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 フェール公爵家の温室の見どころは、南国の植物だ。

 テルドール王国は大陸の中でも北西に位置し、四季の中でも夏が一番短い。そして、冬が長く、一年の三分の一は国土のほとんどが雪に閉ざされてしまう。

 雪が溶けて春になり野山が新緑で覆われる頃、春小麦の種まきが始まる。

 王都コリーヌでは鈴蘭の白い花があちらこちらで咲き始めると春を迎えたと感じるようになる。

 そんなテルドール王国では温室で南国の花や木を栽培することは富裕層の道楽となっていた。

 なにしろ南国の植物は常に温かい場所でなければ育たない。冬が長いテルドールではいくら温室といえども雪に覆われれば室温が下がる。植物のためだけに温室内で暖房を炊いて気温を上げるのだから、財力がなければできない。

 二十年ほど前にコリーヌでは南国植物を温室で育てることが富裕層の間で流行ったが、冬の温室の暖房代がかなりかさむということで三年ほどで廃れた。温室のために借金を重ねて破産した貴族もいたという。

 フェール公爵家は王立植物園ほどの規模の温室ではないものの、個人所有の温室としてはかなりの規模の物を屋敷内に持っている。温室内では常に暖房が効いているので、寒い冬だけではなく春先でも気温が低い日は暖かな温室に客を招くことが公爵家の日常だ。親しい客人でなければ温室には案内しないため、フェール公爵家を訪問したことがある人々は一度でも温室に入ったことがあるだけで周囲に自慢するほどだ。

 ただ、マノンたちは花冷えする午後を温かく過ごすために温室に集まっていた。

 リリアーヌはフェール公爵家の温室の価値を知らず、ジルベールとレオは何度も温室に招かれたことがあるので珍しさはなく、マノンとソランジュは硝子の天井の向こうから差し込む陽射しと暖房で温まった室内でいつもどおりくつろぐだけだ。

「そういえばリリアーヌ。あれからピエリック殿はあなたになにか言ってきたの?」

 マノンは家出王子とその従者に関してはさしあたり放っておくことにした。

 茶話会ということでリリアーヌを呼んだのは、二日前に王宮でピエリックと遭遇したその後のことを確認するためだ。

 あの日、ジルベールに見送られてマノンとリリアーヌは車止めで待っていた馬車に乗り込み、そのまま王宮を後にした。そしてマノンはリリアーヌをトネール伯爵邸へと送り届けたが、もしピエリックがなにか言ってくるようなことがあれば自分に報せるようにと伝えておいたのだ。しかし、昨日の夕方までリリアーヌからは手紙などが届くことがなかったため、今朝になって急遽茶話会という名目の召集令状を送ったのだ。

「それが……まったく、なにも言われていないんです」

 温かい燻製茶を飲みながらリリアーヌは困惑した表情を浮かべる。

 南国から取り寄せた燻製茶は独特の香りと匂いがするが、温室内の木々の葉の匂いと混ざると馥郁とした香りに変化するのだ。

 さらに鳳梨パイナップルや林檎、朱欒ザボンを乾燥させて砂糖をまぶした菓子と合わせると、初夏の空気が味わえる。

 温室内では赤い甘蕉の花や緋色の筏葛の花が咲き乱れている。

「まったく、というのは、手紙のひとつも寄越さず、あなたが王宮にいたことを問い詰めるわけでも、乱暴な真似をしたことを謝るでもないということかしら?」

「はい」

 さすがにリリアーヌもピエリックがこの二日間まったく音信不通であることに驚いているらしい。

 いくら問答無用でジルベールに殴り飛ばされたとはいえ、ピエリックはリリアーヌに声をかけてきたのだからなんらかの用事はあったはずだ。それがたとえ「なぜあのフェール公爵令嬢と一緒にいたのか」を問うだけの内容であっても、先日のピエリックの態度からはマノンがいないところでリリアーヌに問い質しそうな勢いだった。

 それが一切無反応というのは、意外だった。

「あなたの婚約者って、ジルベール様に一度殴られたくらいで改心するような性格かしら」

「えっと――――どうでしょうか」

 歯に衣着せぬマノンの物言いに、リリアーヌは戸惑いつつ言葉を濁す。

「レオ殿はどう思うかしら?」

 リリアーヌでははっきりとした返事は期待できないと判断したマノンは、すこし離れた場所に立つレオに尋ねた。

「兄は殿下に一度や二度注意されたくらいで改悛するような素直な性格ではありません」

 ジルベールの背後に立ったレオは、冷静な表情のまま淡々と答えた。実兄を擁護する気はないようだ。

「ミヌレ伯爵家には帰ってきているの?」

「家の者の話では、深夜に帰宅しているようです。私は王宮の宿舎で寝泊まりにしているので、ここ二日は屋敷に帰宅していませんが、王宮で女官として働いている姉の話では、兄は寝るためだけに帰ってきて、夜明け前にまた家を出るそうです」

 近衛隊隊士用の宿舎が王宮の隣にあるが、ピエリックは基本的にはミヌレ伯爵家へ帰っているようだ。

「仕事が忙しいのかしら? それで、わざわざリリアーヌに文句のひとつも言いに行く暇はないということかしら」

「いまの季節、近衛隊はそれほど忙しくはないはずです。コリーヌの花祭りが終わるまでは王家主催の行事はありませんし、兄は花祭りの警備には当日のみ担当のはずです」

 マノンの質問にレオが答える。

 コリーヌの花祭りは、鈴蘭をはじめとする春の花を親しい者同士が贈り合う春の行事だ。雪解けと春の訪れを皆で祝うものだが、最近では若い男女が意中の相手に鈴蘭の花束を贈って恋の告白をしたり、恋人同士や夫婦で花冠を贈り合って親睦を深める日になっている。

 王宮にほど近い大通りでは、春の神々に仮装した人々や花冠をかぶった人々、見物人たちが練り歩く。

 この花祭りに合わせて貴族たちは避寒地から王都へ戻ってくるため、コリーヌでは花祭りが終わると本格的な社交期間が始まる。

 花祭りは市井の行事だが、王侯貴族も庶民の格好で街に繰り出す。

 お忍びで祭りを楽しんでいた貴族と町民が親しくなって恋に落ちるということもあるため、王都では身分に関係なく花祭りを楽しみにしている者が多い。

 ただ、大勢の人が街に繰り出すということは、そういった人々を狙った掏摸のような犯罪者もたくさん紛れ込むため、城下の警邏隊は花祭りの時期に合わせて警戒を強化している。地方からやってくる掏摸も多いため、近衛隊も応援要員として駆り出されるのだ。

「リリアーヌ様は、ピエリック様と一緒に花祭りに行かれたことはありますの?」

 焼き菓子を次々と食べながらソランジュはリリアーヌに尋ねた。

「いいえ。行ったことはありません。花祭りというのは庶民のお祭りなので行ってはいけないと両親から言われているんです」

 リリアーヌが首を横に振ると、ソランジュは姉に視線を向けた。

「お姉様は去年、花祭りに行かれていたわよね?」

「えぇ、行ったわ。物凄い人混みで、ジルベール様とはぐれないようにするだけでも大変だったわ」

 一年前の花祭りの日を思い返し、マノンはため息をついた。

 マノンは特別花祭りに興味はなかったが、第一王女が花祭りに行きたいと言い出したので、第一王女とその婚約者であるカタラクト王国の第一王子ダリウス・バレーヌ、マノンとジルベールが出かけることになったのだ。

 それぞれが鈴蘭の花冠をかぶって仮装行列の見物をしたのだが、王都にこれほどの数の人がいたのかと驚くほどに通りは人で溢れかえっていた。

「リリアーヌ様も今年は花祭りに行かれてはどうかしら? お姉様のような立派な悪役令嬢になりたいなら、親に反抗する気概も必要だわ」

 ソランジュが提案すると、リリアーヌはためらいがちに口を開いた。

「でも、花祭りは恋人や夫婦で参加するものですよね?」

「まぁ、ひとりで参加するものではないでしょうね。リリアーヌ様のようなお嬢様がひとりで花祭りの会場をふらふら歩いていたらすぐ掏摸に持ち物はすべて盗まれるでしょうし、遊び人や酔っ払いに絡まれるかもしれないけど、新たな出会いがあるかもしれないでしょう? 花祭りで出会って交際を始めた男女は幸せになれるって言うじゃないですか」

 目を輝かせながらソランジュが告げる。

「それか、レオ様と一緒に行かれるか、うちの弟と一緒に行くかですわね」

 フェール公爵家の嫡男マルク・ウルスはまだ十二歳だ。花祭りに年上の伯爵令嬢と一緒にいる姿を見られると、それはそれで問題になる。

「マルクはちょっとねぇ」

 マノンが顔をしかめると、レオも同意するように頷く。

「私もリリアーヌ嬢の同伴は遠慮させていただきます」

 兄の婚約者であるリリアーヌとは一定の距離を置くレオらしい判断だ。

「それなら誰が良いかしらねぇ」

 ソランジュが腕組みをして首を傾げたときだった。

「僕がリリアーヌ嬢に付き添おうか?」

 温室に、新たな男の声が響いた。

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