13

 二日後、マノンはリリアーヌをフェール公爵邸に招いた。

 一応は親しい友人だけを招いての茶話会という名目だが、フェール公爵夫人自慢の硝子張りの温室にいるのはマノンとソランジュ、リリアーヌとジルベールの四人だ。

 ジルベールはマノンが招待したわけではなく、前触れもなく訪問してきたのだ。

「あの、ジルベール様。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 陸軍の仕事や王族としての公務で忙しいはずのジルベールが突然訪ねてきたことにマノンは驚いていた。

 リリアーヌも、まさかまた第五王子と茶を飲むことになるとは想像していなかったらしく、やたらと「まさか殿下がいらっしゃるとは存ぜず、このような格好で……」と恐縮しきりだ。彼女の今日の服装は、親しい友人ばかりが集う茶話会にふさわしい外出着だったが、王族が参加する茶話会の場合は貴婦人は手袋、帽子、装飾品にいたるまで細かい決まり事がある。それらはただの慣習なので守らなければ不敬というものではないが、貴族であれば守ることが常識とされていた。この常識を知らないのであれば、鄙者として嘲笑の対象になる。

「リリアーヌはジルベール様を気にすることないのよ」

 マノンはリリアーヌに落ち着くよう促す。

 茶話会の参加者の中に王族が含まれる場合、それを他の招待客に報せるのは主催者の役目だ。伝えていない場合は、主催者の落ち度となる。招待客は王族の参加を知らなかったのであれば、服装が決まり事に沿っていなかったとしても非難されることはない。

「そうよ、リリアーヌ様。わたしたちだって、殿下がいらっしゃるなんて知らなかったんですもの」

 姉と姉の弟子と三人で茶話会ができると喜んでいたソランジュは、ジルベールの訪問を歓迎してはいなかった。とはいえ、姉の婚約者であり第五王子であるジルベールを無下にするわけにはいかない。

 マノンが茶話会に参加するのを遅らせるか、ジルベールを茶話会に参加させるかで、マノンはソランジュにどちらかを選ぶよう告げた。

 結果として、ソランジュはジルベールを茶話会に参加させる方を選んだ。

 せっかくの姉と自分が一緒に過ごす時間を減らすくらいなら、その時間に第五王子を加えた方がまだまし、という結論らしい。

 ジルベールには今日も従僕のレオが付き従っている。温室の隅に立っているので、ジルベールの視界には入らずマノンたちとの会話もほとんど聞こえない状態だが、自分からは主人の動きがはっきりと見えるという位置を確保している。主人からなにか用事を言いつけられればすぐに駆け寄れる距離ということのようだ。

「実は今朝の王と大臣たちの会議で、また王とフェール公爵が仲違いをしたらしい」

 ジルベールはマノンが淹れた紅茶を飲みながら簡潔に説明する。

「また、ですか」

 聞いた途端、マノンは「あのふたり、またか」と呆れ返ったが、もちろん表情には出さない。

 一方のソランジュは明らかに「飽きずにまた喧嘩したのね」という顔をしており、リリアーヌはぽかんとしている。

 確かに、王と公爵が仲違いをしたと聞かされても、なにが起きたのかは普通はわからないものだ。

 テルドール王国の国王ティユール七世はフェール公爵セルジュ・ウルスと同い年で、幼い頃から交友関係がある。いわば幼なじみで、子供の頃からの喧嘩友達のようなものだ。親しい間柄のため、お互いに腹を割って話ができる仲だが、遠慮なく話をしすぎることも多く、閣議の場で国王とフェール公爵が口論になることもままある。それは珍しいことではないので、国王とフェール公爵はすぐに「絶交だ!」と子供のように叫んで仲違いをする。そして、どちらかが折れるまでは口を利かないようになり、フェール公爵は「フェール公爵領は王国から独立する」と言いだし、国王はフェール公爵領の炭鉱の石炭は買わないと言うのだ。

 フェール公爵領の石炭が王都に入ってこなければ石炭が足りなくなり困るのは王をはじめとする王都に住んでいるすべての人々だ。

 一方、フェール公爵領がテルドール王国から独立すると、国家元首としてフェール公爵はいまの十倍は仕事をしなければならない。

 結果として、どちらも得はしないので、そのうちお互いの家臣たちになだめられて仲直りをするのだが、ふたりが口を利かない日数が長ければ長いほど困ることがある。

 閣議が滞るのだ。

 フェール公爵は大臣職には就いていないが、政府の要職を担っており、彼の許可が必要な公共事業が複数ある。

 しかし、国王とフェール公爵が喧嘩をしている最中は、フェール公爵が「王の顔など見たくない」と言って閣議を欠席するため、国の重要な案件がいくつも審議できないままとなる。

 テルドール王国は立憲君主制のため、国王の独断で政治を進めることはできないのだ。

「今回の喧嘩の原因はどのようなものですか」

 ここ最近の王と父の喧嘩の内容を振り返ったマノンは、こめかみを指で押さえながらジルベールに尋ねた。

(前回は陛下が父に渡した書類のインクが乾いてなくて、父のシャツの袖口にインクがすこしだけ付いたことが発端だったわよね。その前は、父が陛下に提出した書類の字が汚いと文句を言われて口論になったのよね。その前は、父が泥の付いた靴のまま陛下の執務室に入って床に敷いていた新しい絨毯を汚したとか――)

 どれもこれも些細なことが原因で喧嘩をしている。

 お互い大人なのだから、小さなことには目を瞑ればいいのにと周囲はいつも思うのだが、ふたりはそういった些事を黙っていることができないらしい。

「それが、今回の原因については私もよくわからないのだが、陛下は私と貴女の婚約を白紙にすると言い出したそうだ」

 大きなため息をつきながらジルベールが告げる。

「――――はい?」

「父は、フェール公爵が将来私を義理の息子と呼ぶことになるのが気に入らないそうだ」

「――――はぁ、そうですか」

 時々、ティユール七世は国王の威厳や臣民に対する寛容さをかなぐり捨てることがある。

(ふたりともつまらないことでしか喧嘩しないのは良いのだけど、それが公務の妨げになるのが困るのよね)

 殿方っていくつになっても子供なのよ、と母親が苦笑いを浮かべる姿が目に浮かぶ。

(大人としての自覚は足りなくても、国王と公爵という立場にあることは常に自覚して欲しいものだわ)

 こうなるともう呆れ返るほかない。

「で、私はフェール公爵から出入り禁止にされる前に、こちらに籠もることにした」

「は、い? 出入り禁止?」

「父と公爵の間でどのような言い合いがあったかはわからないが、父が私たちの婚約を解消すると言い出したなら、公爵は私が貴女と会うことを禁止するだろう。そうなれば私がこちらの屋敷を訪ねても追い返されることになるだろうから、追い返される前にこちらの屋敷に立て籠もることにしたのだ」

「立て籠もる、とは、ジルベール様、が?」

 マノンがぽかんとしながら尋ねると、ジルベールは重々しく頷いた。

 ソランジュとリリアーヌは目を丸くしており、レオは目を白黒させている。どうやら侍従である彼はなんの説明もされていなかったらしい。

「籠城だ」

「なんの目的で?」

「私と貴女の婚約解消を阻止するためだ」

「……我が家でジルベール様が籠城することが、陛下に対して有効な抗議活動になるのでしょうか? って言うか、ただの家出ですよね?」

 王子とはいえ成人した息子が何日も外泊して帰ってこないからといって、国王が困ることはほとんどないはずだ。ジルベールが担っている公務は滞るので、役人の中には困る者は出るだろうが、国王の政務には影響は出ないだろう。

「マノンの誕生会に参加できなくなったら困るしな」

 臆面も無くジルベールがもっともらしい言い訳をする。

「陛下とお父様を仲直りさせないと、家出王子がずっとうちにいるってこと? なにそれ、誰得?」

 ソランジュがぼやきながら首を傾げている。

 リリアーヌは国家機密でも聞いたような顔をしている。

「あのー、殿下の家出のご意志は固いようなので、殿下のお世話をする私も一緒にこちらで寝泊まりさせていただけますでしょうか」

 片手を上げて、レオが申し訳なさそうに告げる。

「殿下を残して帰るわけにもいかないので」

「………………いいわよ」

 マノンは仕方なく許可を出した。

 屋敷内には客間が十部屋あるので、ふたりを泊めるくらいであればいくらでもできる。

 マノンは手元の呼び鈴を鳴らして執事を呼ぶと、ジルベールとレオが当分の間屋敷に滞在することを伝え、ふたりのために部屋の準備と今夜からの食事の用意を頼んだ。

 執事はほんのすこしだけ驚いた表情を浮かべたが、「承知いたしました」と頭を下げて温室から出て行った。

(侍従付きで家出するってどういうご身分!? そりゃ、ジルベール様は王子様だけど!)

 ひとまず、父親が帰宅したら早々に王と仲直りするよう説得しよう、とマノンは決意した。

「ところで、念のための確認ですが、ジルベール様はしばらく我が家に滞在されることを陛下や王妃様にお伝えされて王宮を出られたのですか?」

 もしや、と危惧してマノンはジルベールに尋ねる。

「いや、こちらを尋ねることは出かける際に伝えてあるが、泊まることは伝えていない」

 さらりとジルベールが答える。

「伝えて、いらっしゃらない……」

「こういうことは、滞在の許しを先に貴女に貰うべきだと思ったんだ」

「わたくしではなく、王宮にいる父に話を通してくださればそれで済んだはずですが」

(なぜ父に伝えない!?)

 フェール公爵家の主人はフェール公爵であり、女主人はフェール公爵夫人だ。

 マノンは公爵の長子というだけで、特に権限があるわけではない。

 もちろん両親が不在の際はマノンが屋敷の主人代行となるが、いまは両親が王宮や友人宅に出かけているだけで、数日間屋敷を空けるわけではない。つまり、本来ジルベールが許可を求めるべき人物はフェール公爵か公爵夫人であって、マノンではないのだ。

「公爵は忙しそうだった」

「………………そうですか。とにかく、陛下と王妃様には、我が家に滞在されることを必ずお報せください」

(もしジルベール様の所在が不明とかになって我が家にいることが後々判明したら、父がジルベール様を軟禁しただの、わたくしがジルベール様を無理に屋敷に留まらせているだの、あらぬ噂が立たないとも限らないのだから――というか、父やわたくしの評判を落とそうとする悪意ある噂を立てるために利用されるに決まっているのだから!)

 ジルベールが王や王妃に『フェール公爵の屋敷にしばらく滞在する』という手紙を送ったとしても、世間ではマノンが無理矢理ジルベールに手紙を書かせたに違いないという憶測が流れる可能性が高い。それを否定する材料として、ジルベールが王宮を出る前に王や王妃に数日フェール公爵邸で過ごす旨を伝えておいて欲しかったのだが、いまさら文句を言ったところでどうにかなるものではない。

「そうだな。あとで父宛てに手紙を書いて出すことにする」

 ジルベールは素直に頷いたが、マノンはすぐに執事を呼び戻すと「いますぐ便箋と封筒と筆記用具をジルベール様に」と命じた。

 口約束の「あとでする」ほど当てにならないものはないことを、マノンは嫌というほど知っていた。

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