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 リリアーヌの母方の叔父がキーファー公国と貿易をしているというのは、それだけ聞けばよくある話で、別段問題視するようなものではない。

 キーファー公国の材木は良質で、テルドール王国の主要な建物のほとんどは石造りだが、庶民の家には木材を使うことが多い。もちろんキーファー公国の木材は庶民の手に届くような安価なものではないが、キーファー公国の木材を使った家具は人気だ。最近ではキーファー公国から仕入れた樫の木で作った机や椅子が頑丈だと評判になっている。

(材木を扱った商売をしているなら、キーファー公国と取り引きをしていて当然でしょうし、そこで知り合った出稼ぎをしたいって人々を姉の嫁ぎ先に紹介することだってそうおかしいことではないわ。でも、なんかひっかかるのよね)

 マノンは、ソランジュたちから「悪役令嬢ってのはもっと堂々としているべきよ」と注意をされているリリアーヌを見ながら、首をひねった。

(アルベリック殿下がリリアーヌに興味を持っているからかしら。リリアーヌがわたくしの弟子になりたいなんて言って近づいてきたのは、多分本心からで特になにか企んでいたりはしなさそうだけれど)

 押しかけ弟子ではあるけれど、基本的にはおとなしく気弱な性格のリリアーヌに見える。

(あれで実は腹黒でわたくしを騙して近づいたってことであれば、生粋の悪役令嬢ってことなんでしょうけれど、さすがにそこまで本性を隠しているって感じではないわよねぇ)

 トネール伯爵令嬢についてはリリアーヌが弟子入りを希望してきた日にすぐさま調べた。間諜によれば、リリアーヌは本人がマノンに申告した通り、人前で自分の意見を発することはできない気弱な性格で、婚約者であるピエリックには浮気をされ、他の令嬢たちからも嘲笑されることが多いという。

 本人の性格を根本的に変えることはできなくても、リリアーヌが多少なりとも自分の意見を主張できるようになれば、周囲の扱いは自然と変わってくるだろう。

 手始めにマノンがリリアーヌの隣に立って周囲に睨みを効かせれば、リリアーヌをからかう令嬢たちの態度も改まるはずだ。もし令嬢たちが同じような真似を繰り返すのであれば、マノンがそれとなく注意をするしかない。

 これまでのリリアーヌを見る限り、彼女はアルベリックが気にかけるような存在ではないのだ。確かに庇護欲をそそるような可愛らしさはあるし、マノンが手を差し伸べれば嬉しそうに近寄ってくる。懐かれると世話を焼きたくなるようなところがリリアーヌにはある。

 しかし、そういう可愛らしさをアルベリックがリリアーヌに求めているとは思えないのだ。

(リリアーヌは火遊びの相手としては不向きだし、かといって妃にするとしても大恋愛の末の結婚ってわけでもなさそうだし)

 アルベリックの態度を見れば、恋愛感情はほとんどないことがわかる。

(となると、キーファー公国とリリアーヌになんらかの繋がりがあるとアルベリック殿下は考えている可能性があるのよね。もしくは、トネール伯爵家と)

 キーファー公国に関しては、アルベリックは自分と公女の間に結婚の話が出た時点で情報収集を始めたはずだ。

 元国王の息子である五人の王子のうち、現在婚約者がいないのはアルベリックだけだ。

 他の国々もアルベリックを婿に迎えて、テルドール王国と縁戚を持とうとする動きはあったが、アルベリックがあちらこちらで浮き名を流して醜聞になったため、どこの国も国王にアルベリックとの婚姻について打診をためらっていた。

 結果としてキーファー公国が意を決して動き出し、ついでに他国を牽制しているらしい。

(キーファー公国が王国内にある元飛び地領土のジンク伯爵領を狙っているなら、ジンク伯爵家と縁戚を結ぼうとするわよね。でも、それならいまになって急に動き出す必要なんてないわよね。ジンク伯爵家って、いまはキーファー公国の公女と年齢が釣り合うような息子がいたかしら? でも、いまいなくても過去にはいたかもしれないし、無理にジンク伯爵領を奪わなくてもキーファー公国公家の血を引く人間をジンク伯爵家に嫁がせれば、ひとまずキーファー公国の縁者がその土地の領主ってことになるんじゃないかしら)

 アルベリックに尋ねてみてもはぐらかされるであろうことは目に見えていた。

(殿下はまず真面目に答えてくれそうにないし、色恋にしか興味がないような顔して誤魔化すのが得意そうだし、腹の中を見せないってところが困るのよね)

 自分のことは棚に上げてマノンが考え込みながらも前菜の皿の中身を平らげたときだった。

「お食事中、大変申し訳ございません」

 初老の執事が落ち着いた態度を保ちつつも困った様子でマノンの背後に立った。

「トネール伯爵令嬢にお客様がいらしておりますが、いかがいたしましょうか」

「リリアーヌに?」

 お客様、と聞いてマノンは首を傾げた。

 トネール伯爵家の使用人がリリアーヌの着替えなどの荷物を持ってきたのであれば理解できるが、リリアーヌの『お客様』という説明はそぐわない。この場合は『トネール伯爵家から使いの者が来た』と言うべきだ。そして、わざわざマノンにトネール伯爵家の使いが来たことを報告する必要もない。食後に、執事がリリアーヌへ荷物が届いたことを伝えれば良いだけなのだ。

「実は、現在ジルベール殿下の侍従殿が対応されておりますが、お客様はトネール伯爵令嬢との面会を求めていらっしゃいます」

「レオ殿が?」

 レオはジルベールの従者であるため、この夕食の席にはいない。

 もちろんミヌレ伯爵家の子息なので使用人と一緒に食事をするわけにはいかないが、ジルベールの食事が終わってから別室で食事を摂ることになっていた。

「そのお客様とやらは、名乗ったのかしら?」

 フェール公爵家になんの前触れもなく乗り込んできて許されるのは、王家かほぼ同格の他の公爵家だけだ。

「はい。ミヌレ伯爵家のご子息ピエリック・フルミリエ様と名乗られました」

 マノンだけに聞こえるように執事が答える。

「――――――なるほどね」

 レオが礼儀知らずの客人の対応をするはずだ、とマノンは納得した。

 このままピエリックがマノンの許可なしにリリアーヌに面会しようとすれば、ミヌレ伯爵家はフェール公爵家から非難されても弁解のしようがないのだ。ピエリックがマノンの目に触れる前であれば、レオとしてもピエリックの突然の訪問をなかったことにして貰えるはずだと考えているのだろう。

「このままお引き取りいただけそうかしら?」

「侍従殿では手に負えないように見受けられますが、もし私めが侍従殿のお手伝いをすることをお許しいただけるのであれば、穏便にお引き取りいただくよう善処します」

 落ち着いた態度のまま執事は答える。

「そうね。では、お願いできるかしら。もしどうしてもと言うのであれば、明日出直してきてくれるように伝えてちょうだいな」

 明日は誕生会の準備で忙しいが、ピエリックを放置しておいては何度も押しかけてくるに違いないから、きちんと会って話をするべきだろうと考えた。話と言っても、無下に追い返さないだけだが。

「かしこまりました」

 軽く頭を下げて執事は食堂から出ようとした。

 執事が扉の取っ手に指をかけたところで、ばっと勢いよく扉が外から開く。

「リリアーヌ! どういうことだ!?」

 食堂に怒声が響いたかと思うと、気色ばんだピエリックが飛び込んでくる。

 執事がさっとピエリックの前に立ち、ピエリックの腰にしがみついたレオがなんとか食堂から引きずりだそうと奮闘していた。

 ソランジュたちは驚いた表情を浮かべ、マルクは唖然としている。

 ジルベールは食事を中断して、すっと椅子から立ち上がる。

「アルベリック殿下。さっそく特訓の成果を見せていただけますか?」

 椅子に座ったままマノンはアルベリックに声をかける。

「ちょっと無理かなぁ」

 ちらっと闖入者に視線を向けたアルベリックが首を横に振る。

「いまの僕は、フォークを持ち上げるだけでも一苦労なんだよ」

 王子としての矜持がそうさせるのか、姿勢良く椅子に座ってはいるもののアルベリックは気怠げだ。

「ここはひとつ、弟に見せ場を譲ることにするよ。弟だって、婚約者の前で格好いいところを見せたいだろうからね」

「あら。わたくしからジルベール様に侵入者を追い払ってくださいとお願いすると、わたくしがジルベール様を顎でこき使っているみたいに思われませんこと?」

 ふふっと手巾で口元を押さえながらマノンは微笑みつつ、ピエリックを見据える。

「でもまぁ、あちらのお客様にしてみれば、わたくしがなにか言おうが言うまいが、わたくしが一番悪いってことになるのでしょうけどね」

(面倒ではあるけれど、ここはひとつ、ご期待に応えて悪役令嬢らしく振る舞ってやりましょうか)

 マノンが背後に目配せすると、側に控えていた給仕がさっとマノンの椅子を退く。

 悠然と椅子から立ち上がったマノンは、執事とレオに挟まれた格好のピエリックを睨んだ。

「ご自身はリリアーヌを救いにやってきた騎士気取りなのかもしれませんけど、わたくしにはリリアーヌを害しに来た悪漢にしか見えませんことよ? ピエリック・フルミリエ殿」

 ゆっくりと相手の名を呼ぶと、ピエリックはぎろりとマノンを睨み返した。

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