崩れ去る地盤

 結果的にあのときの俺の判断は間違ってなかったと思う。誰かさんが止めに入って未遂に終わったせいで、こうして2回目が起こったわけだから。


「ぐっ……あのときは、こうなるなんて思わなかったんだ」

「俺もあの頃はガキだったからよく分からなかったけど、性犯罪って再犯率高いんだって知ってた? あのとき俺が潰して「おけばこんなことにはならなかったんだよ」




 15年前、俺がクズ野郎をボコボコにしたあの日。最後の仕上げに奴のを再起不能にしようと思って蹴りを入れようとしたんだ。


 なんでそう思ったか、今は何となく理解できる。が生きている限り、またあの野郎は同じことを繰り返すんじゃないか。性の知識が少ない子供であったけど、漠然とそう予感していたんだと思う。


 使。だけどどんな便利な道具でも使い方を間違えれば凶器になる。そしてこの男クズは確実に間違った使い方をするだろうから、使と思ったんだろうな。


 もっとも、すんでのところでお手伝いさんや親父の秘書がそれを見つけて慌てて止めに入られてしまったわけだが。




 その後、親父には後継ぎ様に対してどういう了見だと責められたが、そのときはこちらも怒りが収まっていなかったので、クズの言ったことを洗いざらいぶちまけたところ、みるみるうちに頭を抱えだした親父。あれは見物だった。


 更生を誓った息子を信じて八方手を尽くし、若気の至りによる誤りとして終わった話、過去の話として処理しようとしていたのに、実は計画的犯行だったなんて人には聞かせられない。そう判断した親父はこのことを表には出さず闇に葬った。


 クズ野郎は怪我の具合が酷いものの、地元の病院ではどこから話が漏れるか分からないので、謹慎と称して大きな街の病院で秘密裏に入院。


 そして俺は跡継ぎ様と同居させていてはまたいつ暴発するか分からないので、寮生活の私立高校に押し込めて町から、そして家から追い出され、二度と帰ってくるなと命じられたんだ。




「俺の顔を見たら跡継ぎ様が怯えるから帰ってくるな。だったよね?」


 言われたとおりに好き勝手に生きてきたのに今更後を継げと言われても困る。ここまで放置したんだから、大事大事にお育てになった跡継ぎ様の更生をこの先も期待すればいいのだ。


「もうアイツはだめだ。そんなこと言わずとも分かるであろう」

「分かってるよ。それももう15年前からね。だからこそ使い物にならなくしてしまえって言ったのに」

「そんなことをしたらアイツの次の跡継ぎが出来んではないか!」

「結果的にそれが正解だったじゃん。今さらだけど」


 相手の会社の社長は、県内では政財界に顔の広い人だ。地元選出の国会議員とも懇意で、今回ばかりは親父の権力とやらも通用しない。


「だいたいさ、俺が跡を継げってどういうこと? 犯罪者が身内にいて議員とか、とてもじゃないけど務まらないよ」

「示談の条件が私の引退なのだ……」


 不祥事に責任を感じ、今期で議員を引退。そして地盤を長男ではなく、東京で働いていた三男に譲り、地元に新しい風を吹き込む。シナリオとしてはそんなところだろう。


 だけど、それで「はい分かりました」と言えるわけがないでしょ。


 身内の不祥事とはいえ、それはあくまでも本人の責任であり、議員を務める親が連帯責任を負う話ではない。過去にそういう状況で議員を続けた人は数多くいる。


 それこそ、「議員として地元に貢献することで自分の責任を果たす」とでも言ってね。


 だから親父が議員を続けたいのならば、示談交渉が決裂して、跡取り様が実刑を食らおうとも気にせず出馬すればいいのに、わざわざ仲の悪い三男に跡を継がせようというのだ。どう考えたって何かあるとしか思えないよね。


「つまり親父は、自分の代わりに俺に貧乏くじを引かせたいわけなんだね」

「な……何を言う!」

「あのさ、親父が次の選挙危ないって話を、俺が知らないとでも思ったの?」

「なっ……」




 俺に継がせる理由。それは自分が選挙に出て負けるのが嫌だからだ。


 この地域の県議会の定数は、旧平津市が3、緑山町を含めた旧郡部が1だった。


 それが市町村合併と人口減少に伴う区割りの見直しによって、合併後の平津市全体で3に減らされたのが前回の選挙から。


 それまで8回連続で無投票当選を果たしていた親父が、初めて迎えた複数候補のいる選挙戦。はっきり言って、平津の人にしてみたら親父なんて見知らぬ田舎のおっさんだから厳しい戦いであった。


 幸いあちらのベテラン議員が1人引退して不出馬だったので、何とか3番目の椅子に滑り込んだのだけど、引退した議員に代わって立候補した若い新人と最後までデッドヒートで、最後の最後まで勝敗が分からないほどだったのだ。


 それから3年半。敗れた新人候補は雪辱を期すべく勢力的に活動し、旧平津市のみならず、緑山を含めた郡部にも支持を広げている一方、親父の時計は止まったままだ。


 そこへきて跡取り様の不祥事だ。ただでさえ勝ち筋の見えない戦いを前に、あまりにも大きなマイナス要素を抱え、負けて晩節を汚すくらいなら、選挙を前に潔く引退して息子に託すという形にしたいのだ。


 当然そんな状況で俺が選挙に出ても勝てるはずがない。だけどそれは俺の器量が足りなかっただけだと責任を擦り付けられるのは明白だ。




「まさかその程度のことを分からないほど俺が馬鹿だとでも思ったか? 随分とナメられたもんだな」

「親に向かってその口の利き方はなんだ!」

「もう親でも子でもない。そう仰ったのは貴方ですよ」


 中学を卒業して家を出たとき、俺に向かってそう言ったことを忘れたとは言わせないよと詰め寄れば、親父はバツの悪そうな顔をしている。


 ……それで心が揺れることは無いけどね。


「悪いけど俺にも俺の暮らしがあるし、向こうで結婚しようと考えている彼女もいるし、こっちには戻らないよ」

「勝手なことを!」

「高校を出たら後は自分でどうにかしろと言った人の言葉とも思えないけど? で、話がそれだけならもう言うことは無いね。これでお暇するわ」

「親不孝者が!」


 これ以上話すこともないと帰ろうとする俺に、親父が掴みかかってきた。


 が……そこにかつて俺をねじ伏せていた力強さは微塵もなく、逆に俺に抑えつけられる形になった。


「親父、いい加減にしろよ」

「離せ! この親不孝者が!」

「いつまでもアンタが力づくで抑えつけていた子供のままじゃないんだ。いい加減に現実を見ろよ。一応血のつながった親子だから、俺だって手荒な真似はしたくないんだ」


 その言葉に、俺を掴んでいた親父の手がスルッと離れた。


「もういい、勝手にしろ」


 そう力なく呟く親父。背も体格も俺の方が大きくなってしまったこともあるが、かつての威厳は見る影もなく、見た目以上にその姿が小さく見えた。


「これでお別れだ。次に会うのはアンタの葬式かな。もっとも呼ばれればだけど」


 もうここに戻ってくることはないだろう。そう確信して、俺は家の門を出た。






――プップー!


 俺は実家を後にして駅前のバス停まで戻ると、一台の車のライトが点き、クラクションが鳴った。


 時間は夜の9時を回り、既に町の外へ出るバスは終わっているが、話し合いが決裂することが分かっていて実家に泊まっていく選択肢は無かった。


 かと言ってどこかの宿に泊まるのも、友人の家に厄介になるのも面倒が起きそうなので、予め迎えの車を頼んでおいたのだ。


「おかえり」

「待っててくれたんだ」

「こっちも今さっき着いたところ。それで、どうだったの?」

「大丈夫、全部終わったよ」

「そっか……じゃあ、帰ろうか」

「ああ、帰ろう」


 車から出てきたのは真希。




 15年前、俺の兄に傷物にされた元彼女であり、今の俺の婚約者だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る