動き出す針
<過去回想〜10年前>
跡取り様の身の安全が一番ということで家から追い出された俺は、寮生活の高校時代を送り、必死になって勉強したおかげで、東京の大学に奨学生として入学することができた。
高校卒業後、学校のあった県庁所在地で就職してもよかったのだが、なんとなく同じ県で暮らしているとどこかで関わりになりそうなのが嫌で、都会に出たかったというのが一番の理由。
最初は人の多さだけで悪酔いしそうだったが、都会暮らしを始めて2回目の冬にもなると、訛りもほとんど出なくなり、自己満足かもしれないがだいぶ馴染んできたかと思う。
「だけど東京でも冬は寒いんだよな……」
山の中にあった故郷は時折雪が積もることもあるような地域だったので、東京はそれより温かいのかなと最初は思ったが、去年も今年も寒かった。寒いものは寒い。
とはいえ家の中で全てが片付くことはない。特に俺は親の援助は受けられないから、生活費のためにどんなに暑かろうと寒かろうとバイトはサボれない。
忙しいと言えば忙しいけど、学生の多い街だから贅沢しなければそれなりに暮らせるし、何より煩わしい身内に振り回されなくて済むのが心に余裕を生んでいた。
◆
「祐ちゃん……」
「真希……ちゃん?」
そんなある日、駅からアパートに向かう帰り道のことだった。通り道となる商店街は買い物時間とあって多くの人が行き交い、俺はたびたび人を避けながら家路を急いでいた。
そんなとき、通り過ぎようとしていたカフェのテラスに座っていた女性とふと目が合うと、途端に彼女から目が離せなくなった。
まさか、こんなところで再会するなんて……
「久しぶり、だね」
「う、うん……」
「ゴメン、俺の顔なんて見たくないよね。じゃ、これで……」
「待って!」
気まずい雰囲気に居たたまれずそのまま去ろうとしたら、彼女に引き止められた。
「そんなに視線を逸らされたら私のほうが気まずいよ」
「お、おう……」
「時間、ある?」
「ある……」
引き止められてしまった以上そこではいサヨナラと言うわけにもいかず、俺も飲み物を注文して同席することになった。
「5年ぶりか」
「そうだね」
「まさか東京に出てきているとは思わなかったよ」
「うん……出来るだけ遠くに行って暮らそうってお母さんが。それで東京なら働くところもあるだろうからって」
「おばさんは……元気にしてる?」
「うん、元気にやってるよ」
彼女が町を離れたとき、少なくない慰謝料は支払われたと思う。
だからと言って知り合いもいない大都会にいきなり放り出された形になったわけで、それが自分の身内のせいだと思うと、ますます申し訳ないと感じてしまい、恐る恐る近況を尋ねてみれば意外な返事だった。
彼女は中学卒業までの数ヶ月間こちらの中学に通っていたが、高校入試を間近に控えた頃、突然倒れて入院してしまったらしい。
その診断結果は適応障害。心に大きな傷を負った15の少女が、慣れぬ環境で暮らすことは大きな負担。それでも親に心配をかけぬようにと気丈に振る舞っていたのだが、彼女の心は限界を超えてしまったのだ。
そのため約1年、ゆっくりと心を休めて治療に専念。翌年に入学した通信制の高校を今年の春に卒業し、今は近くにある専門学校に通っているという。
「この近くでバイトを始めたからあちこち見て回っていたんだけど、こんなことってあるんだね」
「俺もビックリしたよ。こんなに人の多い街でまた会うとは思わなかった。その……今は無理とかしてないのか?」
「以前に比べたらだいぶ元気にはなったと思う」
「そうか、それは良かった。折角こんなところで会えたんだし、俺で良ければいくらでも力にな……」
そう言ってハッとなって口を閉ざした。
過去の記憶を消し去り、新たな生活を始めた街で、その記憶に呼び起こす身内に出会い、あまつさえ力になるなどど言われて彼女がどう感じるか。それを失念していたと……少し後悔した。
「……やっぱり、会えて良かった」
「ん? どういうこと?」
俺が言ってからしまったという顔をしたのが見えたのか、真希ちゃんは心配は杞憂だとばかりに、昔見慣れたあの優しい微笑みでそう返してきた。
「この街に来たのは偶然じゃないの。祐ちゃんが、いるって知ってたから……学校も近くを選んだんだ」
「え?」
「アカリちゃん。覚えてる?」
アカリとは小中の同級生で、聡太郎の彼女。彼は「アイツとは腐れ縁」みたいに言ってたけど、中学の頃にはなんだかんだで付き合うようになり、高校を出て就職した今もまだ続いている。
本人は否定していたが、いずれ結婚するんだろうなという雰囲気は隠せない関係の子だ。
「アカリちゃんとだけは連絡を取っていたの」
俺は加害者の親族ということで、彼女に関わることを断った。いや、正確には親父に断たれたと言った方が正しいな。おそらく俺が被害者家族と繋がりを持ち続けることで、自身の権力にどこかで綻びが生じるのを恐れたのだろう。
だから彼女が街を去ったときも俺はその事実を知らされることもなく、見送りにすら行けなかった。電話番号も変えてしまったらしく、連絡を取る方法すら失った。そう思っていたはずなのに、アカリにだけは引っ越し先を教えていたのだとか。
彼女もまた、別れも言えず去って行くのが心残りだったそうだが、直接コンタクトを取って俺の立場が悪くなることを案じたらしく、アカリ、そして聡太郎経由で連絡する手段を残してくれたのだ。
もし、どうしても連絡を取らなければいけないことがあれば。という話であったようだが、この5年間何もなかったと言うことは、便りのないのは良い便りということわざ通り、彼女が無事であったということだろう。
……もしかしたら、聡太郎のやつが連絡し忘れた可能性も僅かにあるけど。
「違うよ。祐ちゃんが親元を離れるまでは……って黙っていてくれたんだ」
地元にいる間に何らかの連絡が入って俺が動いてしまえば万が一があるとも限らない。そう思って聡太郎とアカリは真希ちゃんに近況を教えつつ、俺の前では彼女がどこにいるか自分たちも知らないと装っていたのだ。
……そういえば、大学に進むときに俺がどこに住むのかってやけに聞いてきたな。東京に遊びに来る気でもあるのかと思ったが、真希ちゃんに知らせるためだったか。
「今日も本当は祐ちゃんの家を訪ねに来たんだ」
でも留守だったねと笑う真希ちゃん。だろうね、今の今まで大学に行っていたから。
「どうしてわざわざ会いに来てくれたの?」
「謝りたかったから……」
彼女は自分が街を去った後に、俺が家で大暴れしたことを2人から聞いて知っていた。それで俺が家を半ば追い出されたことも。それを自分のせいだと気に病んで、会って話したかったのだそうだ。
「私のせいで……ごめんね」
「真希ちゃんが謝る事なんて何一つない。遅かれ早かれあの家は出るつもりだったし、金銭的には大変だけど、むしろ縁が切れたと思えば安いもんだ。だけど、それなら聡太郎に伝言でもしてから来れば良かったのに」
「分かってる。アカリちゃんにもそう言われた」
「なら、どうして」
「怖かった……」
聡太郎とアカリの2人は彼女に会ってやれと発破をかけていたらしいが、会えなくなった経緯がアレすぎて、真希ちゃんはもしかしたら俺が会うのを嫌がるんじゃないか、会いに来たら迷惑なんじゃないかと考えていたらしい。
そんなの……要らぬ心配だというのに。
「俺は君と別れた覚えはないよ」
「え……?」
「別れようなんて言った覚えも言われた覚えもないけど? 真希ちゃんにはあるの?」
そう言うと彼女もそれはないと否定する。それはそうだろう、だって何も会話できずにお別れになってしまったんだから。
「二度と会えないと思っていたのにこうやってまた会えたんだ。嬉しくないわけがないじゃないか」
「祐ちゃん……」
「ああ、でもこんな未練タラタラなこと言ってたら、今付き合ってる人に申し訳ないか」
「……いないよ、そんな人」
「そうなの? 真希ちゃんは可愛いからモテないわけないと思うんだけど」
「えっとね、ずっと引きこもりみたいな生活してたのよ。出会いも無いし、それに……あんなことがあったから男の人と付き合うとか……」
「……ゴメン、調子に乗った」
「ふふっ、昔と変わらないね」
――5年前のあのことを未だに引きずっているのではないか。
真希ちゃんが言った昔と変わらないという言葉は、当然いい意味で変わらないと言ってくれているのだろうし、裏にそんな意味を含めて言っていないだろうことは分かる。
だけど……そんなことを考えてしまうあたり、案外自分の気付かないところで引きずっていたのかもしれないと、今さらながらに気付かされてしまうな……
「そういう祐ちゃんはどうなの? あれから5年も経ったし、彼女の1人や2人くらいいるんでしょ」
「いないよそんなの」
ここで真希ちゃんのことが忘れられなくてなんて歯の浮くようなセリフを言うつもりはない。
高校時代はどうやってこの田舎から逃げ出そうかとばかり考えていて、勉強やアルバイトに精を出していたからだ。
「遊ぶ時間を作るくらいならバイトのシフトに入るぜという生活で、彼女を作ろうとも思わなかった。って、あの2人から聞いてなかったのか?」
「彼女はいないはずとは聞いていたけど、2人だって直接会ったわけじゃないし、ホントのところは分からないじゃん」
「そんな隠れてコソコソする必要ないっての。でもあれか、ということはお互いあれ以来フリーってことで合ってる?」
「……そうなるかな」
わざわざ会いに来てこんな話になると言うことは、そういう可能性を期待して……
いや、早まるな。単に会いに来ただけかもしれないじゃないか。
「どうしたの?」
「いや、もしもだよ、5年前のあの日途絶えてしまった俺たちの関係の続きを、今から始めようって言ったら……真希ちゃんはどう思う?」
俺の一方的な勘違いだったら甚だ恥ずかしい話ではあるが、ここで言わなかったらきっと後悔する。そう考えたら思わず口がそう動いていた。
「それって、私に同情してる?」
「ゴメン、そうなのかもしれない。見知らぬ人ばかりの中で久しぶりに知ってる顔に会えたからかもしれない。でも、今ここでそれを言わなかったら、なんだかもう二度と会えないような気がして……」
「……本当に私でいいの?」
「そうじゃなかったらこんなことは言わないよ。あの日の続き、もう一回やり直さないか」
「やり直しじゃないよ。別れようなんて言った覚えも言われた覚えもない。そう言ったのは祐ちゃんでしょ。ちょっとの間、会えなかっただけだから」
優しげな声でそう言う真希ちゃんの瞳には、うっすらと光るものがあった。
それを見た瞬間、俺の中で止まっていた時計の針が"カチリ"と動く音がした気がした。
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