辺境の貧乏小国の姫は、自分の恋のために権力を欲する。

糀野アオ

第1話 増税のお知らせが届きました。

「ぬあぁぁぁぁ……!!」


 高い山々に囲まれた小さな国――緋ノ国ひのくにくにもり(領主)が住む御館みたちに、少女のものとは思えない雄たけびが響き渡る。


 もっともその姿も、麻ひもで簡単に束ねた長い黒髪に足結あゆいでくくったはかまと、少年に間違われてもおかしくないものだが――。


 あまりの衝撃に『何ですって?』が声にならなかったのだ。


 国守の一人娘ユキノの手の中にあるのは、たった今朝廷から届いたばかりの書簡――『増税のお知らせ』。


 緋ノ国で唯一『税』として納められるのは、緋色の染料になる茜の根のみ。ところが、今年の夏は雨が少なく、春に株分けした苗木が育たなかった。


 定められた税を納められないことは早い時期からわかっていたので、朝廷には減税、、の嘆願書を提出したはずだった。


 その返事がまさかの増税、、


 何かの間違いではないかと、ユキノは何度も書簡を見直したが、どうやっても『減税』には読めない。


 まさか、父様、嘆願書を出し忘れた、なんてことはないわよね……?


 あのぽやん、、、とした父ならありうる。


 ユキノは危うく書簡を握りつぶしそうになりながら、父カヒラの執務室に駆けていった。


 『国守の御館』などと立派な名前で呼ばれているが、その実、カヒラとユキノの私室が一つずつと執務室があるだけ。高床式になっているだけで、大きさは板葺いたぶき屋根の民家とさほど変わらない。その執務室も保管している書簡に埋もれて、蔵に等しい。


 カヒラはそんな部屋の真ん中に置かれた文机ふづくえに向かって仕事をしていた。

 ユキノはかまわずずかずかと入っていって、その文机に手にしていた書簡を叩きつける。


「父様、減税の嘆願書は間違いなく朝廷に送ったのよね!?」


 ずらとあごひげに白いものが混じり始めたカヒラは、見るからに人の良さそうなやさしい顔立ちをしている。ユキノのほんのり目じりが上がったきつめの顔とは似ても似つかない。


「うん、もちろん」とうなずくカヒラは、ユキノの勢いにも動じた様子もなく、書簡に目を通し始めた。


「ユキノ、これ、国守宛に来た書簡だよね? ダメだよ、僕より先に読んじゃ」


 ちらりと上げられた父の視線がぐさりとユキノに突き刺さる。


 嘆願書の返事を今か今かと待っていたので、朝廷からの使いだと聞いて、その場で書簡を開いてしまったのだ。


「そ、それは勅書ちょくしょじゃないからいいかなーと……」


「それは、まあいいとして……困ったねえ」


「そうよ!」と、ユキノは気を取り直して声を張った。


「今年の分でさえ足りないのに、さらに一割増しなんて、無理に決まってるわ」


「山のどこかに生えていない?」


 ノンキな父に対して、ユキノはため息しか出ない。


「嘆願書をしたためるにあたって、山の中は全部見たでしょ? 領内くにうちにある山、どこを探しても茜は生えてないわ」


 正確には、来年の株分け用の茜は残っているが、これを根こそぎ抜いてしまったら、来年の税が払えなくなってしまう。ないも同然と考えなくてはならない。


「また領民には苦労をかけてしまうな」


 カヒラが暗く落ち込むのを見て、ユキノもまた唇を噛みしめた。


 生産物で足りない税は、十五歳から三十歳までの男性を一定期間、無償労働に出すことで補うことはできる。が、朝廷から与えられる労働は、土木作業や建設作業といった危険が伴うものばかり。行ったきり帰ってこない領民も多い。緋ノ国としても働き盛りの人手を失ってしまう。得をするのは朝廷だけのにえのような徴税だ。


 実のところ、つい三年前までは毎年税として領民の男たちを朝廷に送り出すのが、この国では当たり前だった。


 もともと金の採掘で栄えた緋ノ国は、鉱脈が枯渇してからは衰退していく一方の地。平地が少なく、土地がやせていて、農業には向いていないのだ。キビやヒエなどの雑穀は育つので食糧には困らないが、米のように税としては納められない。


 山に囲まれているだけあって樹木は豊富だが、逆に種類が多すぎるという弊害がある。木材として好まれるヒノキやスギもあるものの、まばらに生えているだけ。一本や二本では『特産物』としては扱えない。養蚕に欠かせない桑の木も育たない。


 税として差し出すものがない貧しい国――緋ノ国は朝廷からは上中下のうち、『下国げこく』と格付けされている。


 労働力の代わりになるものがあったら――。


 そう考えたユキノが目を付けたのが茜の根だった。


 茜は種子が取れないつる性植物で、増やすことが難しい。その分希少性があって、緋色の染料は都でも人気が高く、その原料となる茜の根は高値で取引されていた。


 緋ノ国の山で茜が自生しているところを見ても、土壌や気候は栽培には適していると見ていい。栽培ができるようになれば、毎年一定量の根を生産できるようになる。


 試行錯誤の結果、株分けをして増やせる方法がわかり、税として納入することが認められた。


 やっとみんな穏やかに暮らせるようになったのに――


大王おおきみは何を考えてるのかしら……」


 今年の夏の干ばつは緋ノ国に限ったことではない。


 山を越えた穂ノほのくにやその向こうのくには、朝廷の食糧庫と言われるくらいに米の生産量が多い上国じょうこく。しかし、緋ノ国を水源とするナラキ川から水を引いているので、同じく干ばつの被害に見舞われているはずだ。


 緋ノ国と違ってそんな上国では、一割程度の増税など、前年の備蓄でどうにでもなるに違いない。それでも収穫量の少ない年に増税は、領民の不満しかあおらないと思う。


「一番の原因は波ノ国はのくにの高波だろうね。塩田えんでんの修復が最優先になる。人手は欲しいところだろう」


 カヒラの言葉に、ユキノは小さくうなった。


 海に面した波ノ国で生産される塩は、どこの国でも使われている。塩は穀物と並んでなくてはならない栄養素の一つ。その波ノ国の塩田がこの秋の嵐で壊滅状態になってしまったのだ。


 早く修復しなければ塩の価格が高騰こうとうして、それこそ増税分を支払うより痛手になることは目に見えている。


「それはわかるけど――」

「ユキノ、ここで考えてみたところで、状況は変わらないよ」


 これで話は終わりとばかりに、カヒラは文机の仕事に戻るので、ユキノは執務室を出ていくしかなかった。




 *****




 その昔、この南北に細長い島は三十ほどの国に分かれていた。各国の王たちは国の領地拡大や主権をめぐって争い、長い間平和とは無縁の時代が続いていた。


 百年ほど前、隣接する三つの大国――くに呂ノろのくに波ノはのくにが同盟を結び、ヤツオ王を伊呂波いろは朝廷の初代大王おおきみとして擁立ようりつした。


 以来、周辺の国々は次々と平定され、朝廷の支配下に置かれることになった。かつての王たちは『王』を名乗ることは許されず、代わりに『くにもり』の称号を与えられ、領地の管理を任されている。


 緋ノ国も『長い物には巻かれろ』的発想で、朝廷にくみしたらしい。


 世が世なら、カヒラが『王』と呼ばれていた。もっとも隣国に攻め込まれる恐れがない平和な時代だからこそ、人の良いカヒラでも国守が務まるのかもしれない。


 当然のことながら、今現在も伊、呂、波の三国は、大国として朝廷に対する大きな影響力を持っている。ただ、同盟を結んでいるといっても、仲が良いわけではないので、いつも自国の利益を優先して、反目し合っている状態だ。


 その見えない争いに周辺の国――特に緋ノ国のような小国は振り回される。今回のような増税も、この三国の思惑の上で定められたのではないかと疑っている。


 朝廷にくみしたところで、何の得もないじゃないの。


 それがユキノの常々思っていることだ。


 そもそも何の生産性もない緋ノ国など併合しても、朝廷にとって何の益もないように思える。緋ノ国にとっても、人も物資も多い上国に有利な政策ばかりで、ますます貧しくなるばかりだ。


 戦が多く、治安の悪かった百年前はともかく、今はこの貧しい国にわざわざ盗みに入る賊すらいない。朝廷に守ってもらわなくても、充分に領地の平和は維持できると思うのだ。毎年朝廷に税を払うだけ無駄なような気がしてならない。


 ……ああ、今はそれよりも増税分を何とかすることを考えなくちゃ。

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