お先」と共に、彼の車体を追い越す姫のを見て、亮はビックリして大袈裟にのけ反った。
「っな?! そんなバカな! 一体、どうなってるんだ……! ッ、そうか! 分かったぞ! 二人は私のコントローラーに何かを仕掛けたということか! なんて卑怯なッ!
しかぁーしッ! この試練を乗り越えてこそ、一流のエンターテーナーになるしょ――」
「……コントローラーを傾くばかりでボタンを押していないからなのでは」
「あ、ほんとだああぁぁ! お前は神か! 否、姫ダッ! 行くぞッ、我が相棒、カミカゼ号ぉぉ!
前方ヨーシ! 後方ヨーシ! 右も左もヨォーシ! 発車ッ!!」
姫はふふふ、と小さく笑い出し、ゲームに戻った。
そんな三人の様子をドア付近から眺める中年女性が一人。
「滅多にこちらに来ない貴女が姿を現しただなんて、一体、どういう風の吹き回しですか?」
「やれやれ、その減らず口は相変わらずですね、
「時々、ね……」
看護師長の顔を見ながら、嫌味たっぷりの挑発口調で呟いた。
実際、当初の頃、彼女は『姫の担当看護師』という役柄を利用して、今の地位につこうとした。だけど、その目論見は当の姫に見破られてから、罪悪感で病室に訪れる頻度も少なくなったが。そのことに
知っていた上で、ここに戻ってきたのだ。少年との約束を果たすために。
看護師長はもう一度三人に目を向けて、安堵の笑みが深まった。
「『実にいいものを見せてもらいました』、とそう彼に伝えてくれませんか?」
「かしこまりました」
深褐色の瞳孔に映る姫の顔には、かつての面影はほとんど見られなかった。
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