35話 初デートがやってきた

 八月最初の朝は早かった。

 今日はメイとの初デート。

 始発のバスで山奥の神社へ行くのだ。


「ふああ……おはよう~」

「おはよう。眠そうだね」

「ドキドキしてよく眠れなかったんだ」

「初々しいね」

「あっ、言ったな。ユッキーだって初デートのくせに」

「僕はちゃんと寝たよ」

「む~」


 不満そうなメイもかわいらしい。最近、メイが何をやってもかわいく見える。


 バス停へ向かう道は同じなのだが、やはり街中を一緒に歩くのは危険すぎる。なので、バス停で合流したのだった。


 さほど遅れることなく路線バスがやってきて、僕たちは後方の席についた。乗客が少なかったので、前後に二列確保した。


 山道を上がっていくバスの中でも、僕たちは静かにしていた。参道は一緒に歩ける。今は目立たない方がいい。


 今日のメイは、黒のゆったりしたズボン――ワイドパンツにうっすらピンクのブラウスを着ていた。

 黒のキャップをかぶり、度の入っていない黒縁メガネをかけている。

 一発で配信者の「メイ」と見抜ける人はそうそういないはずだ。


 バスは一時間ほどかけて戸隠奥社おくしゃまで上がった。


 バス停のすぐ近くに参道入り口があり、短い坂を下ったらあとはもうずっとまっすぐの砂利道をひたすら歩くだけだ。


「うわ~、思ったより長いね」

「しんどいよ。大丈夫そう?」

「平気だよ。ユッキーこそいける? たぶんあたしの方がいっぱい運動してるし」

「う……ま、まあ問題ないよ」


 お互いに強がって歩き始めた。

 歩きやすい靴を実家から持ってきたので、砂利道もあまり苦にならない。


 奥社参道はとにかく長かった。

 道の両脇に延々と杉の木が伸びているのは壮観だ。

 お客さんが少なそう、と狙って早めに来たのも正解で、道が混雑していることもない。


「ふう、ふう……」

「ほら~、やっぱ体力ないじゃん」

「だ、大丈夫だって」

「おぶってあげよっか?」

「そ、そんなヤワじゃないよ!? 僕のことを甘く見すぎだって」

「でもつらそう」

「平気です」


 きっぱり告げると、メイはくすくす笑った。


「じゃあ頑張ってよ? あたしについてきてね?」


 メイが歩調を合わせてくれているのがわかった。彼女はもっと速く歩けるはずだ。


 こういうの、僕の方からできたらかっこよかったのにな……。


 メイに引っ張られてばかりだ。

 デートプランを立てるのだって、できれば彼氏としていいところを見せたかった。でも、結局はメイに頼ってしまった。


 ――あたしについてきてね?


 その一言が、僕とメイをよく表しているかもしれない。


 ……なんでネガティブなことばっかり考えてるんだ。


 せっかくのデートなんだからもっと楽しまないと。


「あ、上り坂見えてきたよ。もうちょっとじゃない?」

「ほんとだ。あと少し頑張ろう」

「その前にちょっと休憩しよ」

「うん」


 僕たちは道の脇によけて小休止を挟んだ。


「メイ、どうぞ」

「わー、ありがと!」


 ショルダーバッグに天然水を入れてきたのだ。自分でも飲んで、しっかり体力を回復する。


「そっかぁ、ペットボトルのせいできつそうだったんだね」

「別に、これくらい……」

「ふふ、ありがとね」


 メイが笑ってくれたので、疲れも飛んでいくような気がした。


「さ、行こっか」

「よし」


 僕たちは神社へ続く最後の急傾斜を上がった。

 体への負担が段違いだ。

 それでもメイは僕より前をしっかり歩いていく。

 脱落だけは絶対にしない。

 さすがにつらかったが、必死でついていった。


 そしてついに奥社に到着した。


 戸隠山の麓に位置する神社。

 僕たちは小さな社殿の前に立った。


「頑張ったね、ユッキー」

「メイをがっかりさせるわけにはいかないからね」

「えらい! 努力賞をあげます」

「いただきましょう」


 他の参拝客がいなかったから僕たちはいつも通りの会話を繰り広げていた。


「じゃあお賽銭を入れてっと」

「僕は百円入れるよ」

「お~、いいね。あたしもそうしよ」


 二人で百円を賽銭箱に入れて、手を合わせる。


 ――隣の彼女と、幸せな日々を送れるように自分を磨いていきます。


 僕は心の中で決意を述べることにした。

 目を開けると、メイはまだ手を合わせていた。口元が小さく動いている。


「おしまい」

「何か言ってなかった?」

「内緒でーす」

「こら、教えなさい」

「やだよ~」


 僕たちは社殿から離れて他愛ないやりとりを続ける。

 無理に楽しもうと意識しなくても、自然と明るい空気になる。それでいいんだ。


 帰りも同じように長い長い参道を歩いて行った。


 でも、今度はメイが遅れた。僕はペースを合わせる。


「あはは、これはあたしの負けかな?」

「競争じゃないんだし、気にしないで」

「そうする」


 疲れたのか、メイの口数は減っていった。そして参道を抜ける頃、僕たちはただ歩いているだけになった。僕もさすがに足が重たい。


「メイ、せっかくだから蕎麦そばを食べていきたいんだけど」

「お、いいね。あたしもそうしたかったの」


 戸隠は蕎麦の産地だ。バス停近くの蕎麦屋に入ることにした。


「誰にも気づかれないね」

「顔隠すほど知られてないんだって。万一のために変装はするけど」

「でも、学校の友達とかが怖いからね。案外、こういうところに来ているかもしれないし」

「そうかなあ」


 本人の自覚は薄いけど、メイは確かに有名なのだ。万単位のフォロワーを持っている人を無名とは言えないだろう。


 ざるそばが出てきた。メイはすかさずスマホを構える。


「顔は写せないけど、デートの思い出は撮っておかなきゃ」


 同感だ。僕も二人分のざるそばを写真に収めておいた。


 蕎麦は文句なくおいしかった。

 料理に夢中で会話がなくなるということがあるけど、僕たちはまさにそんな状態だった。


「はあ、幸せだ」


 食後に、メイがぽつりとこぼした。それがとてもしみじみしたものに聞こえて、僕は嬉しくなった。


 一緒に出かけて、一緒に歩き、一緒に食事して。


 ささやかだけど、すごく楽しい。これが堂々とできる日がいつか来てほしい。


 会計を済ませて外に出る。


「メイ、そこのベンチに座って」

「そうだね。バスまでまだ時間あるし」


 メイがベンチに座ると、僕はその横にしゃがんだ。


「ユッキー?」

「やっぱり、れてたんだね」

「あ……」


 メイの右足首が赤くなっていた。体力がなくなったのではなく、靴擦れで足が傷ついていたからペースが落ちたのだ。


「……初めての靴だったから」


 言い訳するようにつぶやく。メイのウォーキングシューズは新品だった。慣らしていない靴はこういうことがよく起きる。


 僕はショルダーバッグから消毒液と絆創膏を取り出した。


「これ、使って」

「用意してたの?」

「長距離歩くってわかってたし、靴擦れは考えておかなきゃって思ったんだ。準備しすぎで気持ち悪いかな」

「そんなことないっ」


 メイの強い声に、僕はハッとさせられた。


「ユッキーがいろんなこと心配して、あたしを守ろうとしてくれてるの、いつもすっごく嬉しいの。気持ち悪いなんて言わないで」

「……うん」

「前もダンスの時、絆創膏用意してくれたよね。今日も同じで、飲み物まで買ってくれて……。彼氏にここまで考えてもらえるんだから、あたしはとっても幸せ者なんだよ?」


 柔らかい微笑みに僕の心は満たされる。準備しすぎとか、なんでそんなことを気にしていたんだろう。


「じゃあ、薬つけるよ」

「お願い――うっ」


 メイが呻いた。僕は消毒液を軽く拭き取って絆創膏を貼る。


「はい、オッケー」

「……ありがとね」

「家まで歩ける?」

「んー」


 あごに指を当て、メイは少し考え込む。


「ユッキーが心配しそうだし、バス停にタクシー呼ぶよ。少し安静にしてれば早く治るはず」

「よかった。やっぱり気になるよ」

「ごめんね。プール行く時はケガしないようにするから」

「今日のはしょうがない。たくさん歩いたからね」

「うん。でも楽しかった」

「僕もだ」


 トラブルはあったけれど、メイの傷はきっとすぐに治る。

 その時にはこれも笑い話になっていくのだろう。


 僕とメイのアルバムに、新しい一枚が追加された。

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