66話 彼女の部屋で思い出話

 メイが「待ってるよ」と言うので、僕は洗濯物をアパートに持ち帰って大慌てで干してきた。

 このさい洗濯物を抱えてまっすぐ行った方がスマートだけど、メイの気づかいには勝てない。


「お待たせ」

「ん。それじゃ道の向こうで待ってるから」


 土曜日の夜九時になろうとしている。さすがにこの時間帯に知り合いに遭遇することはないだろうけど、念には念を。


 メイが先に通りを渡って路地に消える。

 僕は数分待って、ちゃんと横断歩道を渡って同じ路地へ入った。


 ここからは一緒に歩く。

 今夜は月が明るいので道がしっかり見えた。

 広めの路地を歩き、一回左に折れる。

 その先、右手側にメイの住むアパートがあった。


 二階建てで各階三部屋という小さめの物件だった。

 メイは203号室ということで一番奥の部屋だ。


 彼女に続いて上がらせてもらう。

 賃貸物件特有の、独特な木材の匂いがする。


「どうぞ。布団敷きっぱだけど許してね」


 メイがリビングに案内してくれた。

 右手に対面式キッチン、その奥にローテーブル。カーペットが敷いてあり、その上にマットレスが乗っている。


 部屋着や学校用のバッグ、制服などは綺麗に畳んで部屋の隅に置かれている。


「いらっしゃいませ、ユッキー」

「お邪魔します」


 部屋の中はかすかに甘い香りが漂っていた。


「僕にしてほしいことある? できる範囲で手伝うけど」

「そうだな、ちょっと勉強教えてもらおうかな?」

「大丈夫? こういう時は無理しない方が……」

「へーき。今週はけっこう聞き逃したこと多いから、ユッキーに教えてもらっちゃおうって思ってたんだよね」

「つまり、最初から僕を誘うつもりだったのか」

「断られてたら一人で泣いてたかもね~」


 そうならなくてよかった。


 僕たちは肩をくっつけてローテーブルに座る。

 メイが教科書とノートをひらいたので、彼女の書き込みを見る。


「なるほど、この範囲か」

「わかる?」

「任せて。たぶん先生はこんな話をしてるはずだ」


 彼女の部屋に来て最初にすることが勉強ってどうなんだ?


 そんなことを思うけど、メイに勉強を教えるのは楽しい。ちゃんと反応してくれるから教え甲斐がある。


 今日の勉強会ではメイがやけに質問を多くしてきた。僕は教師になったつもりで応じる。


 一時間以上、それで時間を過ごした。


「ごめんね」


 一息つくと、いきなりメイが言った。さっきよりは顔の赤みが戻ってきている。


「ユッキーを誘うって決めたんだけど、何すればいいかわかんなかったの。とりあえず会話してればいつもの雰囲気になるかなって思ったんだけど、何も思いつかなくて……」

「それで勉強か」

「これだったら自然に話せるかなって」

「よかったよ。おかげで緊張も解けたし」

「あたし、いっつも勢いだけで会話してるから準備して話すって全然イメージ湧かなくて」

「僕の部屋に来た時はやることがはっきりしてたからね」

「マジでそれ。なんの用事もないのに人を家に呼ぶって思ったより難しいよ~」


 同性となら話題がいくらでもあるだろうけど、彼氏となるとまるで変わってくるだろうからね。


「どうする? キリもいいしここで終わろうか」

「ありがとね。おかげで助かっちゃった」


 メイは体を伸ばして時計を見た。十時半を回っている。


「ユッキー、ごめんなんだけどちょっとだけ出ててもらっていい? 部屋着になりたくて」

「もちろん。終わったら声かけて」


 僕は廊下に出てしばらく待った。

 メイがゴトゴト音を立てているが、よからぬ想像はしないように努力する。


「いいよー」


 その声で、僕はリビングのドアを開ける。

 青いパジャマになったメイが立っていた。


「本当に青が好きなんだ」

「そうそう。ユッキーが青いリング見せてくれた時はマジでびっくりしちゃった」


 メイはマットレスを折りたたむと手招きをした。


「ここ座って」

「わかった」


 二人で並んで、マットレスに背中を預ける形になる。厚手のカーペットが温かい。

 肩を触れ合わせて、窓を見つめる。


「消すよ」


 メイがリモコンで照明を真っ暗にする。それでも部屋は月のおかげで明るかった。

 煌々とした月光が窓の外を青っぽく染めている。


 僕たちは、そんな柔らかい光の中で二人きりだった。


「どうしても、これがやりたかったの」


 メイはささやくように言う。


「こうやって並んで、座ったまま月明かり見ながら、昔話とかしたりして……そういうのに憧れあって」


 本当にピュアだ……。

 メイのそんなところが好きなんだけど。


「ユッキーはずっとあたしのファンやっててくれたんだよね」

「そうだね。確か高一の冬とか。勉強の合間に動画を眺めてたら、好きな曲の踊ってみたを上げてる人がいて」

「それがあたしだったんだ。ちなみにどれ?」

「「風にさよならを」だったかな」

「あれかー! まだ活動始めてちょっとだったからあんまり伸びなかったんだよね。あの頃はちょびっとずつ再生数伸びるのが面白かったなあ」

「メイのダンスに一発で惚れて、他の動画も見た。そしたら、だんだんクラスで話題になってきたんだ。北峰女子の子らしいよって」

「学校帰りとか、すれ違ったことないよね?」

「ないと思う。金髪なら覚えてるはずだし」


 メイが小さく笑った。


「不思議だね。全然会わなかったのに、あたしが絡まれたあの日はユッキーがそこにいたんだ」

「僕は助けるまでメイだって気づかなかったけどね」

「慌てて逃げてっちゃったもんね」

「うぐ……思い出すだけで恥ずかしいな」


 挙動不審になって全力疾走でその場から立ち去った。ナンパ軍団を追い払ったあとじゃなかったらとんでもない変質者だ。


「ユッキーってキャラ的にあたしみたいなタイプを好きにならないと思ってた。何がきっかけだったの?」

「それを訊いてしまうか」

「なんかまずい?」

「いや……」


 恥ずかしいだけ……。


「その、ダンスしてる時の笑顔がまぶしくて、一目ぼれしちゃった」

「えー! ピュアすぎるー!」

「メ、メイだって人のこと言えないだろ! メイもだいぶピュアだよ!」

「それっていけないことじゃないでしょ? へー、あたしの笑顔がねえ」


 メイがニコニコ顔を作って近づけてくる。


「ま、待ってくれ……近すぎる……」

「この顔、好き?」

「す、好きだよ……」

「えへへ、笑顔には自信あるからね。これを好きって言ってもらえるのめっちゃ嬉しいよ」


 メイは僕の肩にほっぺを当ててスリスリ動かす。うう、落ち着かない。


「ユッキーも綺麗な顔してて好きだよ」

「あ、ありがとう……」

「最初はおどおどキャラがあたしのツボだったんだけど、だんだん変わってきたよね。髪型変えた時はびっくりしたなあ」

「イケメンになれた?」

「なった! ユッキーは素材がいいんだから今まで損してたよね」


 あ、とメイが何かに気づいた反応をする。


「でも、前から今のスタイルだったらもう別の彼女できてたかもね。そしたら密会もしてなかったかな」

「それはないよ」


 きっぱり言う。


「僕が変われたのはメイがグイグイ来てくれたおかげだから。メイだったから今の僕になれたんだよ」

「そ、そう……」


 今度はメイがそわそわする。


「ユッキーのストレート、すっごい威力あるんだよね……」

「メイに育ててもらったんだよ」

「ううっ、平気でそーいうこと言うんだから……!」


 メイは恥ずかしそうに足をバタバタさせる。そんな仕草がかわいらしくて、僕は耐えられなくなった。


 左手で、僕に寄りかかっているメイの頭を撫でる。


「ふあっ!? ユ、ユッキー!?」

「なんか、急に撫でたくなった。ダメかな?」

「べ、別にいいけど……」


 メイが黙り込んだので、僕はしばらく、ゆっくりとその頭を撫でた。自慢の金髪はサラサラだ。しっかり手入れしているんだろうな。


「ふふ」


 かすかな笑い声が聞こえた。


「ユッキーの手、すごく安心する。安心しすぎて眠くなってきちゃった」

「もう寝る?」

「ん。布団敷かなきゃ」

「僕がやるよ。メイはそのままでいて」

「待って。掛け布団だけ出して、このまま一緒に寝よ」

「え?」

「このカーペットもあったかいでしょ? 布団だと二人で入れないし、ここでこのままさ」

「わ、わかった」


 僕はマットレスのあいだから掛け布団を引き出した。

 メイが横になったので、その上に布団をかけてあげる。

 テーブルの横からはクッションを持ってきて枕の代わりにした。


「ユッキーもどーぞ」

「じゃあ、失礼します……」


 いつもメイが使っている掛け布団。そこに一緒に入るなんて……。


 僕とメイは向き合って横になった。

 メイが窓側だから、背後から差す月明かりで顔が薄く浮かび上がっている。


「何か期待してる?」

「な、何か?」

「そう。何か」

「べ、別に……」

「まだダメだよ」

「も、もちろん」


 うっすら予想はつくけど、僕にはまだ度胸がない。そもそも体調を崩している彼女に期待することではない。


「これでも休める?」

「へーき。ユッキーこそ、慣れないでしょ」

「そのうち眠れるよ」

「明日は日曜だし、寝坊していいからね」

「……ああ」


 メイはもう目を閉じている。


「一つだけワガママ言いたいんだ」

「ん。なに?」

「抱きしめるだけは、したい」


 ちょっと間があった。


「……うん、来て」


 受け入れてもらえた。

 僕はメイに近づいて、左腕で彼女をそっと包んだ。


 メイの顔がすぐそこにある。もうほとんど眠りかけているみたいで、背中に腕を回しても反応してくれない。


 僕は彼女の呼吸だけを黙って聞いていた。


「やっぱり、安心する」


 不意に、メイが言った。


「今日は来てくれてありがと……ユッキー、好き……」


 最後の方はどんどん声が小さくなって、眠りの吐息に変わった。


 メイの体温を感じながら、僕も目を閉じる。

 満ち足りた夜だ。

 明日もきっと、いい日になる。

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