第3幕

Smile for me―――決別

第1話

 一触即発の空気が張り詰めている中、談話室に急ぐヒールの音がやってくる。


「お嬢様、ここに――っげ、やはりこちらにいらっしゃいましたか」


「あら、久しぶりの再会なのに、その挨拶は如何なものかしら? ねぇ、雅代まさよ?」


「……お久しぶりです、麗夏れいかお嬢様」


 雅代まさよが姫の前に移動し、黒いスーツを着ている百五十未満の女性に頭を下げると、彼女は満足したかのようにニッコリ。そんな彼女が暗い纏いに不釣り合いな桃色の髪を払うと、今度はもう一人の女性が声を上げる。


「あらぁ~。わたしを忘れてちゃ~困るわぁ~」


すみれお嬢様もお久しぶりです」


 肩までかかるふわふわした髪のする長身の女性にも一礼する雅代まさよ。こちらも挨拶されて満足気に「うふふ」とニッコリ。


 華小路はなこうじ本家のご息女は姫を含めて、合わせて5人。三女の神里菫かみさとすみれ嬢はまだ温厚な方なので多少なりとも融通が利く方だ。

 雅代まさよがそう思っていたのに、そのすみれ嬢がこうして一番厄介で狡猾な友禅寺麗夏ゆうぜんじれいか嬢と共に出現したから推測すると、二つの分家が裏で姫の失脚を企んでいると考えた方が妥当だ。

 これなら、元々死ぬほど仲が悪かった分家が協力し合えるようになったことについても頷ける。


 一刻も早く状況を把握して分家の陰謀を阻止しないと。考え込む雅代まさよを見て、麗夏れいか嬢はますます笑みを深くした。


「いやぁねぇ、雅代まさよったら、そんな怖い顔をしないでちょうだい」


「ワタシ、生まれつきこの顔でございまして。もしお気に障るようでしたら、申し訳ございません」


「うんうん。その謝罪でさっきの『っげ』を許しちゃおうかなぁ~♪」


「……寛大なお心、感謝いたします」


 内なる焦燥に気付かれまいと努めて冷静な声色で腰を曲げる雅代まさよ

 その際、姫の異変に横目で確認したが、麗夏れいか嬢の嬉々とした「そうだ」を耳にしてすぐに顔を上げた。


「いいことを思い付いた! ねえ、雅代まさよ、ウチで働いてみる気はない? 今のあなたは暫くお給料もらってないと聞いてるけど? ウチなら、華小路はなこうじ家の現役時代よりも出せちゃうんだけど、どう?」

 

 この期に及んでまだヘッドハントしようとするとは、相変わらず懲りない人だ。そう思った雅代まさよは、また彼女に平身低頭する。

 

「せっかくのお心遣いに感謝しておりますが、遠慮させていただきます。ワタシは――」


 だけど、麗夏れいか嬢がわざと雅代まさよの言葉を遮って、こう続けた。

 

「四六時中ずっとあの子の世話をしてさぁ、一体何が楽しいの? 生きているようで死んでいるみたいな人間の世話を、ずっとしても無意味だとは思わない?」


「うん、そうそう~」


「そ・れ・に、次期当主はあたしになるんだから、転職先をどこにするのか、今の内によく考えておいた方がお得だぞ~♪」


「そんなバカな……! 先代当主様のご遺言を無視するおつもりですか!」


 先代当主――一三いちぞう氏の遺言により、姫は成人と同時に華小路はなこうじ家次期当主となることが決まっている。

 五姉妹の末娘であるのにも関わらずだ。それを無視するどころか覆ることすら許されていないはず。それなのに、麗夏れいか嬢の勝ち誇った笑顔を見ると、焦燥感が増すばかり。


 やっと焦りを露わにした雅代まさよの表情に満足したように、彼女はふふふと妖艶な笑みを浮かべるまま言葉を継ぐ。


「そんな人聞きの悪いことを言わないで、雅代まさよ。あたしはただ、あなたと同じく、華小路はなこうじ家の未来を心配しているの。先代当主様がご逝去されてからもう既に10年が経ったのよ? 

 がいつまでも城に戻りたがらない以上、あたしが代理になってあげると名乗りに出たわけよ。分かった?」


 クッ、と思わず下唇を噛む雅代まさよ。それとは対照的に、姫は俯くまま。感情を喪失したその表情こそが、次期当主の座に対する執着心の欠如の表れだと言えるだろう。

 失意した姫を見て嗜虐心がくすぐられた麗夏れいか嬢は一歩、また一歩近づく。


「それに、これ以上当主の席を空けておくわけにもいかないもの。8年間を経っても回復の兆しが見られない以上、仕方なく代わってやる。ただそれだけの話よ。

 雅代まさよも苦労したよねぇ。復帰するつもりのない人間のために長い間、空席を守っていたのだから。でも、あたしが来たからにはもう大丈夫よん♪」


 最後の方で甘ったるい感じの声になっていて、あまりの不快さに吐き気がする。三十路になる手前の女性として、自分より年上の同性の猫撫で声を聞くと、どうしても生理的嫌悪感が湧き上がるもの。

 目前まで接近してきた麗夏れいか嬢から少しでも遠ざけようと、一歩後ろへと下がろうとしたところで、雅代まさよは彼女の目を見て背中が粟立っていくのを感じた。

 鋭い冷刃に逆撫でされそうな、深く冷徹に輝いている碧瞳の前に雅代まさよは言葉を失う。まるでとどめを刺すように、麗夏れいか嬢は笑みを深めながら告げた。

 

「いくら祈ってもね、雅代まさよ、奇跡が降ってこないのよ。特に、回復するつもりもない人の元には、ね」


 いつの間にか、雅代まさよを介して姫を責め立てる空気になっていた。

 雅代まさよが姫の代わりに応戦した時から、姫はとっくに白旗を上げていた。それなのに、二人の姉はなりふり構わず、執拗に嫌がらせを続ける。

 その結果、姫は自分の感情を押し殺して、殻に戻ろうとしている。見れば、みおは車椅子の後ろで更に身を小さくして、震えていた。


――このままではダメだ。

 そう思った一人の少年の声が、暗鬱な空気を鋭く切り裂く。


「――同士討ちは、いつの時代でもよろしくナァーイ!」

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