87話 収録前日の密会

 三月になり、今週は卒業式があった。

 下級生はまだ学校に通うが、もう三年生は来なくなる。

 その分、学校はずいぶんと静かになった。


「メイちゃんのなんかやるかもってなんだろーな」

「わざわざほのめかしたんだ、休止前の大きな企画だろう」

「今までの踊ってみたメドレーみたいなの出すとか?」


 金曜日、いつもの三人組は同じように窓際の席で話していた。


「雑談配信だけ続けてくれるのはありがたいけど、顔は映らないからな」

「学校帰りに見かけることもあるさ」

「そもそも藤堂は振られただろうが」


 結局この一年、ずっと同じように三人組の話を聞いていた。彼らはよくメイのことを話していて、僕は自分たちの関係がバレていないかヒヤヒヤしていた。

 けれど、今のところはまだ大丈夫らしい。


「そういやこれ後輩情報なんだけど、メイちゃんは最近いつも親の車で学校来てるみたいだぜ」

「ほう。何か変わったのかな」

「そのくらいの変化じゃ何してるのか想像もつかんわ」


 ダンスの練習をしているんだよね。

 アパートにいない日も多いから、家族に送ってもらっているのだ。


「ま、なんにせよ最高のものが見たいね。楽しみだわ」

「同感だ」

「二年生の集大成ってやつ? 期待しとこうぜ」


 この三人はずっと、いいファンでいてくれている。

 藤堂くんはメイに告白したりもしたけど、あれも揉めることなく収まっている。


 こういうファンのためにも、プロジェクトは成功させないと。

 自分が踊るわけじゃないのに、そんなことを思う僕だった。


     ☆


「おひさ~」

「久しぶり」


 その日の夜、僕たちはまっさらピュアで合流した。


 メイの家の誰かに迎えに来てもらっている僕は、誰も車を動かせないと週末の練習に顔を出せない。


 そんなこともあって、直接顔を見るのは三週間ぶりくらいだった。


「ユッキぃ~」

「おわっ」


 メイがいきなり抱きついてきた。

 少しずつ暖かくなってきたので、今夜はお互いに防寒着なしでセーターを着ていた。


「さみしかった」

「僕も、顔出せなくてごめん」

「しょうがないよ。ユッキーに毎週は無理言えないし」

「でも、物足りなかった?」

「うん。もうユッキーはそこにいて当たり前なんだもん」


 メイは抱きついたまま、ちょっとあごを引いた。頭が僕の顔に近づく。


「前にお願いしたこと、覚えてる?」

「もちろん」


 僕は右手で、メイの頭に触れた。

 サラサラの髪の毛を指で梳いてみたりして、シャンプーの香りがする頭をそっと撫でる。


「ふあ……やっぱ気持ちいいな、ユッキーの手……」


 メイはうっとりしたような声で言う。


「どう? 落ち着いた?」

「……もっと」

「オッケー」


 僕は引き続きメイの頭を撫でた。

 メイは「うにゃー」とつぶやいている。リラックスできているだろうか?


「ふう、緊張がほぐれる~」

「緊張してたの?」

「そりゃね。いよいよ明日ですから」


 そう。明日はついに「Maze」のMV収録日なのだ。

 撮影にはメイだけでなく、僕と月詩さん、保護者代表で辰馬さんも同行する。


「無理して疲れを引きずってくのはまずいから、今日は一回通して終わりにしたの。やれるだけのことはやったし、体に覚え込ませたから大丈夫……だと思うんだけど」

「メイならできるよ」

「ふあ」


 また頭を撫でると、そのたびにメイが甘い声を出す。


「メイのすごさと真面目さ、情熱も知ってる。キミなら大丈夫」

「ありがと、ユッキー」

「もしもつまずいたら、僕も自分にできることをするからね」

「向こう行ったらもう見るだけじゃない? それがありがたいんだけどさ」

「もしもだよ。一発で決まる気がする」

「だといいけどなあ」


 そこで、スマホが鳴った。着信だ。母さんからだった。


「もしもし?」

「今いい?」

「ちょっとなら」

「あのさ、四月からアパートどうするかなって思って」


 メイにも聞こえたらしく、僕たちは視線を交わした。


「実家に戻ってきてもいいし、通うの楽だっていうならそのままでも全然いいわ。お母さんのお財布は余裕ありまくりだから、遠慮せずに選んでちょうだい」


 僕は耳を離す。


「密会、続けさせてもらえる?」


 メイに訊くと、彼女は嬉しそうにうなずいた。

 僕はホッとして、スマホに耳を戻す。


「もう一年、アパート暮らしさせてください」


 払ってもらうのだから、ここは丁寧に。


「はいはい。かしこまることないのにねえ。――オッケー、手続きはお母さんに任せて、あんたは勉強頑張りなさい……じゃないわ、メイちゃんと仲良くしなさい」

「どっちも全力でやるよ」

「ふっふっふ、そうでなくちゃね。もっといい男になりなさいよ」

「うん、頑張る」


 母さんは今日も残業らしい。

 でも、こうして僕のことも気にかけてくれる。期待に応え続けたい。


 僕たちはいくつか近況を話し、通話を切った。


「もう一年、密会やれるんだね!」


 メイが笑顔で言う。


「まだまだよろしくね、メイ」

「こちらこそ!」


 また抱きついてくる。僕はそれを受け止めて、今度は背中を軽く撫でた。


「えへへ、ユッキーあったかい。安心するなあ」

「明日も、帰ってきたらこうしてあげるよ」

「言ったな? 絶対やってよ?」

「もちろんだ」


 僕たちは他愛ないやりとりをして笑い合う。


 明日は東京に向かうけど、こうやって笑顔で帰ってきたい。

 なんにせよ、いよいよ勝負の日だ。

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