第八話 女は蔑まれ、母は尊敬される

「……貴姉が、次の皇帝か」

「あ、はい」


 静かに口を開く李太皇太后。幼くも気品溢れる様子に、僕と美雨メイユーは緊張してしまう。

 いやこんな態度じゃまずいだろ、太皇太后だぞと慌てるも、そういえば僕らこの方のご祖父君である藍大将軍にも大分ざっくばらんに会話しちゃったんだよなあ。


「堅苦しい挨拶は抜きにせよ。女官たちも引き下げた。ここには誰の目もない、序列なども気にすることはない。伴侶どのも、肩の力を抜いて、対等に接して欲しい」

「あ、はい」


 しーんと、へや一体に沈黙が流れる。




「……………………ご趣味は?」




 思わず僕が口を開いてしまった。見合いかよ!


「…………刺繍は好きだ。最も、それ以外することがないのだがな」


 そう言って、李太皇太后は憂い気に目を伏せる。

「貴姉らはここに来る前に、何をして身を立てていたのだ?」

「あ、僕は役人を」

「私は一応、織り子をしてたわ。まったく上手じゃなかったけどね!」

 元気よく言うことじゃない。

「ほう、不得手だったのか」

「ええ。女の嗜みとされているものは、殆ど全滅してるわ」

「……貴姉は、ではなんなら得意なのだ?」

 たっぷり間を空けて、美雨メイユーは答えた。




「……………………読書」




 困った末面接で答える趣味の欄かな?


 しかし李太皇太后は、「ほう」と興味を示した。

「女が字を読めるとは珍しいな」

「……え?」

 美雨メイユーが僕の方を見る。

「文字が読めないって……どういうこと? 普通読めるものじゃないの?」

「あー……」

 そうか、美雨メイユーは知らなかったのか。

「なんだ。読書が得意と言っておきながら、礼学を知らんのか」

「いえ、一応読んではいたけど……え?」

美雨メイユー。上流貴族の女人たちは、礼学の教えで、文字を教わらないんだ」

 うちの養母かあさんや花鈴ファーリンが当たり前に読めるから、気づかなかったんだな。美雨メイユーは。

「さよう。現に、女官たちに文字が読めるものはひと握りだ」


 男子は学びて大人となり、

 女子は学びて小人となる。


 これは、男は学問を学べば徳の高い人になるが、女は学問を学ぶと得を失う、という意味だ。

 そう言うと、美雨メイユーははあ? と声を上げた。


「そんなの、原典にはなかったわよね」

「そうだな。最近の礼学者が出した論だ」

「っていうか、原典は女子と小人を同列に見てたでしょ。最初から徳がないのに、減るわけないじゃない。

 っていうか字なんて皆が読めてナンボでしょう!? 書いても読む相手がいなかったら意味ないじゃない!」

 非合理的! と言う美雨メイユーに、李太皇太后は続ける。

「御祖父様も同じことを考えていてな。私は字を一通り読めるように躾られた。

 ……だがそれは、皇太后にもなれなかった、私には必要がなかったようだがな」

 そう言って、李太皇太后は目を伏せる。


 ……李太皇太后には、子どもがいない。子を産む以前に、結婚自体が早すぎる。

 李太皇太后が皇后として後宮入りした時、多くの貴族たちが反対したが、それを藍大将軍が押し切った。そして一年も経たないうちに、李太皇太后は寡婦となった。

 李太皇太后以外に妃はいなかった。結果、昌帝は世継ぎを残さないまま逝去した。


「皇帝の母として、一通りの教養を教えられるようにと育てられた。女に学は必要なくとも、母に教養は必要である、と」

「…………矛盾じゃない、それ」


 驚きと嫌悪を隠さない美雨メイユーに、ふっ、と李太皇太后は笑った。

「貴姉は率直じゃな。……陛下も、同じことを仰られた。そして、憤ってくださった」

 だが、と李太皇太后の表情が厳しいものに変わる。

「その率直さは、ここでは命取りになる。あまり表には出さぬよう、心して掛かった方がよい」

 そこで、李太皇太后は口を噤んだ。

 

 ――この方にとっての陛下は、昌帝なのだ。

 李太皇太后は一度も昌帝の名前を呼ばない。恐らく、呼ばないで過ごしていた。

 名を呼ぶことは呪いを掛けることと同じだ。だから成人してからは、その時付けられたあざなを呼ぶ。その字ですら、親しいもの以外はあまり呼ばない。「藍大将軍」と呼ぶように、苗字に官職をつける。僕も職場では氏である「ツァイ」と呼ばれていた。

 そして「昌帝」は、亡くなった後に付けられる諡号しごうだ。

 昌帝が生きていた頃を思い出す李太皇太后は、「陛下」以外に、呼び方がないのだ。

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