第7話

 二人はすっかり我が物顔で入室すると、


「私が来たゾ! ヒンメェェェエエエエ~♪」


「へへへ、一緒に遊ぼ~、お姉ちゃぁ~ん! あれ?」


 無人の談話室に迎えられ、もう一度確認するように室内を見回したみおは首を傾げる。

 いつもなら、姫は定位置に座っていて、その傍らに雅代まさよが控えているはずなのに、それがどこにも見当たらない。飲み物を買う時以外は滅多に7階から離れることはなかった二人が、今日に限って不在。

 もしかして、姫に何があったのか。

 そんな想像を亮は頭を振って追い払い、代わりに笑顔を浮かべる。

 

「とりあえず、二人を待つカ!」


「うん!」


 暇を潰すために二人は世間話に興じていると、あっという間に20分が経過した。しかし、談話室は依然として亮とみおの二人のまま。

 最初、みおも楽しく話しているが、段々と心にここにあらずといった感じで、話に集中していなかった。初めはドアのチラ見していたが、今ではすっかりドアの方を向けていて、明らかに二人のことを心配している様子だ。

 このまま待っても埒が明かない。

 そう悟った亮は自分たちだけで二人を探そうと提案したら、それがあっさりと可決されて、みおと一緒に出て行った。









 一方、その頃。高山中央病院の中庭にて。

 姫と一人の英国紳士と同じベンチで座っている。せっかく僅かな生気が戻った碧眼が、鈍く光っている。それに一瞥した紳士は、ただ残念がるように黒いトップハットのツバを掴み、視線を前に戻す。

 病人服を纏う男の子が、両親と手を繋いで楽しげな笑い声で行き過ぎる。退院が決まったのだろうか。微笑ましく親子連れの背を見送った紳士は、双眸から微笑を消すと、今度は哀愁を宿して俯く。


「Are you really okay to just live on like this? Would you reconsider just one more time?

(君は本当にこのまま生きていくつもりなのかい? もう一度、考え直してくれても……)」


「.....Such efforts would only end in vain. After all, it's my fate to carry on this pain forever.

(……そんなことをしても徒労に終わるだけ。だって、この痛みを背負っていくのが私の運命なんだから)」


 本場の英国人の前でも臆さず、ネイティブな英語を返す姫。その堂々とした姿勢は、彼女が幼少期から受けていた英才教育の賜物と言えるだろう。

 姫の返事を聞いた紳士は、参ったとばかりにベンチの背もたれに寄りかかり、小さく肩をすくめる。


「Well, some destinies can be changed.

(変えられる運命だって、きっとありますよ)」


「......Well, if you're willing to sacrifice your precious time for this useless girl. I might as well reconsider your idea. Besides......

(まあ、もし貴方がこんな私のために貴重な時間を浪費したいってどうしてもと言うのなら、考え直してもいいわ。それに……)」


 涼風が通り抜けて、力のない沈黙ばかりが残る。


「......The world will still keep on turning even without me. Isn't it so?

(……私がいなくても世界は回り続ける。そうでしょう?)」


 紳士は押し黙り、立ち上がる。

 残す別れの言葉もなく、ただその場から去っていく。

 そこで丁度亮とみおをすれ違い、挨拶代わりに微笑みかけて通り過ぎる。みおは咄嗟に車椅子の後ろに隠れたが、


「どうもーッス! お疲れ様でぇース!」


 淀んだ空気をぶち壊すように、紳士の背に向かって叫ぶ亮。しかし紳士の方はそのまま建物に入っていったので、彼は前に視線を戻すと、みおが「お姉ちゃーん」と姫に抱きついた。

 けれど、そんなみおのハグにも無反応な姫。なんだか彼女の様子がおかしいと感じつつも、亮は近付いて様子見をすることにした。


「ねえ、さっきの人はだぁ~れ?」


「……別に」


 不愛想だと見受けられるような、酷く単調な声色。亮が姫の顔を覗き込もうとして前に回ると、彼女がいきなり立ち上がって思わず後退る。

 その際、亮は見てしまった。あの濁った碧の双眸を。

 これ以上見られたくないとばかりに、姫は二人から顔を背けて離れていく。


「お姉ちゃん……」


 みおの細い呟きは姫の後ろ姿に届くはずもなく、秋の気配が混じった風に攫われた。悲壮感を漂わせている、どこか物寂しげな背中に掛ける言葉を見つからず、ただ見送ることしかできなかった。

 一体、何があったんだ姫。

 その疑問だけが、亮を支配する。








 それからとくに会話が弾んだこともなく、三人は7階に戻った。

 一見姫が無表情のようだが、どこか思い詰めている様子のようにも見受けられる。重苦しい空気が続く中、姫は談話室のドアを開けると、テレビの音が聞こえてハッと顔を上げる。


「やっと戻ってきたのか、一姫かずき


「もう、待ちくたびれたのよぉ~。一体、どこでほっつき歩いてたのぉ~」


 テレビの音がそこで途切れて、二人の女性が同時にソファから身を起こした。片方は長身でスレンダーな体型の女性で、もう片方の女性の身長は百五十未満だ。

 だけど、姫よりも身長が低いその女性からは、言い難い威圧感を感じる。それに飲み込まれたかのように、亮は固唾を呑み込み、みおは車椅子の陰に隠れた。


「……何をしに来たの」


 彼はちらっと姫の方を見やる。冷淡な碧瞳には静かな怒気が孕んでいる気がした。心なしか、部屋の明るさが一段失われたように思える。


「いやねぇ、そんなの決まってるじゃない。かわいいかわいい妹の見舞いに来てあげたのよん♪ 嬉しいでしょ?」


 低身長の女性の言葉に、スレンダーな女性が「うん、そうそう~」と共感した。二人が人受けする笑顔なのに対して、姫の表情は更に険しくなる一方だ。

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