21

「きさま――――――」

 大きく息を吸ってピエリックが声を張り上げようとした瞬間、ガタンと大きな家具が移動するような音が食堂に響いた。

「あらあら」

 マノンが振り向くと、食堂の壁に飾ってあった大槍をソランジュが握っている。

 先祖代々受け継がれているその槍は、ソランジュの身長よりも長い。

「わたしのお姉様を侮辱する輩は、お姉様が許してもわたしは許さないわ!」

「ソランジュ。食堂でそれを振り回すと危ないわよ」

 一応は年長者としてマノンは妹に注意した。

 椅子から腰を浮かせていたジルベールは、ソランジュの剣幕に目を丸くしている。

 それはそうだろう。彼は婚約者の妹がこれほど好戦的であることを知らなかったのだ。普段は「お姉様お姉様」と常に姉の腕にしがみついて甘えているような姿しか見ていない。

「小娘はだま――――」

 ピエリックの暴言は最後まで発せられることはなかった。

 ソランジュが大槍を侵入者に向かって投げたのだ。

 ぶんっと空気が唸るような音が響いて、大槍はピエリックの首の皮を切り裂き壁にどすっと音を立てて突き刺さった。

 まさかまっすぐに大槍が飛んでくることはないと侮っていた様子のピエリックは、大きく目を見開いている。

「おとといきやがれ」

 低い声でピエリックに向かって剣呑な声で囁いたソランジュは、素早い動きで相手の目の前まで移動して壁に突き刺さった大槍を片手で抜くと、そのまま柄を相手の頭に振り下ろす。

 避ける暇などなかったピエリックは、そのまま床に崩れた。

「えーっと……」

 ソランジュの勇姿を目にしたアルベリックがどうにかこうにか声を発した。

「あの子、妹さんじゃなかったの? 弟さん?」

 マノンに向かってソランジュを指しながら尋ねる。

「妹ですよ。父が直々に武術を指導しているので、そこそこ腕が立ちます」

?」

 アルベリックは懐疑的な声を上げる。

「ソランジュ。言葉遣いに気をつけなさいな」

 マノンが注意すると、ソランジュはぺろりと舌を出して可愛らしく「ごめんなさい、お姉様」と謝る。その手にはまだ大槍が握られていた。

「さて。このピエリック殿はどうしましょうね。うちの庭に埋めるにはちょっと大きすぎるし、あとで誰かに掘り起こされて見つかると都合が悪いから、やはりここはミヌレ伯爵のお屋敷の庭に埋めておくのが良いかしら。自宅の庭に埋まっている分には、問題ないわよね」

「問題大ありです」

 床に倒れている兄が失神しているだけであることを確認しながら、レオがぼやく。

ミヌレ伯爵家うちへ連れて帰ります。愚兄が大変ご迷惑をおかけしました」

 自分より身長と体重がある兄を引きずりながら、レオはマノンに詫びた。

「あら、そのまま連れて帰るの?」

「はい。目を覚ましてまた暴れるといけませんし」

 レオは申し訳なさそうに告げたが、マノンはしばらく考えてから首を横に振った。

「やっぱり、うちの庭に埋めておくか、地下の倉庫に閉じ込めておきましょう。どうせピエリック殿のことだから、リリアーヌがここにいる限りは何度でも来るでしょうし」

 ふふっと微笑みながらマノンは言った。

「いえ、しばらくは自宅で謹慎するのが良いかと。父にも兄がフェール公爵家でご迷惑をおかけしたことは伝えておきますので――」

「伝えなくて良いわよ」

 にこっと作り笑いを浮かべてマノンは告げながら手を振ると、執事と三名の従僕が素早くピエリックを取り囲んだ。

「どうせ誰にも行き先は伝えずに家を出てきたのでしょうから、このまま行方不明になってもらいましょうか」

「え? あの……」

 戸惑った様子でレオは兄とマノンを見比べる。

 その間に、侍従たちは意識を失っているピエリックの腕や足を掴んで食堂から運び出した。

「わたくしの誕生会に乱入されると迷惑なので、このまましばらくは我が家の倉庫に滞在してもらいましょう。もちろん、三食昼寝付きの好待遇よ?」

「それ、単なる監禁ですよね」

「自分から飛び込んできたんですもの。ピエリック殿は文句はないはずよね?」

 有無を言わせぬ表情でマノンはレオを見つめる。

「あ…………う…………はい」

 結局、レオは渋々頷いた。

     *

 夕食を終えると、客人たちはそれぞれ案内された客間へと向かった。

「お嬢様」

 自室に戻ったマノンが長椅子に座ってくつろいでいると、侍女のモモが入ってきた。

「旦那様と奥様からお手紙が届いています」

 銀盆に載せられた二通の封筒をうやうやしく差し出し、モモが淡々と告げる。

「ふうん。今日はふたりとも帰ってこないようね」

 封筒を開けて中の便箋を確認しながら、マノンはため息をつく。

 王宮にいるという父だけではなく、友人に会いに行ったはずの母までもが帰宅しないというのは珍しいことだった。

「あと、地下のお客様がお目覚めになりました」

 手紙を一瞥して円卓の上に放り出すマノンに、モモが伝える。

「あら、そう。なにか面白い話が聞けたのかしら?」

 ピエリックの見張りをしている侍従には、もし彼が目を覚ましたらいくつかの質問をするようにと命じてある。

「まず、リリアーヌ様がこちらにいることは、トネール伯爵邸で聞いたそうです。多分、トネール伯爵邸の使用人にリリアーヌ様の荷物を届けてくれるようこちらから頼んだことから、あのお客様にも伝わってしまったものと思われます。申し訳ございません」

「別にあなたが謝ることではないわ。トネール伯爵家で行き先を口止めしておくように伝えなかったのはわたくしだもの」

 頭を下げるモモに、マノンは笑いかけた。

「でも、ピエリック殿がトネール伯爵邸でリリアーヌの滞在先を聞いたということは、それなりに彼はトネール伯爵家に出入りしているということね」

「そのようです」

「ピエリック殿はリリアーヌをないがしろにしているはずなのに、ねぇ」

「はい」

 マノンの疑問にモモも首を傾げる。

「浮気をしているはずなのに、ピエリック殿はやけにリリアーヌのことを常に気にしているわよね。リリアーヌがわたくしと親しくなったことをどこからか聞きつけてきただけではなく、わたくしが王宮へリリアーヌを連れて行った際は勤務中のはずなのにわざわざリリアーヌの様子を見に来たのよね」

 円卓の封筒を指でとんとんと叩きながら、マノンは頭の中で状況を整理した。

「ピエリック殿はリリアーヌと婚約を解消するつもりは、まったくない。でも、浮気はしている。浮気相手は……誰だったかしら」

 さすがにピエリックの浮気相手には興味がなかったマノンは、どこかの夜会で見かけたはずのピエリックの浮気相手をすぐに思い出すことができなかった。

「レオ殿は、もしアルベリック殿下がリリアーヌと恋仲になろうものなら、ピエリック殿が殿下に決闘を申し込むだろうと考えているわ。それはつまり、レオ殿は自分の兄が散々浮気をしていながらリリアーヌとの婚約を続ける理由を知っているということよね。レオ殿は前ミヌレ伯爵夫人の遺産の話をしてくれたけれど、あれはリリアーヌとピエリック殿が婚約するきっかけの話であって、ただ遺産が欲しいから結婚するのであればあの執着ぶりはちょっとおかしいわ」

 多分、ピエリックは前ミヌレ伯爵夫人と似たような、初恋を拗らせると面倒な気質なのだろう。

(ピエリック殿の醜聞を聞くようになったのはここ半年くらいだったかしら? 確か、リリアーヌとピエリック殿はそれよりも前に婚約していたはずだから、最初は仲が悪いことはなかったのでしょうね。多分、そこそこ仲は良かったはずだわ。最初からふたりが政略結婚だと割り切っていたのであれば、もっと冷めた関係だったはずだし、リリアーヌだってピエリックの浮気にそこそこ目を潰れたはずよ。だってあの子の性格からすれば、相手の浮気が我慢できないって思うようになったのであれば、よっぽどのことがあったのでしょうからね)

 マノンが円卓を叩く指の速度が遅くなる。

 モモは黙って主人の前に立っていた。

(ピエリック殿はリリアーヌと結婚する意思がある。それは、レオ殿も承知しているし、ミヌレ伯爵も同じでしょうね。そうでなければ、ピエリック殿の醜聞があれほど社交界で席巻しているのに、リリアーヌとの婚約相手をレオ殿に変えないわけがないし、トネール伯爵からだって嫌味のひとつやふたつは言われないわけがないわ。でも、トネール伯爵は娘の婚約者の浮気について苦言を呈さない。ということは、なんらかの事情があるのよね。前ミヌレ伯爵夫人の遺産以外の、なんらかの事情を。それを、リリアーヌは知らない)

 伝える必要はないと誰もが思っているのだろう。

 いずれ、ほとぼりは冷めると。

「――時が来れば解決するからいまは黙っておこう、って蚊帳の外に置かれるのは、誰だって面白くないわよねぇ」

 とんっと円卓を強く叩くと、マノンは口元を歪めた。

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