53話 メイと僕の食卓

「ん……」


 ゆっくり目を開けると、雨音が消えていた。

 静かな部屋の中に、小さな呼吸の音がする。


 メイが壁に背中を預けて目を閉じている。


「メイ……?」

「あ……起きた?」


 メイが近づいてくる。


「ずっとついててくれたの?」

「うん。ホントはユッキーの制服洗いにコインランドリー行こうと思ったんだけど、勝手にひとんちのカギ使うのはまずいかなって」

「よかった。メイにそこまで迷惑かけられないよ」

「あたしは頼ってほしいんだけどな~」

「頼っていいことと悪いことがある」

「もう、ホントーに真面目なんだから」


 メイは立ち上がった。


「ユッキー、お風呂場のタオル借りていい? 汗を拭くって言ったでしょ」

「あっ、うん。それでお願い」


 僕は起き上がった。

 メイが濡らしたタオルを持ってきてくれる。


「自分で拭くよ」

「あたしがやりたいな~」

「そ、それじゃ介護みたいになっちゃうよ。なんか自分が情けなくなるから……」

「じゃあ背中だけ! 他はお任せするから!」


 頼み込まれて、結局背中は拭いてもらうことになった。

 メイが僕のシャツを持ち上げる。


「いきまーす」


 ほどよい力でメイがタオルを動かす。タオルはお湯で濡らしてくれたみたいで、触れてもびっくりしない。


「えいえい」

「……楽しんでる?」

「レアな体験だからね。お客様、お加減のほどはいかがでしょうか?」

「おお~」

「それっぽかったでしょ」

「メイってそういう言葉知ってるんだ」

「あー、またバカにしてる! ユッキーのいじわる!」

「だ、だって国語苦手って言ってたから」

「できなくても言葉を覚えることはあるでしょ」

「ごめん、よくなかったね」

「べ、別に真剣に謝らなくていいよ? 冗談だよじょーだん」

「うん……」

「あっあっ、ユッキー調子悪いんだもんね! ネガティブになりやすいよね!」

「そんな慌てなくていいのに」

「だって……」

「メイがあわあわしてるの見たら、いい感じに力が抜けたよ。だいぶ楽になった」

「うう、なんか調子狂うなあ……」


 メイは肩から腰の近くまで拭いてくれた。

 そこからは足などを自分で拭く。タオルは風呂場に持っていってすぐに洗った。


「言ってくれれば洗うのに~」

「メイにはさせたくないの」


 メイは不満そうだが、これだけは譲れない。


 リビングに戻って時計を見る。けっこう寝たみたいで午後の三時になっていた。


「メイ、お昼は食べたの?」

「食べてないよ。ユッキーが大丈夫そうなら一緒にどうかなって思ってたから」

「今ならいけそう。何食べる?」

「サラダチキン! ユッキーが寝てるあいだにちょこっと下準備しといたんだ」

「ええっ!?」

「今日はいっぱいあたしに甘えてよ」


 メイは得意げに笑ってキッチンに向かった。

 僕は手伝おうかと思ったが、まだ体は万全じゃない。迷惑をかけたくなかったのでおとなしく待っていた。


 それにしても……。


 キッチンで料理をしている彼女と、それをテーブルで待っている彼氏。


 なんだか、夫婦みたいな……。


 そこまで考えて、首をぶんぶん横に振った。

 き、気が早い。

 確かに僕たちはカップルだが、まだそれを意識する時期じゃない。今のは暴走だぞ。自重せよ。


「ふーっ……」


 呼吸を落ち着かせて待つ。

 調理を終えたメイがサラダの載ったお皿を持ってきた。


「お待たせ」


 レタスとチキンの合わさったサラダ。オリーブオイルも使っているのかな?


 かわいくて運動神経抜群で世話好きで料理もできるとか隙がなさすぎない? なんだか自信なくしそうだよ……。


 ローテーブルに座って二人で食べ始める。メイは僕の向かいじゃなくて右横に座った。

 食事もくっついて、一緒に。


「密会のこと考えたら、いつも元気でいるって大事なんだなって思った」

「そーね。ユッキーとたまに学校帰りにすれ違うのとかもドキドキして楽しいし、そういうのは風邪引いてたらできないもんね」

「今回は勉強になったよ」

「なんでも勉強って考えるんだね」

「これはもう、生まれ持ったサガだな」

「ふふっ、大げさ~」


 僕たちは笑顔で食事を進めた。


「はい、どーぞ」

「ありがたく」


 メイのつまんだチキンをいただく。僕は風邪を引いているからお返しはしない。


「こういうご飯も新鮮だね」

「メイのおかげですごく楽しいよ」

「やっぱ料理習っといてよかったな。お母さんに感謝だ」

「感謝できるのえらいよ」

「むっ、またしても……」

「で、できない人も多いし」

「なんか気になるけど……ま、素直に受け取っておきますか」


 僕のペースが遅かったので、サラダの減り方はゆっくりだった。

 メイは食器で音を立てることもなく上品に食べている。

 ギャルと言いつつ、お嬢様っぽさも備えているのだ。そこがいいよね。


 メイの作った料理で食卓を囲む光景がこんなに早くやってくるなんて。

 本当に恋愛は予想外のことばかり起きる。

 それが今はとても面白い。


     ☆


「じゃあ、次は密会でね」

「今日は本当にありがとう」


 夕方になってメイが帰ることになった。部屋の外までは出られないので、入り口でお別れだ。


「いつかお礼は絶対にするから」

「真面目に考えすぎないでね。ユッキーってそういうとこあるからな~」


 ……否定はできない。


「ユッキーの看病してみて、やっぱキミの世話焼くの好きなんだなって感じたよ」

「じゃあ、またご飯作ってくれる?」


 思い切って言ってみると、メイがニコッと笑った。


「もちろん! また呼んで!」


 手を振って、メイが部屋を出ていく。僕も笑顔で見送った。


 風邪を引いて最悪だと思ったけど、そのおかげで特別な時間を過ごすことができた。

 メイとの距離はさらに縮まった気がする。


 そして、頭によぎった食卓の光景……いやいや、やっぱりまだ考えるのは早すぎる。

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