36話 満ち足りた夜

 初デートからアパートに帰ってくると、僕はまずシャワーを浴びて汗を流した。

 それからスポーツドリンクを飲んでゆっくり時間を過ごす。


 今日はさすがに勉強する元気が出ない。だらだらしよう。


 そのまま夜になって、スマホをいじっているとメイのツイッターが動いた。


〈ちょっとおはなし!〉


 時間は夜十時から。ムービーキャストでいつもの雑談配信だ。


 今日の話をするのだろうか。

 今のところデートの写真はアップされていないし、メイも情報の扱いに気をつけているのはわかる。


 だけど、うっかりしゃべってしまったら怖いな……。


 少し不安な気持ちで時間を待つ。


 動画の配信が開始されると、数十秒ほどしてから「どもども~」とメイが挨拶した。


 さっそく常連リスナーたちが挨拶を返す。


『夏休み始まってからちゃんと配信できてなかったね。みんなのことほっときすぎちゃったから今日は枠作ったよ』


〈放置されてました〉

〈さみしかった〉


『あはは、ごめんごめん。でも、あたしもやりたいことあってさ。次の踊ってみたの曲も決めたし、その準備とかね』


 おおっ、とコメント欄が盛り上がる。

 メイのダンスに惹かれて集まったメンバーだ。一番気になるのは踊ってみたのことだろう。


『まだ曲名は内緒。んー、でも三年前のヒット曲ってくらいは言えるかな』


 リスナーが曲名をあれこれコメントする。メイは面白そうに笑っているが、否定も肯定もしない。

 その中には正解を言い当てている人もいるのだが、メイはちゃんとスルーしている。


〈夏休み楽しんでる?〉


 話が途切れたところで、常連さんがそんなコメントをした。


『うん、毎日楽しいよ。仲良くなった友達とも遊びに行けたし』


 手汗が出てきた。


『今日は一緒に街歩きしてきたの。その子さ~、食べてる時の顔がすっごくかわいいんだよね! ジーッて見つめてたんだけど、ご飯に夢中で全然気づいてなかったね』


「マジ?」


 思わず声が出てしまった。

 確かに蕎麦はとてもおいしかった。手を休めずに食べていたのでずっと下を向いていたけど、まさかメイに観察されていたとは……。


〈ご飯に夢中ってかわいいな〉

〈いっぱい食べる君が好き〉

〈おいしいご飯は友達の存在すら消してしまうのか〉


 コ、コメント欄の人たちに遊ばれている! くっ、なんて恥ずかしい……!


〈何食べたの?〉


 ドキッとした。これは下手に答えると特定される危険が――


『サーモン丼!』


 メイは迷いなく答えた。安全な返事だけどチョイスが謎すぎる。


『ちょっといいお値段なんだけどさ、せっかくの機会だから食べちゃった』


〈思い出作りは大切〉

〈こういう時じゃないとあんまり食べないよな〉


『ね~、楽しい時間だったなあ』


 メイは本当に楽しそうにつぶやいた。


 その後も期末テストで補習になった話や、お父さん――タツマさんと配信活動の話し合いをしたことなどをメイは教えてくれた。


 コメント欄を拾いながら話すから、一時間はあっという間に経つ。


『そろそろキリのいい時間だね。終わろっか』


〈お疲れ〉

〈配信ありがとー〉


 みんなメイに感謝を伝えている。


『みんなまたね。――じゃあ』


 スッと息を吸う音。


『おやすみ。ふふっ』


 ――不意に、そんなささやき声が耳に入ってきた。最後の笑い声も吐息と一緒に飛んできたのでゾクッとした。


 コメント欄が一気に加速する。

 メイはその反応を楽しんでいるかのように、すぐには配信を切らなかった。


 策士だ。

 リスナーに最後の最後でご褒美をあげて締める。

 やっぱり配信者に向いた性格なんだろうな。


 配信が終わり、メイはツイッターで「聞いてくれてありがとー!」とツイートした。


 それから数分。

 もしかしたらと思って待っていたら、やはり電話がかかってきた。


「おつです! 今日はありがとね~」

「いやいや、こちらこそ」

「ヒヤヒヤしながら聴いてたでしょ」


 いきなり攻め込んでくる。


「まあ、山へ行ったとか言うんじゃないかって心配はしてたよ」

「ユッキーのよさをみんなに聞いてもらいたいんだけど、まだごまかすのあんまり上手くないかも」

「なんでサーモン丼?」

「あれはいつかユッキーと食べたいものだよ。絶対そう言われると思って考えてた」

「さすが、慣れてるね」

「だから食べに行こうね」

「どこで食べられるの?」

「長野駅の中に出してくれる食堂あったよ」

「それは見つかるリスクやばくない?」

「んー、まあすぐにとは言わないから、いつか」

「うん、それなら」


 そうだ、言いたいことがあった。


「人をこっそり観察するのはよくないな」

「だってユッキー、全然こっち見てくれなかったんだもん。あたしはさみしかったよ?」

「うっ……」


 痛い反撃をもらってしまった。


「む、夢中になってしまいました……」

「ふふっ、でもかわいかったからオッケーだよ」

「ガツガツしてなかった?」

「うん。お上品だった」


 余計に恥ずかしくなってくる。


「次は、ちゃんとメイのこと見るから」

「お願いね」

「そういえば、足はどう?」

「まだジンジンしてるけど、洗って薬塗り直したからすぐ治るよ。ホントにありがとう」

「大丈夫ならよかった」

「今日はユッキーにたくさん助けてもらっちゃった。そのうちお礼しなきゃね」

「気にしなくていいのに」

「だーめ。それはあたしの気が済まないから」

「じゃあ、楽しみにしておく」


 前も手作りクッキーをもらったことがある。メイは本気だろう。


「蕎麦の写真、アップしたかったけど我慢したよ。なんか残念だけどしょうがないよね」

「ガチ勢の検証は本当に怖いからね」

「でも、あたしたちだけの思い出なんだし、これでいいんだ。そうだよね?」


 僕は思わずうなずいていた。


「そうそう。人に見せなくていいものなんだよ」

「うん。たまには一緒に見返したりしよう」

「もちろん」


 そういうのは大歓迎だ。


「次はダンスの練習すると思うから、そこで会おっか」

「オッケー。また場所教えて」

「りょーかいです。じゃあ………………またね」

「う、うん」


 妙に溜めたのでささやきが来ると思って身構えたが、出てきたのは普通の言葉だった。僕のドキドキを返せ。


「お、おやすみ」

「ん、おやすみ。――大好き」

「――ッ!!!」


 もう通話は切れていた。


 や、やられた……。


 配信と同じ。最後の最後に、不意にささやいてきた。

 さっきと違うのは、溜めなしでいきなり仕掛けてきたこと。


 ドキドキは倍に膨れ上がって心臓が強く脈打つ。

 またしても負けてしまった。


「……楽しいな」


 昼間はデートして、夜はこうやって電話して。

 今、僕は最高に満たされていた。

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