15
声の方向に視線を向けたマノンたちは、明らかに迷惑そうな表情を一斉に浮かべた。
なぜなら、そこに立っていたのは第三王子のアルベリックだったからだ。
アルベリックの背後には、彼を温室へ案内する羽目になったらしい従僕がうろたえた様子で執事に助けを求めるように目を泳がせている。フェール公爵家の特別な客でなければ温室に訪問者を案内してはいけないと言われているのに、アルベリックを温室に案内してしまったことを叱責されるのではないかと心配しているようだ。
(アルベリック殿下は王子だから特別といえば特別なんだけれど、温室に入れるだけの待遇が認められた特別な客かというと、そうでもないのよねぇ)
従僕とアルベリックを見比べながら、マノンは小さく息を吐く。
一介の使用人である従僕にしてみれば、王族は皆雲上人だ。フェール公爵家が貴族の中でも特に上位の家柄とはいえ、国王の息子をぞんざいに扱って良いわけではない。使用人たちはマノンやソランジュたち公爵家の姉妹が第五王子のジルベールと親しくしている姿を見てはいるが、ジルベールが王族であることは忘れていない。そして、そんなジルベールの兄であるアルベリックが訪問したとなっては、マノンたちがいる温室に案内しないわけにはいかなかったということだろう。
「ごきげんよう、アルベリック殿下」
マノンが椅子から立ち上がって挨拶をすると、リリアーヌたちも立ち上がった。
ジルベールも相手が兄である以上は無視するわけにはいかず、面相臭そうに椅子から立ち上がった。ただ顔には「なぜここに来た?」と書いてある。
「やぁ、マノン嬢。突然押しかけてしまって申し訳ない」
まったく申し訳ないとは思っていない笑顔を浮かべてアルベリックが告げる。
「いいえ。かまいませんわ」
ジルベールが前触れなく訪問したのに咎めていない以上、アルベリックを追い返すわけにはいかない。いくらジルベールがマノンの婚約者とはいえ、同じ王子であるアルベリックと扱いを別にすることはできないのだ。
しかも、現在はなにか取り込んでいる最中ではなく、温室でのんびりと茶話会を催しているだけなのだ。そこに参加者がひとり増えたくらいで困るようなフェール公爵家ではない。
仕方なくマノンは侍女に指示をしてアルベリックのために茶を淹れさせる。
アルベリックを案内してきた侍従は、すぐさま近くに置いてあった椅子を運んできて第三王子に勧めた。
「ちょっと小耳に挟んだのだけど、君たちは花祭りに参加するんだって?」
どこから聞いていたのだ、という顔で全員がアルベリックを見つめる。
温室に入ってすぐにアルベリックはマノンたちに声をかけたわけではないようだ。
「別に、行くと決めたわけではありません」
不機嫌そうなジルベールの顔を横目で見つつ、マノンは答えた。
リリアーヌは王子がふたりになったことで緊張が増したのか表情が強張り、ソランジュは明らかに迷惑そうな顔で口を閉ざしている。レオは自分が第五王子の従者であることを思い出したのか、ジルベールの背後に立って無表情に戻った。
この場でアルベリックと会話ができるのはマノンだけだったが、彼女も別にアルベリックをもてなしたいわけではない。
「もしトネール伯爵令嬢に花祭りの同伴者がいないというのであれば、僕がぜひ彼女と一緒に花祭りに行きたいのだけど、どうかな?」
「どうかなと言われましても、殿下がわたくしに許可を求めることではありませんわ」
(リリアーヌは、アルベリック殿下から直接花祭りに誘われたら断れないでしょうけどね)
この場合、マノンがリリアーヌに代わって断るべきであることは、マノンもわかっていた。
リリアーヌはマノンを見ながら「断ってください!」と目で懇願してきている。
「殿下はトネール伯爵令嬢をかーなーり気に入られたようですわね」
先日、マノンの誕生会にリリアーヌの同伴者として参加したいと言ってきた件といい、アルベリックはなぜかやたらとリリアーヌに絡みたがるようだ。
「マノン殿の弟子なんだろう? 気になるに決まっているじゃないか」
椅子に座って足を組んだアルベリックは、思わせぶりな口調でマノンを見つめる。
途端にジルベールの目つきが悪くなった。
「トネール伯爵令嬢はわたくしの弟子ではなく、友人です」
「本人は弟子と名乗っていたよね?」
「わたくしはなんら師範の資格は持っておりませんので、トネール伯爵令嬢の師匠を名乗るつもりはありません」
アルベリックはリリアーヌがマノンの弟子を名乗ることに関して面白がっている風だが、マノンとしてはあまり吹聴して欲しくはなかった。
「でも、トネール伯爵令嬢はマノン殿を師匠と呼んでいるのだから、彼女のことはマノン殿が決めてあげるべきではないかな?」
(この王子、明らかに楽しんでいるわね……。で、なんでジルベール様はあんなに剣呑な気配を漂わせているのかしら?)
アルベリックの対応だけでも面倒なのに、ジルベールの機嫌が悪くなった理由がマノンにはわからなかった。
(わたくしのアルベリック殿下への対応が雑であることがお気に召さないのかしら。でも、あまり親しくしすぎると今度はアルベリック殿下が変な誤解をするかもしれないから困るのよね)
マノンとしては、ほどほどにアルベリックに塩対応しているつもりだった。
周囲にはまったくそのように見えていないことなど、本人がわかるはずがない。
「では、わたくしがトネール伯爵令嬢に代わって殿下のお申し出を断らせていただきます」
はっきりとした口調でマノンが告げると、リリアーヌとレオが大きく頷く。
「そもそも、殿下はなぜリリアーヌがお気に召したのですか? はっきり言って、これまで殿下がお付き合いされてきた貴婦人方とリリアーヌはまったく違いますよね!?」
過去にアルベリックと交際して醜聞になった貴婦人たちを思い返しながらマノンは尋ねた。
「あれ? 僕がこれまで付き合ってきた女性たちのことを知ってるんだ? 貴女は僕のことには興味がないと思っていたけれど、それは嬉しいなぁ」
破顔したアルベリックが声を弾ませるのとは対照的に、ジルベールの顔がますます険しくなる。
(なぜジルベール様の機嫌が悪くなるのか理解ができないわ……)
不本意ながらアルベリックと会話をしているマノンは、性格がまったく異なる兄弟の扱いに頭を抱えたい気分だった。
「興味はなくても耳に入ってくるんです」
本気で興味がない、という顔でマノンが答えると、アルベリックが苦笑する。
「そう? ちょっとは期待してもいいのかなって思ったのに」
「なんの期待ですか?」
「貴女が僕にちょっとでも気があるって期待だよ」
ふふっとアルベリックが楽しげに答えたので、マノンは背後に控えている侍女に視線を向けた。
「ちょっと、あなた。その辺りに庭師が置き忘れた草刈り鎌はあるかしら?」
「目につく場所にはありませんが、探してまいりましょうか」
「そうね。草刈り鎌がなければ、鍬でもいいわ」
「かしこまりました」
「あと、屋敷内に人間をひとりくらい埋められる場所があるかしら」
「確認してまいります」
侍女は深々と頭を下げてすぐさま指示を実行しようとする。
「あのー、マノン殿? 誰を埋めようとしているのかな?」
念のため、といった態でアルベリックが尋ねる。
「もちろん、殿下です」
真顔でマノンが答えると、ジルベールが「運ぶのは私に任せろ」とこちらも真剣な表情で告げる。
「………………一応、僕は王子なんだけど」
アルベリックが戸惑いながら言うと、ジルベールが冷ややかに返す。
「放蕩者の王子だからって暗殺対象にならないわけではないだろう? これまでの火遊びのつけを支払う羽目になって命を落とすことだってあるさ」
「ジルベール、その殺意に満ちた目で僕を見るのは止めてくれないかな? お兄ちゃんが悪かったから! 謝るから! マノン殿のことは諦める、いや、そんなに興味持ってないから!」
侍女が草刈り鎌と鍬を探し出して戻ってくるまで、アルベリックはひたすら謝り続けた。
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