第7話 全力でぶつかってみます。

 波ノはのくにに三人の青年を送ったのは、冬のさなかの晴れた日だった。


 ユキノはカヒラや彼らの家族と一緒に、ナラキ川のほとりまで見送りに来た。


 波ノ国までは、舟で下れば三日ほど。ぞくに襲われる心配もない安全な旅路ではあるが、この雪深い時期の舟旅は寒さで凍える。三人にはせめてもと、今年狩ったばかりのクマの毛皮を持たせた。


 向こう一年は戻って来られない三人には、申し訳ない気持ちしかない。ユキノたちにできるのは、無事の帰りを祈ることだけだった。




 トウガがユキノのもとに来たのは、それからさらに十日ほどが経った頃だった。


 会いたいと伝えてから優にひと月以上が過ぎている。忙しいとは聞いていたが、ここまで待つのは初めてだった。


 寝入りばな、コンコンと床を叩く音にユキノは跳ね起きた。


 うう……会いたかったんだけど、微妙に理由が違ってるのよね。


 これがトウガに会う最後と決めて呼んだはずなのに、大王おおきみの病によって予定が狂ってしまった。


 もっともいつかは采女うねめとして都に行かなくてはならないことを考えれば、これを最後にしてもいいのだが。


 さよならを言うのなら、決まってからでも遅くはないわよね。


 会えるうちは何度でも会いたいと思ってしまう。


「忙しいんですって? こっちに来て大丈夫だったの?」


 ユキノは寝床の上に座りながらそっと床に手を置いた。この真下にトウガがいる。


 話をする時、いつの間にかできた癖だった。直接触れることはできなくても、こうしていると彼の温もりが伝わってくるような気がするのだ。


「そういう約束だろ」


 お腹に響くような低い声は、相変わらずそっけない。


「まさかひと月も待たされるとは思ってなかったけど」

「すねてるのか?」


「違うわよ!」と、とっさに返してしまい、トウガに笑われた。


 次が最後と思うと、呼び出した頃はその日が来るのは、先であるほどいいと思っていた。が、都へ行く必要がなくなってからは、まだか、まだかに変わっていた。


 こんなに待たされたら、すねたくもなるわ。


「最後に会ったのは夏の終わりだったわね」


 大王はその頃から病に伏したと聞いた。同じ頃から風の民が忙しくなったのも容易に想像ができる。


 今の大王には六人の皇子みこがいる。誰が次の大王になるのか、朝廷ではいろいろな思惑が張り巡らされている頃だろう。


 こういう時ばかりは、権力者も情報集めに処刑対象であるはずの風の民を利用する。武器を持たないだけで、戦乱の世の中と変わりない。


「ああ。ずいぶん間が空いたな。もう呼ばれることはないかと思ってた」


「どうして?」


「お前もいい歳だろ。年が明ければ十六か。つまいがあってもいい頃じゃないか」


 トウガには一番言われたくない言葉だった。腹が立っても仕方がない。


「おあいにく様。こんな辺境の何にもない国に婿に来たい、なんていう奇特な男性はいないのよ」


「それで、もうじき大王が代替わりをするとも知らずに、采女うねめになる気満々だったと」


 笑いが含まれるトウガの言い方に、ユキノは恥ずかしさと苛立ちで、かあっと頬を染めた。


「笑いに来たの!?」


「うーん、いや? ほっとしている」


「それは、わたしが死ななくてよかったから? それとも采女にならなくてよかったから?」


「この場合、同じ意味だろ」

「全然違うわ」

「どう違う?」


「トウガはわたしが新しい大王に献上されるのはいいの? 少なくとも父様はいいって言ってたわ」


「お前の人生だ。望むことをすればいい」


 今まで何度となくこんな風に遠回しに質問をしてきたが、ユキノの気持ちがトウガに伝わっているようには思えない。


 この逢瀬おうせを最後にしようと決めた時、ユキノは言おうと思っていたことがあった。実際、最後にする必要がなくなった今も、やはり伝えるべきだと思い直した。


 トウガがユキノの期待する答えを返してくれないということはわかっている。それでも、最後の最後に、一度くらいは悪あがきをせずにはいられない。


 だって、ここままじゃ、いつまで経っても前に進めないもの。


 采女になるのは、全力でぶつかってもダメだった時だと決めていた。


 ユキノは床についた両手をぎゅっと握りしめた。


「わたしが望むのはトウガだけよ。望むままに生きろって言うなら、わたしはトウガと結婚して、生涯を共に生きたい」


 ユキノは精一杯の想いを言葉にしたが、トウガの呼吸を乱すことすらできなかった。


「ユキノ、何度も言ったが――」


「住む世界が違うって言うんでしょう? だったら、わたしが風の民になる。この耳があれば、そんな風に隠れていなくても、たくさんの情報を集められる。きっと誰よりも役に立つわ」


「今の平和な生活を捨てて、朝廷に追われる身になるっていうのか?」


「そんなのは覚悟の上よ。それでもトウガと生きる方を選ぶわ」


「この国はどうする? 大事にしている領民たちを捨てるのか?」


「国守は父様よ。わたしがいなくなるとなれば、養子を取るなり、この国の将来を改めて考えるわ」


 トウガの深いため息が聞こえる。今までなら『仕方ない』と譲ってくれる合図だったが――


 今回ばかりは違った。

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