憤怒の記憶

<過去回想〜15年前>


「貴様はぁぁぁぁっ! 何をしでかしてくれたんだ!」


 あれは日暮れの時間が早くなり出した晩秋の頃だった。友人の家に遊びに行っていた俺が帰ってみれば、家の中で親父の怒号が響き渡っていた。


 怒鳴り声を聞くに相手は跡継ぎ様。今まで怒ることすらしなかった相手に向かってこれでもかというくらい罵声を浴びせている事態に何事かと思ったが、俺は関わりの無いことだからとその日は萱の外であった。


 だが翌日、学校に行ってみると彼女が体調不良とのことで欠席だった。昨日はあんなにピンピンしていたのに何があったのかと不思議に感じていたが、どうもクラスのみんなの様子がおかしく、俺に家で変わったことが無かったかと探るように何人にも声をかけられた。


 そして昼休み。いい加減探りを入れられるのにイラついてきた俺が一体何があったのかと友人に問えば、彼女が昨日学校近くの神社裏で襲われたらしく、その犯人がウチの跡継ぎ様なんじゃないかという噂が立っていたらしい。


「昨日俺を萱の外にしたのはそういうことか……」


 全てを理解すると俺はそのまま学校から帰宅し、仕事を休んで対応にあたっていた親父の元へと向かいどういうことなのかと問い質した。


「お前には関係ない!」

「関係ないわけないだろ! 俺の同級生だぞ、もう学校でも噂になって午前中だけで何人にも探りを入れられたんだぞ。どうしてくれんだよ!」

「どうもこうもあるか! この話は示談で終わらせる。くだらん噂を流さぬように手配もした。ここから先は大人たちの話だ。お前も何か聞かれたら知らぬ存ぜぬで押し通せ」

「なんだよそれ……」




 その日の前夜、アイツは親父や周囲に相当こってり絞られたらしく、衝動的にムラッときてとかなんとか弁解して涙を流して反省していたそうだ。


 ゆえに跡継ぎ様大事の親父は、更正の機会を設けたいと示談の方向で奔走することを決め、周りの大人たちも巻き込んで、若気の至りは誰しもあるなんて理解した風を装った結果、全方位から彼女たちに示談で済ませろという圧力がかかることになった。


 それに納得がいかないのは子供たち。あのクソ野郎は自分より弱い者には高圧的で、俺だけではなく小さい頃はほうぼうの子供がアイツに暴力を振るわれたり意地悪をされて泣かされてきた。


 そんな奴がお咎め無しで許されるなんてありえないと声を上げたものの、みんな親父の意を汲んだ大人たちによってその声はかき消され、あっという間に示談が成立してしまった。


 そしてそれから数日後、彼女とお母さんは人知れず町を離れていき、サヨナラ1つ言えることなく別れることになった……



 ◆



「おう、これは弟君じゃないか。元気だったかね」


 それから1ヶ月ほど後、年の瀬も迫ってきた頃のこと、事件のことなど無かったかのように暢気に遊び歩いていたクズ野郎が珍しく家におり、帰宅した俺とばったり遭遇した。


「お前に元気かなんて答える義理はない」

「おーおー冷たいじゃねえか。ま、元気が無いのは仕方ねえか」


 コイツは俺をおちょくるためだけにわざと暢気なふりをしてきたのだと直感で感じた。それで俺がイラつくのを見て悦に浸っている。悪趣味を通り越して鬼畜の所業だと反吐が出そうになるのを堪えてクズを睨み付けると、奴は少しシュンとした顔で俺に近づいてきた。


「悪かったよ……」


 そう言うとクズはさらに顔を近づけてきて、俺の耳元でこう言ったんだ。



――ホントに悪かったな。お前の彼女の大事な初めて、俺がもらっちゃって。ちょっとガキ臭かったが中々良かったぜ。



 衝動的になんてのは真っ赤な嘘。跡継ぎである自分ですらいないのに、格下の弟のくせに彼女なんて作って生意気だから、少し懲らしめるついでに遊ばせてもらおうかと思ったのが犯行の理由だと言うのだ。


 もしバレても相手は身寄りの無い母子家庭、親の力でどうにか出来るという算段もあっての犯行だと。


「実際にちょっと涙を流して反省の色を見せれば、揉み消しの方向でみんな動いてくれた。チョロいもんだぜ」


 そのとき、俺の心の中で渦巻いていた黒いモヤモヤが憎悪となって象られていくのを感じた。


 こんなクズのために彼女に辛い思いをさせてしまったという悔恨、助けてあげられなかったどころか罰することも出来なかった己の無力感、加害者の弟という立場で顔を合わせることも出来ずにお別れとなったことへの恨み。


 全てが綯ない交ぜとなったそれは、暴力という形で発現したのだった。




「何してくれんじゃー!!!」


 泣きながら飛びかかる俺に虚を突かれたのか、クズはあっという間に俺に組み伏せられてマウントを取る形になった。


「テメー、何すんだ! どけや!」

「うるせー! 何の価値もないクズがぁ!!」


 奴はなんとかマウントを振りほどこうとしていたが、馬乗りになった俺はお構いなしにその顔面に拳を振り下ろした。


「どけ! どけや!」

「やれるもんならやってみろや!」


 小さい頃の5歳差は覆しようのないもの。奴に意地悪をされようと、暴力を振るわれようと、抵抗する術すら無かった。


 クズはその頃で記憶が止まったままなのか、俺相手なら最初こそ余裕で振りほどけると思っていたようだが、何をどう動いても俺に動きを制されては殴り続けられるので、次第に顔に焦りの色が見え始めていた。


 中3にもなれば大人と体格はほぼ変わらない。まして遊び歩いてばっかりで、ブクブク太って運動のうの字も知らないよう男が、形勢不利な状態で組み伏せられているのだから、状況をひっくり返せるはずもなくただ殴られ続けた。


「やめ、やめろ! 死んじゃう、死んじゃうからぁ!」

「死にそうな人間が死んじゃうなんて言うかボケ!」


 殴り続けてどれくらいの時間が経ったろうか。青あざだらけの顔面、鼻血と唾液と涙を垂れ流し、抵抗する様子もなくグッタリしたクズ野郎を眼下に見据えても、俺の心は一向に晴れることはなかった。


「ゆる……ゆるじて……もう……やべて」

「彼女も同じ気持ちだったんじゃないかなあ。怖かったろうな、痛かっただろうな。やめてって何度も泣き叫んだだろうな。だけど、お前は止めなかったんだから俺も止める必要は無いよね?」


 この軽薄な男が反省などするはずがない。きっとまたいつか同じことを繰り返す。何の確証も無かったが直感的にそう感じた俺が最後の仕上げにとある一点を見据えた。


「もうさ、二度と悪さが出来ないようにしてやるよ。弟としては兄さんにこれ以上罪を重ねてほしくないからね」




 そして俺は足を振り上げ、その一点目がけて蹴り下ろした……

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