第8話 この縁を切りたくありません。
「ユキノ、よく聞け。俺たちの仕事は諜報だけじゃない。頼まれれば、金品と引き換えに人も殺す。そういう汚れ仕事を何でも請け負うのが風の民だ」
ユキノは初めて聞く話にぞわりと背筋が寒くなった。
言われてみれば、トウガは『殺す』という言葉を簡単に使っていた。トウガを見たことを誰かに話したら殺す。
「殺したこと、あるの……?」
「当然のことを聞くな。長が自分の手を汚さないわけがないだろ」
「そう、よね……」
喉が渇き切って、言葉がうまく出せなかった。
「お前にはできないだろ? お前はいつも領民の命を第一に考えている。命が奪われることに心を痛める。そんなお前が奪う側の世界で生きるられるか? バカな考えはさっさと捨てることだな」
風の民について誰も教えてくれなかった。トウガもこの事実だけは口にすることはなかった。
それを今さらながらに告げてくるのは、トウガからの別れの言葉のように思えた。
ユキノが何かを言わなければ、トウガは去って行ってしまう。そして、次は呼んでも会いに来てはくれない。二度と会うつもりはない。そういう気配を感じた。
「わたしは……それでもトウガがいい。トウガだって、好きで人の命を奪っているわけじゃないでしょ? 生きるためにそういう生き方しかできなかっただけよね?」
「それは否定しないが」
「だったら、今からでも遅くないわ。これから変えればいいのよ」
「簡単に変えられていたら、今この時までに変わってる」
「そんなことない! 風の民がこの国で暮らせばいいのよ。何人いるのかは知らないけど、住むところならいくらでもあるわ。朝廷に払う税は足りなくて困っているけど、食糧は充分にあるし、こちらとしても働き手になる男性はほしいところだもの。わたしが国守の父様を説得して――」
「ユキノ」と、トウガに遮られた。
「残念ながら、カヒラに朝廷を動かす力はない。俺たちがここにいるとわかれば、朝廷は軍を起こして、この国に攻め込んでくるだろう。俺たちだけでなく、
トウガの言う通り、今ここでユキノが良策を思いつけるほど甘くはない。
でも、ここであきらめたら、本当にトウガとの縁が切れちゃう……! 考えて、考えて!
トウガが床下にいてくれる間に答えを見つけるしかない。それにはまず情報が必要だ。その情報を得るために必要なのは時間――。
時間稼ぎをするためにも話を続けるのよ!
ユキノは一つ深呼吸をしてから口を開いた。
「ねえ、トウガ。風の民はいろいろな情報を持っているわよね?」
「少なくともお前よりはな」
「わたしと比べないでよ」
ユキノはむうっと口を尖らせてから気を取り直した。
「風の民がわたしたちのように平和に暮らせる方法はあるんじゃないの? それがどれだけ難しいことでもいい。教えてくれるのなら、わたしの一生をかけてもその対価を支払うわ」
「それはまた、お前にとってずいぶん都合のいい話だな」
「そう? トウガだって、今の生活を変えられるものなら変えたいと思ってるんでしょ? トウガにも得があることをわたしが全部支払うって言ってるんだから、トウガの方に都合がいい話じゃない?」
「お前はまた無茶苦茶なことを……」
トウガはあきれたように笑っていた。
「わたしが聞いているのは、その方法があるのかないのかよ。それだけ聞くにも情報料を取られるの?」
トウガはひとしきり笑った後、ため息をついた。
「方法があるとしたら一つだけだ」
「あるのね!? なら、教えて! わたし、何だってするわ!」
ユキノは目の前がぱあっと開けたような気がしたが、トウガの次の言葉ですっと頭が冷えた。
「お前の命をかけてでもか?」
「命?」
「ただの
戯れ言……? 違うわ。
トウガの返答にはわずかながら迷いがあった。どちらかというと、うっかり口を滑らせたといった感じだった。トウガの知る『方法』に、ユキノの命が関係するのは間違いない。
危険なことだから? それとも――
「トウガ、前の長が言ってたんだけど、金十両払ったら、わたしを監視している理由を教えてもらえるの?」
この十年、トウガとは時間をかけて色々な話をしてきたが、得られた情報を全部集めてみても、その理由は見つからなかった。
「先代もずいぶん高く見積もったものだな」
トウガはそう言って、ふっと笑った。
「相手が子供だと思って、ふっかけたってこと? それとも、当時にしては高かったってこと?」
「先代の目が確かだったという話だ。そうだな、俺でも金十両はもらう」
「でも、あと一年もすればその価値はなくなるんじゃないの?」
「情報に付く値は状況に応じて変化するものだ」
ユキノはそれを聞いて、ふふふっと笑っていた。
トウガの言ってた『方法』、これでわかったわ。
「トウガ、忙しいのはわかるけど、明日一日待ってくれない? 日暮れまででいい。もう一度話をしたいの」
「日暮れまでだな?」
「うん。山で会いましょう」
「わかった」
その言葉を最後に、トウガの気配は床下から消えた。
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