85話 バレンタインの距離感

 メイの練習は着実に進み、通しでの振り付けが完成した。

 それを月詩さんが撮影し、MVの監督に送ったと聞いている。


「今は返事待ちなんだ~」

「ドキドキするね」


 その日、僕とメイは久しぶりにコインランドリーで密会をしていた。


 メイは実家に泊まり込みで練習に打ち込んでいる日もある。そのため、密会も間隔が空いていた。


「ぜんぜん平日に会えなくてごめんなんだけど、本番までにやれるだけのことはやっておきたくて」

「それはダンスを優先すべきだよ。密会はこれからもできるし」

「でも、やっぱあたしたちの拠点はこのまっさらピュアなんだよな~。ユッキーもそう思うでしょ?」

「まあね」


 すべての始まりはマックでの出会いだった。

 でも、僕たちの関係がスタートしたのはここなのだ。


「この場所は大切にしなきゃ。コインランドリーを拠点にしてるカップルってのも珍しくて面白いからね」

「確かに」


 密会場所にしているカップルはそんなにいないだろう。


「というわけで今日の本題だよ」


 メイはバッグから赤白チェック柄の紙袋を取り出した。


「バレンタインということで、ユッキーに贈り物です」

「ありがとう」


 そう、今日は二月十四日。バレンタインデー。

 だからメイはここで会いたがっていたのだ。


 僕は紙袋をそっと開ける。

 ハート形のチョコがたくさん入っていた。


「今、もらっていい?」

「もちろん」


 チョコをつまみ出すと、表面に「May」と刻んであった。


「この文字……」

「あたしを食べてよ、ユッキー」

「ッ……!」


 手作りの上にそんな台詞まで用意していたのか……!


「チョ、チョコの話だよね?」

「他に何かある?」

「な、ないです……」


 今のは試されたのか? ドキドキが激しくなってきた。


 チョコをかじると、控えめな甘さが口の中に広がった。


「おいしい。ほどよく甘い」

「おお、期待通りのリアクション。その甘さを狙って作ったんだよ」

「忙しいのに、本当にありがとう」

「いえいえ。そりゃダンスは本気だけど、あたしはユッキーに対してもずっと本気でいたいからね。チョコのことはずっと考えてたんだ」

「嬉しくて泣きそうだ……」

「ふふふ、泣いてもいいよ。ハンカチは持ってるから」

「ぐすぐす」

「おー、よしよし~」


 まったく泣いていないのだけど、それっぽい素振りをしたらメイがちゃんとハンカチで顔を拭いてくれた。


「こういうのノってもらえると楽しいわ~。いいキャラに成長したね、ユッキー」


 なんでもかんでもメイのおかげだ。


 僕はチョコをもう二つ、ゆっくり食べた。メイが微笑みを浮かべて僕を見ている。ちょっと落ち着かない。


「ホワイトデーのお返し、期待してて」

「無理して手作りとか考えなくていいからね」

「じゃあ、母さんの職場でレアもののクッキーを探そうかな」

「あ、それめっちゃ楽しみ! ユッキーの持ってくる珍しいお菓子、マジでおいしいんだよね」

「大手には勝てないけどそれなりの通販会社だから」


 そこの中枢にいるのだから残業が多いのは仕方ない……のか?


「あのさ、ユッキー」

「どうしたの、急にあらたまって」


 メイはためらった様子を見せてから、細長い紙袋を出した。


「これ、ポッキー真似したチョコなんだけど……」

「すごい、いろいろ作ってくれたんだ」

「うん、まあ……」


 メイは自分で細いチョコ棒を取り出す。


「えーっとですね、まあ、なんというか」

「なんか、らしくないね」

「い、今から恥ずかしいこと言うんだけど……」

「うん」


 顔を赤くしながら、メイは言った。


「ポ、ポッキーゲーム的なやつ、やってみたくて……」

「あー……」


 チョコ棒を両端からお互いに食べていって、唇が当たる前に逃げた方が負けという、あれ。


「いいよ、やろう」

「思ってたリアクションと違うんだけど!?」

「もうキスもしたんだ。これだってできるよ」

「もっとあわてふためくと思ったのに……いや、ユッキーって案外こういうところで落ち着いてるか……」


 ぶつぶつ言っている。


「じゃ、じゃあお願いします」

「こちらこそ」


 僕たちは見つめ合う。

 メイがチョコ棒を右手に持って、はしっこを口にくわえる。

 そして顔を近づけてくる。

 届く距離になった。

 僕も顔を寄せて、反対側のはしっこをくわえた。


 もうすでに、メイの顔はだいぶ赤くなっている。よっぽど恥ずかしいのだろう。

 だけど、なぜか僕は落ち着いていられた。

 キスを経験していると心持ちにも変化があるのだろうか。


「いいよ」


 メイの言葉でスタートだ。

 僕たちは、カリ、カリ、カリ……とちょっとずつチョコ棒を食べ進めていく。

 そんなに長くないので、あっという間に距離は縮まる。


 そして――唇が当たった。


「んッ……!?」


 僕はそこで、自分から唇を少し押し込んだ。メイがびっくりしたように目を大きくひらく。


 でも、拒絶はない。むしろ、反撃と言わんばかりに彼女からも唇を押しつけてきた。


 沈み込むお互いの唇。

 前回はケーキの味。

 今回はチョコの味。


 でも、そんな糖分よりよっぽど甘さに満ちたキスを、僕たちはしていた。


「ふああ、めちゃめちゃびっくりしたあ~!」


 唇を離すと、メイが口を押さえて上半身をぐねぐねさせた。


「逃げなかったら最後はどうしても当たるんだし、キスするものだとばかり……」

「いや、するつもりだったけど! だったけどいきなりグイッてきたから心臓バクーンってなったよ!」


 語彙力が怪しくなっているのがかわいい。


「……でも、すごくよかった」


 落ち着くと、メイはしみじみした調子で言った。


「新しいキスを生み出してしまったね」

「思ってたのとは違ったけど……これもアリかな」

「よかった。あそこで突き飛ばされたらどうしようって思ったよ」

「そ、そんなことしないよ!? あたし暴力とか振るわないし!」


 大げさに腕組みし、メイは抗議のポーズだ。


「ま、ワガママに完璧に応えてもらったんだから、ユッキーには感謝だね」

「僕が速攻で顔を離したらどうするつもりだった?」

「押さえつけてキスしてた。でもユッキーが押し込んでくるのはあんまり考えてなくて」


 メイは腕組みを解いて笑った。


「こういう駆け引き、ドキドキするね。次はいつになるかな? それがわからないのも面白さか」

「そうだね。どうやって相手にキスしてもらおうか作戦を考えたりね」

「会うたびにやるのはダメだよ」

「そういう雰囲気になった時だけだね」

「そういう雰囲気……なんかいやらしい響き……」

「待って、そんなつもりじゃ……!」


 しっとりしたり、バタバタしたり。

 僕たちの感情は今日も忙しく変化する。

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