第2話

 そんなある日、雅代まさよ一姫かずきが一生懸命に他のお嬢様に話しかけても無視されたところを目撃した。幼いながらも、一姫は自分がイジメられていることに薄々勘付いていたとしても理由までは分からなかった。

 それもそのはず。なぜなら、彼女は自分だけが特別扱いされていたことを知らなかったからだ。

 どうしよう、と思い悩む一姫かずきを見て、窓拭きをしつつも様子を見守る雅代まさよ。当時の雅代まさよはまだ一介の清掃担当ハウスメイドに過ぎず、お嬢様たちと何らかの関わりを持つことに禁止されていた。

 唯一の例外は、一三いちぞう氏の命を実行する時のみ。それに、現場にいるのは一姫かずき雅代まさよの二人しかいない。

 

――これは憧れの一姫かずきお嬢様とお近づきになれるまたのないチャンスだ、みすみす見逃すわけにはいかない。

 逸る気持ちを抑えつつ、雅代まさよは彼女との接近を試みるもすぐに引き返したのは、ある人の姿が見えたからだ。


「ここにいたんだね、一姫かずき。さあ、午後の授業が始まるから、部屋に戻ってなさい」


「……ねえ、お爺様。どうして、次期当主になるのが私なの……?」


「こ、これ、おじいじ言ったんだろう? その、部屋の外で無暗にその話題を持ち出すのは……」


「ねえ、どうして……」


 可愛がっていた孫娘に上目遣いされて、彼はようやく観念したように深く重い息を吐き出す。


「……そうだ。この華小路はなこうじ家の未来を背負える者が一姫かずきしかいないんだ。残念なことにな」


 それを聞いた雅代まさよは驚きすぎて、危うく雑巾を落とすところだった。まさかあの話は本当だったとは、一ミリも思ってもみなかったのだろう。


「さあ、おじいじと一緒に部屋に戻りましょう」


「……うん」


 半ば強引に一姫かずきを部屋に連れ戻す一三いちぞう氏が去るのを確認して、雅代まさよはホッと一息。不覚にも二人の会話を聞いてしまった彼女の心中には後味の悪い思いだけが残った。

 


 それから雅代まさよ一姫かずきとの接触を図るために、あちこちに回って情報収集を行い、それを基に彼女の一日のタイムスケジュールを作成した。

 しかし、彼女の時間のほとんどは授業、一三いちぞう氏との食事や外出などに充てられていることが判明。どれだけ知恵を絞り出しても、どうしても『偶然に身を委ねるしかない』という結論に辿り着いてしまう。


 しかしそんなある日、その偶然が早くも雅代まさよの元に訪れた。何やら思い悩んでいる様子で廊下を歩いている一姫かずきを発見して、生唾をゴクリ。

 もしこれが上手く行けば、憧れのお嬢様付きレディースメイドになれるかもしれない。そんな打算で一姫かずきに接近する雅代まさよ


「どうかなさいましたか、一姫かずきお嬢様。何やら思い詰められている様子でしたので……。ワタシでよろしければ、お話をお聴き致しますが」


「……うん。あ、でもここでは他の人にも聞かれちゃうから、ちょっと移動しましょう」


 雅代まさよが二つ返事で了承して、滅多に使われていない部屋で話すことになった。

 彼女と話してみると、意外なことに彼女はしっかりとした芯を持っていることが発覚。落ち着きのある口調の上に、自分の価値観もしっかり持っていらっしゃる。とても9歳の子との対話とは思えないほどだ。


――なるほど、当主様がここまで可愛がっていたのにも頷ける。

 眼前の人物一姫こそが華小路はなこうじ次期当主として相応しい器であることを、雅代まさよを納得させるのには十分だった。相談内容はやはり、他のお嬢様方と関連のことがほとんど。

 むしろ、事情の大まかを知っている人間にとって、聞くだけで心苦しくなるものばかりだ。


『バカにされようが無視されようが関係ない。家族だから仲良くしたい』


 そんな思いが雅代まさよにひしひしと伝わっていた。しかし、長年に渡って蓄積されてきた恨みつらみを一夜にして解決できるほど容易ではない。

 一三いちぞう氏がほとんどの華小路はなこうじ本家の息女を分家に嫁がせてから以上、まだ屋敷にいるのは四女の麗夏れいか嬢と三女のすみれ嬢のみ。

 二人とも揃って一姫かずきの年齢とは相当離れており、最も近い麗夏れいか嬢とは10年の年齢差がある。どうしてもジェネレーションギャップは生じてしまうだろう。

 おまけに、一姫かずきの両親に当たる人物はもう屋敷には住んでいない。つまり、彼女の親族に当たる人物は、この状況を作り出した張本人、一三いちぞう氏一人のみ。



 他のお嬢様方とのわだかまりを解消する前に色んな問題が立ちはだかっているが、まずは一つずつ解決していこう、で話し合いが一旦終了。

 これからは定期的に作戦会議を開こう、と雅代まさよが提案したが、それよりももっといいアイデアがある、と一姫かずきが勝ち誇った顔で言う。


「……貴女、私の専属メイドになる気はない? 確か、メイドって色んな種類があるでしょ?」


 それを聞いた雅代まさよはポカーンとした。まさか、こうもとんとん拍子に行くとは思ってもみなかったといった様子だ。

 ただ彼女の相談を一度乗っただけでこんなあっさりと行くものとは、まさか罠なのか。一瞬身構えたものの、すぐに納得して緊張を解した。


――それだけ、彼女が独りだということか。


 ずっと一三いちぞう氏の庇護の下で育てられ、使用人たちの誘導で訳もなく姉たちを遠ざけられ、そんな姉たちから一方的にイジメられ、無視されてきた一姫かずき

 四六時中にずっと大人たちに囲まれている環境の中で、果たして彼女は心置きなく心情を吐露できる相手がいるでしょうか。


 どれだけ屋敷が大きくても、どれだけの使用人に囲まれても、相談できる相手が一人もいないようでは、最早無意味だ。見れば、彼女は拒絶を恐れて、小さな手が震えている。それに、本人から持ち掛けてきたのなら、むしろ本望と言えよう。

 ならば、雅代まさよのすることはただ一つのみ。



 彼女は片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま両手でスカートの裾を軽く持ち上げて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。


「かしこまりました。本日より、一姫かずきお嬢様にお仕えさせていただきます、錦雅代にしきまさよと申します。ご命令とあらば、すぐに駆けつけて参ります。以後、お見知りおきを」


「……うーん。なんか物足りないんだよねー」


 はあ、と思わず間抜けた声で返す雅代まさよ。彼女的にはあれが誓いの言葉のつもりなんだけど、どうやら新しい主人が納得できなかったらしい。すると、一姫かずきは何かを思いついたように、パッと笑顔を咲かせた。


「そうだ。ねえ雅代まさよ、ちょっと屈んで屈んで」


 言われた通りに、雅代まさよは目が合わせるように屈めると、一姫かずきが小指を差し出してきた。


「――私と指切りして。ずっと一緒にいるよの約束をするの!」


 実に子供らしい約束に雅代まさよは思わず笑みを漏らし、自分の小指を絡ませた。


「これから先、どんなことが起きようと必ずお嬢様の傍にいます」


「えへへ、これからもよろしくね、雅代まさよ


 新しい主の眩しい笑顔につられて、雅代まさよも「はい」と返した。

 一姫かずきは相談相手ができ、雅代まさよは念願のお嬢様付きレディースメイドになった。これから一緒に問題を解決していこう、と張り切ったその次の日、ある一報が華小路はなこうじ邸を震撼させた。

 華小路はなこうじ家四代目当主・一三いちぞう氏が急逝したという訃報が。

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