40話 プールデートと特別な空間
「お父さんは遠くから見ているから安心して遊んできなさい」
「ありがと!」
「ありがとうございます」
お盆直前。金曜日の祭日。昼過ぎ。
僕たちは松本市のプールに来ていた。
長野市内だと知り合いにぶつかる可能性があるので、わざわざ高速道路を使ってここまでやってきたのだった。
今日もからっと晴れて暑い。プールにはいい天気だ。
「じゃあユッキー、待っててね。あたしが出てきたらすぐ声かけてね?」
「任せて」
僕は更衣室に行くと、すぐ海パンになって外へ出た。
女子更衣室の通路から少し外れたところで待っていると――メイがやってきた。
サングラスを頭に乗せている。
フリルのついた黒のビキニ。サングラスも合わさってメイの肌と金髪をこれ以上ないくらい見事に引き立たせている。
そして……とうとうシャツもなくなったので深い谷間がしっかり見えてしまう。こんなに存在感のあるものを今まで意識しなかった僕、鈍感すぎるのでは?
綺麗で、かわいい。
メイはその二つをしっかり両立させていた。
「どうかな?」
「似合ってるよ。その……やっぱりスタイルすごくいいよね」
「そう? 嬉しいなあ」
「普段は大きめのシャツ着てるだろ。だから意外にわからなくてさ」
「ふふふ、ユッキーを悩殺してあげるよ」
「う……」
プロポーション抜群のメイは、早くも周りの目を惹いていた。
メイは変にくねくね動いたりせず、首をかしげてウインクしてくる。
僕はそれだけでドキドキさせられた。
どうすれば僕に効くのか、メイはよくわかっているのだ。
「お、泳ごうよ」
「そーね。行きますか」
僕たちは流水プールに向かった。気合いを入れて25メートル泳ぐつもりはない。のんびり過ごしたいのだ。
「ほら、あそこ見て」
「わわっ」
いきなりメイが近づいてきた。肩が当たって僕はびくりとしてしまう。布越しじゃなくて素肌が当たるせいで、余計に。
「お父さん、じっとこっち見てるでしょ」
「本当だ……」
プールサイドでシャツと半ズボンになり、腕組みをしているいかつい男の人がいる。辰馬さんだった。
「ね、だからナンパとか怖がらずにいこう!」
「オッケー」
二人で流水プールに入る。
水が冷たくておっかなびっくりだ。
メイはサングラスを頭に乗せたまま、ゆらゆら水に漂っている。
「ありゃ~、流されちゃう~」
なんて言いながら、メイはしっかり手で漕いでいる。
「待ちなさい」
僕は平泳ぎで追いかけた。流れに乗ればすぐに並べる。
「やるじゃん」
「だってメイは浮いてるだけだし」
「激しく泳ぐとサングラス落ちるからさ」
「じゃあなんでつけてきたの」
「あたしはどんな場所でもオシャレに気をつかう女なのだ」
えへん、とメイは得意げに言ってみせる。
「おっ、めっちゃかわいい子みっけ」
近くで男の声がした。
大学生くらいの男二人が近づいてくる。
「あれ、これ彼氏?」
「そうだけど」
「彼氏くん、悪いけどこの子貸してよ」
「なっ……」
そんなことを堂々と言う奴がいるなんて信じられなかった。
「駄目です」
僕はきっぱり告げる。
「一緒に遊ぶ時間を取らないでください」
心臓がバクバクする。でも、退かないぞ。僕は突っ張った。
「思ったよりはっきり言うじゃんか」
「僕の彼女なんです」
「……ちっ」
男たちは舌打ちして離れていった。
メイはおびえることもなく、わりあい平然としていた。
去っていく二人組に、
「ちょっといいかな?」
すかさず辰馬さんが声をかける。
「な、なんすか」
「今の行為について、少し私と話そうではないか」
「えっ、いや……」
二人組は辰馬さんの迫力に押されてオロオロしている。まあ、そうなるよね。
「ユッキー、ありがと」
「頑張れてた?」
「すっごく勇気出したよね。えらいよ」
メイが僕の肩をポンポンしてくれる。
「ところでメイは水泳得意なの?」
「けっこう泳げる方だよ。部活でやってる子には勝てないけどね」
「運動神経いいんだなあ」
「ユッキーは駄目なの?」
「苦手だね。泳げることは泳げるけど」
「じゃあ競争はしないでおこっか」
「だね。絶対勝てない」
「代わりにここでスピード出すぞ~。ユッキー、ついてきて」
メイが水流に乗って一気に進み出したので、僕も腕を振ってついていった。
「うお~、めちゃスピード出る~!」
はしゃいでいる彼女がかわいくて、必死で隣に並ぼうという気持ちにはならなかった。うしろから見守りたい、みたいな。
流水プールを遊び尽くした僕たちはスライダーに移動した。
「ユッキー、ゴー!」
「よし……うっ、うわああああ!?」
「きゃー! やばー!!!」
僕が前に立って滑り落ち、メイがくっついてきた。
速度が出過ぎて僕は勢いよく水に叩きつけられ、その背後にメイも飛び込んできた。
「やっぱこれはやっとかなきゃね~!」
サングラスを手に持ったメイはキラキラと輝く笑顔を見せてくれた。
また流水プールに戻って鬼ごっこもやった。
さらに、25メートルを真剣に泳ぎたいというメイの要望に応えてそちらにも移動する。
普通のプールだがこちらではしゃぐ子供も多かった。
メイは空いているレーンを選んでクロールで泳ぎ始める。
僕はそれをプールの角で見守った。
……体力ないな、僕。
到着が遅めだったので、もう午後二時。
遊び始めて二時間ほどになる。
だけど、それだけで僕は疲れを感じていた。普段からあまり運動しないのだ。急にこういうところに来ると負担がすごい。
でも、メイがすごく楽しそうにしている。
彼女をがっかりさせたくないし、ここは意地を見せよう。まだまだ泳げるはずだ。
「おい、返せよー!」
「ははは、追いかけてこいよ!」
プールサイドを中学生くらいの男子が走り回っている。危なっかしいな。
「捕まえた!」
「ちょっ、やべっ――!」
「え?」
飛びつかれた方の男子が、バランスを崩してこっちに落ちてくる。
やばい――と思った時には、相手の肩が僕の頭にぶつかっていた。
「ぐはっ……」
目の前がチカッと光った。僕はプールの壁に必死で寄りかかったが、体から力が抜けてしまい、立っているのが精一杯だ。
「すみません、係員さん!」
近くの大人がスタッフさんを呼んでくれる。僕は引き上げてもらうことができた。
でも、当たったショックがけっこう大きかったらしく、思うように力が入らない。
僕はスタッフさんに担がれて休憩室に運ばれた。
中学生はひたすら謝って、僕も重傷ではなかったのでそれで済ませることにした。
「ユッキー、大丈夫?」
メイも騒動に気づいて、一緒に休憩室までついてきてくれた。
「平気だけど、足に力が入らないんだ」
「頭は異常なさそうですが、休んだ方がいいでしょう」
スタッフさんに診てもらって、しばらく休憩室で横になることにした。
「せっかくのプールだったのに、ごめん」
「そんなことない。しょうがないよ」
「メイ、どうなんだ」
辰馬さんも様子を見に来てくれた。
「大丈夫そう。ちょっとここで休んでくから」
「わかった。外で待っている」
低いベッドにメイと二人きりになる。
「頭痛い?」
「いや、全然。巻き込まれたのが精神的にショックなんだと思う」
「なるほど?」
「けっこう緊張してたから、それがぶつかって一気に噴き出したんだ。たぶんメンタルの不調」
「わお、冷静な分析。いつものユッキーだ。じゃあ、頭はケガしてないんだね」
「平気」
「気分悪くない?」
「うん」
「じゃあさ……」
メイはちょっともじもじした。
「膝枕、してあげよっか?」
「え!?」
「元気出るかなって」
「でもメイ、ズボンじゃないし……」
「いいじゃん、そんなの関係ないよ」
どう? と追撃の一言を放ってくる。彼女に言わせているのだ。断れないよな。
「お願い……」
「わかった」
メイがベッドに上がり、僕は体を横にずらした。
「頭上げられる?」
「こう?」
「ん、下ろして」
頭が沈み込んだ。
ちょっと待って。
……これ、膝枕じゃなくて太もも枕では?
横向きのメイの太ももに、僕はしっかり頭を乗せているのだ。
柔らかい。肌はちょっと熱を帯びてきている。
……って、おい!?
目を開けていると、メイの胸を見上げる形になってしまう。こ、このアングルは危険すぎる!
とっさに目を閉じた。
全身が熱い。
まさか、こんな密着が起きるなんて考えていなかった。
さらに衝撃は続く。
メイが僕の頭を撫で始めたのだった。
「ユッキー、疲れたよね。よしよし」
どうすればいいんだ。刺激が強すぎて頭がどうにかなってしまいそうだ。
「いつもつきあってくれてありがとね。疲れてるなってわかってたんだけどさ……」
僕はちょっと冷静になった。
……もしかして、僕が寝てると思ってる?
「無理させちゃったかな。でも、すごく楽しかったよ。また来たいな……」
ひとりごとみたいに静かなつぶやきだった。
少しずつ気分が落ち着いてきた。
ハプニングはあったけど、楽しかったのは間違いない。メイの記憶に残るイベントになったのなら最高だ。
僕はメイが頭を撫でるのをやめるまで目を閉じていた。
「……ほんと、かわいい顔」
「そう?」
「わっ!? お、起きてたの!?」
「まあね」
「い、いつから!?」
「ちょうど今だよ」
「そ、そっか」
メイはホッと息を吐いた。僕は起き上がった。ずっと頭を乗せていたせいで、メイの太ももは赤くなっている。
「つらくなかった?」
「へーきへーき。鍛えてますから」
メイは笑って、自分の太ももをぺちぺち叩いた。
「ユッキー、スマホある?」
「うん、更衣室に」
「水着の写真、残しておきたいの。お願いしてもいい?」
「もちろん」
僕たちはスタッフさんにお礼を言って休憩室を出た。
「ユッキーは楽しかった?」
「うん。こんなにはしゃいだのは久しぶりだ」
「あたしも楽しかったなあ。一緒に泳げて嬉しかった」
「僕もだ」
更衣室へ向かいながらそんな話をする。
彼女が楽しんでくれたのなら、それが一番だ。
☆
高速道路は夕焼けに包まれている。
私はバックミラーから、肩を合わせて眠っている芽生と翔太郎くんを見た。
芽生がクラスメイトに見つからないプールに行きたいというので松本まで連れて来た。
その甲斐あって、二人はかなり楽しんでいたように見えた。
……ここまで仲良しとはな。
妻――有希との思い出を振り返ってみても、こんな明るい時間を過ごした記憶はない。有希はいつも盛り上げてくれたが、私が不器用だったせいで窮屈にさせてしまった……。
あらためてバックミラーを見る。
肩を合わせ、頭もくっつけて眠っている二人。
私はそこに、幸せな未来を見いだすことができる。
……いい相手を見つけたじゃないか。
認めよう。
翔太郎くんは芽生にふさわしい彼氏だ。
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