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 さっそくジルベールの特訓を受けたアルベリックは、夕食の時刻には疲労困憊の状態で食堂に現れた。足取りはおぼつかなく、腕にも力が入らないのか壁に手をついてもすぐに崩れそうな状態だ。それでもなんとか足を引きずりながら自力で給仕係が案内する椅子まで辿り着いた。

 フェール公爵夫妻はまだ帰宅していない。

 王宮でなにが起きているのかはわからないが、王子がふたりもフェール公爵家に滞在しているというのにアルベリックの従者どころか使者のひとりも訪ねて来ない。

 執事は「王宮にジルベール殿下の手紙は届けました」と言うが、国王からジルベール宛ての返事はなかったという。

(陛下が王子ふたりの出奔を黙認しているということ? いくら成人している王子とはいえ、貴族の屋敷に入り浸っているというのはあまり王家の外聞としてはよろしくないはずだけど)

 食堂で自分の席に着いたマノンは、大きな食卓を囲む顔ぶれを見ながら口を引き結んだ。

 晩餐というほど豪華なものではないが、今日の夕食は王子ふたりとトネール伯爵令嬢が加わったということで、いつもよりも品数が多い。

 マノンの三人の妹と一人の弟は、王子たちの他にリリアーヌがいることに驚いている。

「お姉様。あの方、だあれ?」

 四女のエミリーが三女のコラリーに尋ねる。

「あの方はトネール伯爵令嬢のリリアーヌ様よ。マノンお姉様の弟子よ」

 ソランジュが教えると、コラリーとエミリーは「ふうん。ずいぶんと可愛らしい方ね。でも、お姉様に取り入って王子様たちとねんごろになろうなんて百年早いわ」と声を揃えてリリアーヌに向かって言い放つ。

「……ごめんなさいね。このふたりは別に意味がわかって言っているわけではないのよ」

 口元を引き攣らせつつマノンはリリアーヌに謝る。

 妹たちはどこで覚えてくるのか、貴族令嬢らしからぬ語彙が豊富だ。

「いえ。皆様のおっしゃることはほぼ正しいです」

 前菜の皿を運んでくる給仕たちのぎょっとする顔に目を伏せながら、リリアーヌは苦笑する。

 今日にでもトネール伯爵家にピエリックが訪ねてくると都合が悪いため、リリアーヌも一緒にフェール公爵邸に滞在することになった。トネール伯爵家にはマノンが使いを送り、リリアーヌの着替えなどの荷物だけを届けてくれるように頼んである。

 マノンの誕生会用のドレスは、ソランジュの物をリリアーヌに貸すことにした。

 リリアーヌの背丈はソランジュとほぼ同じで、マノンよりは多少背が低いため、マノンのドレスではかなり裾直しなどが必要だったのだ。

 コラリーとエミリーはマノンを小さくしたような少女だ。十四歳と十歳で、大きな瞳をくるくると回しながら「あっちの王子様は、マノンお姉様の王子様のお兄様ですって」「似てないわね」と勝手に喋っている。

 長男のマルクは黙っている。

 王子たちに失礼がないようにしているというよりは、姉妹の会話に加わって自分に火の粉がかからないように警戒している様子だ。

 フェール公爵の屋敷内での会話は基本的に外に漏れることはないので心配は不要なのだが、マルクは将来自分が公爵位を継いだ際の王家の印象を多少なりとも良いものにしておきたいという思惑があるのだろう。現在十二歳だが、父親よりも冷静な判断ができる優秀な跡継ぎとしてすでに宮廷では評判だ。ただ、マノンという目立つ姉がいるため、彼の能力はそこまで際立って評価はされていない。

「わたしは師匠のおかげでアルベリック殿下にお声がけいただきました。さらには、殿下と親しくなる機会をいただいたのです。しかも、もしかしたら殿下がピエリック様とわたしを巡って決闘をしてくださるかもしれないとなると、わたしは師匠に取り入って殿下とお近づきになったと言われても仕方がないのです」

 リリアーヌの言葉に、マノンは苦笑する。

「その口ぶりだと、まるであなたがアルベリック殿下を誑し込んで利用しようとしている悪女みたいじゃないの」

「まぁ! 本当ですね!」

 リリアーヌは無自覚だが、ピエリックとの婚約解消のためにアルベリックを利用しようとしているのだから、悪女と誹られても仕方ない状況だ。

「わたし、ちょっとだけ師匠の弟子らしくなってますか!?」

「……さぁ、どうかしら」

 前菜を食べながらマノンは言葉を濁す。

(アルベリック殿下はリリアーヌがキーファー公国と多少なりとも縁があるって知った途端、物凄い勢いで食いついてきたわねぇ)

 昼間の温室での会話を思い返しがら、マノンはアルベリックの様子を窺う。

 リリアーヌとピエリックの婚約を解消させるためには、アルベリックがピエリックと身体を張って決闘しなければならないとレオが言ったため、アルベリックはいつピエリックから決闘を申し込まれても挑戦を受けられるようにとまずは剣術の稽古をすることになった。

 マノンは、ジルベールとアルベリックが中庭で剣の稽古をしている間に、フェール公爵家の間諜に指示を出してトネール伯爵家とキーファー公国の繋がりを調べさせた。現時点では、トネール伯爵夫人の弟がキーファー公国と交易をしているという縁でトネール伯爵家にはキーファー公国から出稼ぎで来ている使用人が多いという事実を再確認しただけだ。

(でも、アルベリック殿下は別の情報を持っているんでしょうね。今思えば、だからこそ、先日王宮でリリアーヌがわたくしと一緒にいるところで声をかけてきたんだわ)

 トネール伯爵の娘であるリリアーヌは、本来であれば王子であるアルベリックと知り合う機会はない。いくらアルベリックの交友関係が多少奔放であろうとも、婚約者がいるリリアーヌにアルベリックが声をかけると悪目立ちする。リリアーヌの評判を心配したトネール伯爵は娘を屋敷から出さないようにするだろうし、アルベリックの行動を国王も注意しなければならなくなる。

 だが、マノンがリリアーヌを連れて王宮にやってきたとなれば別だ。

 アルベリックがマノンに声をかけることについては、誰も咎めることはない。マノンはアルベリックの弟の婚約者なのだから、人目に付く場所でジルベールの侍従が側にいるとなれば会話をしたところで醜聞にはならない。

 そうやってマノンを介してアルベリックはリリアーヌと顔見知りになり、そこからさらに親睦を深めようとしているのであれば、なにか思惑があるとしか考えられない。

 レオはミヌレ伯爵家の前伯爵夫人の遺産絡みでピエリックがリリアーヌと結婚しなければならないのだと説明したが、マノンにはそれだけではないように思えるのだ。

(リリアーヌに関しては、ミヌレ伯爵家が執着する理由が前伯爵夫人の遺産だけではないように思えるわ)

 前ミヌレ伯爵夫人の遺産は、いくら遺言書があるとはいえ、結局のところはミヌレ伯爵家の物だ。遺産が手に渡る人物がトネール伯爵令嬢と結婚したミヌレ伯爵家の者、という条件が付いているだけで、もしリリアーヌがミヌレ伯爵家の跡継ぎと結婚しなかったからといって遺産が余所に流れていくわけではない。

 ピエリックはなぜかリリアーヌに執着しているようだが、もしピエリックとレオがリリアーヌと結婚しなかったからといって、遺産が消えてしまう心配はないのだ。

(ピエリック・フルミリエがリリアーヌに執着しているのは、まぁ、よくある理由なんでしょうね。リリアーヌは可愛いから、ピエリック・フルミリエと婚約を解消すればすぐに新しい結婚相手が見つかるはずだわ。現にいまは、アルベリック殿下が不純な動機でリリアーヌの婚約者の座を狙っているわけだし)

 アルベリックがリリアーヌと結婚したいと国王に申し出た場合、王は渋い顔はするだろうが、それほど反対はしないはずだ。トネール伯爵家は資産こそ少ないものの、忠臣として長く王家に仕えている。第三王子妃という立場はトネール伯爵家にとっては玉の輿だ。アルベリックの放蕩王子という看板が彼の価値を下げているため、トネール伯爵家にとっては都合が良い。王家の負債をトネール伯爵家が引き受けたという形が取れるからだ。

(問題は、トネール伯爵家がリリアーヌとピエリック・フルミリエとの結婚でどのような利益を得るかってことでしょうね)

 前ミヌレ伯爵夫人の遺産はトネール伯爵家には関係ない話だ。

 もし前ミヌレ伯爵夫人だけがトネール伯爵家に未練を持っていたのであれば、トネール伯爵家としてはリリアーヌを無理にミヌレ伯爵家に嫁がせる必要はない。トネール伯爵家としては、リリアーヌがアルベリック王子と結婚して王家との繋がりを持つことの方が重要になるはずだ。

(普通に考えれば、放蕩王子と呼ばれるアルベリック殿下が相手でもトネール伯爵家にとっては良縁のはずだけど)

 アルベリックを婿に迎えようとしているキーファー公国が、トネール伯爵家にもいくらか縁があるということが、マノンには無視できなかった。

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