第8話「如月農園」
結局、その日、妃美子は学校を早退した。真っ青な顔をして、ガタガタと震えている我が子を見て、両親は、妃美子が風邪でもひいたのではないかと頻りに心配した。
妃美子は、
「大丈夫だから……寝てれば治るから……少し1人にさせて……」
と、今にも消え入りそうな声で言ったっきり自室に籠って、ずっとガタガタと震えていた。
夕飯の時間になっても一向に部屋から出てくる気配のない娘を心配した母は“鶏肉とかぶのクリーム煮” を片手に、妃美子の部屋をノックした。妃美子は返事をすることができないほど怯えていた。
「妃美ぢゃん、妃美ぢゃん、入るわよ!」
母が部屋の電気をつけると、部屋の隅で、毛布に包まり隙間から目だけを覗かせた妃美子がぼんやりと母の方に視線を向けたが、焦点は合っていなかった。
「妃美ぢゃん、いったいどうしちゃったの? 学校で何があったの?」
「何もねえよ……」
「だったら、これ食べて! “鶏肉とかぶのクリーム煮“ 妃美ぢゃん好ぎだっぺ?」
「いらねえ! “かぶ“ なんて、もうだぐさん! 見だくねえの!」
妃美子は、突然声を荒げ、わっと泣き出した。只事ではない雰囲気を察した父が妃美子の部屋に駆けつけた。
「
温厚で陽気で、普段、滅多なことで怒らない父に叱られたショックで、妃美子は泣き止むどころか、さらに激しく泣いた。
「まあ、まあ、お父さん……そーたに大ぎな声出したら、妃美ぢゃんが怖がって、話せるごとも話せなぐなっちゃうじゃねえのよっ、もうっ!」
母が、父を宥めると、父は申し訳なさそうに頭を掻きながら、
「大ぎな声出してすまなかったな、
と言った。
「どうして、うぢには執事がいねえの?
どうして、うぢには、ロシア人の護衛がいねえの?
どうして、うぢは、かぶ農家げ?」
(最低だ……高校生にもなって、親に当たるなんて……
父ぢゃんも母ぢゃんも何も悪くないのに……こんなに心配してくれているのに……)
「
大ぎぐなったら、お婿さんもらって、ピンク色の軽トラに乗って、かぶ農家を継ぐんだって、言ってだじゃねえが?」
いつも陽気で呑気で、ちょっと人前で大声で話すのは恥ずかしいけど、優しくて大好きな父ぢゃん。村一番の美人で、料理が上手で、明るくて、自慢の母ぢゃん。
今まで見たことがないような2人の悲しそうな表情を見て、妃美子の心がギシギシと音を立てて軋んだ。しかし、一旦口を衝いて出た言葉は、妃美子の心とは裏腹に勢いを増し、次々と、言葉の刃を両親に投げつけた。
「父ぢゃん、いったいいづの話をしてるの? そーたの、私が子供の頃の話じゃねえの!」
「そうが……
そう言って、父は悲しそうに微笑んだ。
妃美子が、両親に投げつけた言葉はそのまま妃美子の心に突き刺さり、鋭利な刃物で抉られるような痛みに耐えかねた妃美子は、自責の念にかられ、ただただ泣き叫ぶことしかできなかった。
妃美子は知っていた。
――大きくなったら、おムコさんをもらって、ピンク色の軽トラックに乗って、かぶ農家をやりたい! 如月 妃美子――
と書いた小学校の卒業文集の『みんなの将来の夢』というページに付箋を貼って、両親が大切に保管していることを……
心の中で、何度も何度も両親に謝りながらも、妃美子は、言葉に出すことがどうしてもできなかった。
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