第2話 わたしの我がままな恋が原因です。

 ユキノは矢筒と弓を肩にかけると、御館みたちの裏にある山に入った。


 山といっても国境くにざかいに連なる険しいものと違って、半日あれば頂上に着いてしまう小さなものだ。とはいえ、シカやイノシシ、クマなども生息し、鳥の飛来も多い。狩りの獲物には事欠かない恵みの山でもある。


 下草が生い茂り、歩きづらい道ではあるが、幼い頃から登り慣れているユキノにとっては散歩道にも近い。


 中腹に向かいながら、時折脇道に入って木の根元を覗く。そこには毎年この時期に生えるキノコがあるのだ。


 平地であまり野菜が取れない緋ノ国ではキノコが重宝される。秋は採れたてのまま料理にするし、干したものは保存がきくので年中使われる。


 しかし、やはり夏に雨が降らなかったせいで、例年に比べると育ちは悪い。


 せめて生薬しょうやくになるキノコがあれば、多少の米には替えられるところだったのだが――


「キノコもダメかぁ……」


 ユキノはため息をつきながら両耳に差していた真綿まわたをつまみだした。


 途端に音の洪水が押し寄せてくる。


 木の葉の揺れる音は耳元で手を叩かれているかのよう。鳥の鳴き声は頭の中を突き刺すような痛みを与える。


 ユキノは良く聴こえる耳を持っている。集中すれば一里(四キロ)先の人の声まで聞こえるものだ。おかげで、普段は真綿で耳栓をしていないと、頭が痛くてかなわない。


 ユキノは深呼吸しながら襲い掛かる音の渦の中から探している音を拾い上げる。


 一番近くにいる人間の呼吸――。


 二本離れた木の上で見つけたが、あまりに簡単に見つかり過ぎて、ユキノは拍子抜けした。


「今日はずいぶんかわいらしい監視役さんがついてるのね」


 しまった、というようにコクンと息を飲む音さえ聞こえてしまう。『かわいらしい』が気に入らなかったのか、むっとしたような気配も伝わってきたが、ユキノはかまわずに聞いた。


「トウガに会いたいんだけど」

おさは忙しい」


 木の上から声変わり前の少年の声が返ってくる。歳の頃はせいぜい十を過ぎたくらいだろう。姿は見えないが、もうじき十六歳になるユキノからすれば充分『かわいらしい』部類に入る。


「そう、忙しい、、、の」

「だから、あんたなんかに関わっているヒマはないんだ」


 ユキノは思わずくすりと笑ってしまった。


 情報、だだ洩れじゃないの。


 どこの国にも属さず、金品と引き換えに諜報ちょうほうを請け負う『かぜたみ』――その長であるトウガが忙しいと、少年は言ったのだ。


 戦乱の時代、各地の王たちは風の民を大いに利用していたという。特にそういう時代では『情報』は万金に値した。しかし、伊呂波いろは朝廷が各地を平定し、平和な時代になってからは、その仕事も減ったはずだった。


 それがここへ来て、忙しくなった。朝廷周りで何かが起こっているのは間違いない。


 とはいえ、何があったか聞いたところで、風の民がタダで答えてくれるわけがない。『情報』こそが彼らの収入源なのだから。


「なら、トウガに伝えて。わたしが会いたいって言ってるって」

「いつになるかわからないぞ」

「それでかまわないわ」


 さて、今夜の夕餉ゆうげはあったかいキジ鍋にしようかしらね。


 ユキノは肩から弓を外し、一本矢をつがえた。


 狙いは声の聞こえてくる木の上――。


 ビーンと弾かれた弓弦の音とともに、矢はまっすぐ狙いの的に飛んでいく。


 トスッとやわらかいものに刺さった音、続いてドサリと下草が揺れる音が聞こえた。


 直後、「あっぶねえな!」と、少年の怒鳴り声が降ってくる。


「君ももっと精進しないと、一人前になれないよ」


 ユキノはふふふっと笑って下草の中に落ちたキジを拾い上げ、真綿を耳に詰め直すと山を下り始めた。


 風の民は鳥や獣の呼吸をまねて、その気配を消す。同じ木にキジが止まっていたので、少年は擬態ぎたいしていたのだろう。しかし、ユキノの耳では人間の呼吸としか判断できなかった。


 今までの監視役はだれればかりで、ユキノもかなり耳をすませないと気づけなかったものだが――


 そんな手練れたちが皆出払って、あちらこちらへ情報集めにでかけている。おかげで、さほど重要ではないユキノの監視役は、半人前の少年にあてられているらしい。


 どうやらただ事ではなさそうだわ。




 *****




「明日、オヒトのところへ行ってくるよ」


 夕食のキジ鍋をくりやの机でつつきながらカヒラが言った。


 オヒトはカヒラの弟で、山を越えた隣の穂ノほのくににいる。


 本当ならばカヒラとともにこの国の未来を支える人だった。しかし、オヒトは緋ノ国の女性を選ばず、上国の国守に取り入って、その末姫すえひめを妻にした。今では穂ノ国のむらおさの一人に納まっている。


 生まれ育った緋ノ国を捨て、その責務をすべてカヒラに押し付けた叔父に、ユキノはあまりいい印象を持っていなかった。


「叔父様に頭を下げるの?」


 この状況では国守として当然の決断だとわかりながら、そのオヒトに援助を申し出るという選択は気に入らないと思ってしまう。


 ユキノの口調が尖っていることに気づいたのか、カヒラは苦い笑いを浮かべた。


「領民のために頭を下げるくらい安いものだよ」

「穂ノ国も凶作でしょ。頭を下げたからって、どうにかなる問題とは思えないけど」

「わからないから、訪ねてみるんだよ」


 あまりに安直な父を見て、ユキノは不安しか感じない。


「そういうことなら、わたしも同行するわ」

「いや、僕一人で行くよ」


 カヒラにしては迷うことのない即答だった。


 わたしが一緒に行くのはまずいのかしら……?


「ユキノには委任状を渡しておくから、僕が留守の間、国のことを頼むよ」

「父様がそう言うのなら、国守の代理、引き受けます」


 ユキノがしぶしぶとうなずくと、カヒラはほっとしたように笑った。


「ユキノ、自分の責任だなんて思わなくていいんだからね」

「でも、やっぱりわたしのせいで――」

「僕が我がままを言っているせいだよ。責任は僕にある」


 実のところ、三年前からこの国が下国から昇格できる機会はあった。国守の娘を采女うねめとして大王おおきみに献上すれば、その国に課される税率は大きく下げられるのだ。


 ユキノが十三歳になる年、もちろん朝廷からその打診は来たが、カヒラはそれを断った。


 母サクナはユキノを産んだ時に亡くなっている。カヒラはそれ以降も妻をめとることがなかったので、子供はユキノしかいない。


 国守の後を継がせるために、ユキノには婿を取らせたい。一人娘を献上することはできない。


 朝廷にはそう断りの文言を返したのだ。


 大王の近くにはべる采女に求められるのは知性と教養、そしてなにより美貌。それこそ隣国にまで聞こえる美しい姫となると、采女献上も強制的なものになる。


 その点、ユキノは平凡な容姿なので、断ったからといって、特に朝廷との間に軋轢あつれきが生じるということもない。つまり、朝廷からすると『税で優遇されたいなら姫を差し出せばいい』程度の話なのだ。


 しかし、緋ノ国からすると向こう十年以上、毎年の徴税で働き手を失わずに済むものである。


『ユキノがそばにいないと、淋しいからね』


 カヒラはそんな風に言っていたが、本当のところはユキノが嫌だと拒否したからだ。


『父様を一人にするのは心配だわ。片付けが下手なんだから。わたしが都に行ったとたん、執務室の床が抜けてしまうわ』


『都では四つ足を食べるのは野蛮だって言われるんでしょう? わたし、獣肉が食べられなくなるのは嫌だわ』


『美しくもない下国の姫が大王の後宮でどういう扱いを受けるか、父様も知ってるでしょう? 下働きをするくらいなら、父様のお世話をする方がいいわ』


 嘘ではないが、そんな子供らしい言い訳をいくつも並べたてた。


 ――が、ユキノの本音は違うところにあった。


 采女になると、後宮の下級女官の扱いとはいえ、大王以外の男性からの妻問つまどい(求婚)は受けられなくなる。大王の『所有物』になるのだ。


 ユキノには幼い頃からの大切な友人、トウガがいる。自分が彼以外の男のものになるという現実に直面して、初めて彼に対する感情が恋だということに気づいた。


 彼以外には触れられたくない。触れたくなるのは彼だけだということに――。


 結果、そんなユキノの我がままな恋のために、領民には重荷を押し付けることになってしまった。


 茜に目を付けたのも、せめて何とかできないかと、半ば罪滅ぼしのためでもあった。


 あれから三年、税のために働き手を失うことは避けられた。しかし、今年、再び領民に迷惑をかける事態になると、あの時に自分が献上されていたらと思わずにはいられない。


 国守の娘として生まれた以上、割り切らなくちゃいけなかったのに……。


 父に対し、領民に対し、申し訳なく思う気持ちは、どんなに『ユキノのせいじゃない』と言ってもらっても、変えられるものではなかった。


 それ以上に、父のやさしさに甘え、今でもその恋にしがみついている自分を責めずにはいられない。


 オヒト叔父様の援助が受けられなかったら――


 ユキノも領民を守るために、覚悟を決めなければならない時が来る。

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