8話 嘘だとわかっていても
「お前ら、今日も語ろうか」
「わかってるぞ。昨日上がった踊ってみたについてだな」
「完成度高かったなあ」
いつもの三人組が前の方の席で話している。
木曜日の朝。気だるいホームルーム前の時間。
「メイちゃんの身体能力は理解していたつもりだったが……」
「まだまだ甘く見ていたようだ」
「とにかくキレがやばいのよな」
「最後の見下してくる視線すごいと思わなかったか?」
「あれはやばい」
「ゾクッとした。直接見下されたい」
「それな」
「わかる」
わからないよ……。
確かに最後の振り付けはものすごい迫力だったけど、僕にはそこまでの感情は持てない。
「てか、俺は思った」
三人組の中で一番のチャラ男、
「俺たちはもっと邦ロックを聴くべきだってな」
「言えてる」
「前の雑談でも、メイちゃんはそれで悩んでるみたいだったしな」
「ワンチャン話せたとして、ロックの話できたらそれだけで好感度アップだろ。聴くしかねえよ」
「踊ってみたで使ってるバンドの曲から当たってみるか」
「MVは山ほど公式で上がってるしな」
彼らもある意味で努力家ではある。好きな女の子の、好きな話題についていきたい。そのために興味のなかったものに触れようとしている。
僕はメイの踊ってみたをいくつか見たあと、すぐその曲を調べて聴いた。いつの間にか邦ロックにはまっていた。そこに打算はなかったと思う。ただ、メイのことを理解したいという気持ちがあっただけ。
でも先んじて知っていたからこそ、僕は合い言葉に返事ができたし、仲間だと喜んでもらえた。行動は早いうちに始めた方がいいということだ。
☆
一日の授業が終わっても、僕はすぐには帰らなかった。
五時間目の授業で先生に質問したい場所があったのだ。ただ、みんなの前で訊く勇気はなかった。職員室に入っていくのも精神的にきついが、引っかかりは解消しておく必要がある。
覚悟を決めて数学の先生のところに行き、理解できるまで話した。それだけでだいぶ疲れた。コミュ障って本当につらい。
時刻は五時を回っていた。もう昇降口も静まり返って、部活をやっている生徒の声が聞こえるくらいだ。
僕はいつものルートを歩いて、マックの前にさしかかった。
「あ……」
思わず足を止める。マックの扉が開いて、メイと月詩さんが出てきたのだ。二人とも女子としては背が高くて足が長いので、遠目からでも目立つ。スカートも短いからなおさら。
メイがまず僕に気づき、少し遅れて月詩さんもこちらを向いた。
「……行きますよ」
しかし声をかけてくることはなく、月詩さんがメイをうながす。
「そうだね」
メイも普段通りの返事をした。僕に背中を向け、二人は歩き出す。月詩さんは例のバットケースのようなものを肩にかけた。
――その時、何かが宙に舞った。
二人がそのまま行ってしまったので、僕は何かが飛び込んでいった街路樹の根元を見た。
制服のボタンだった。
たぶん、肩にかける動作で体をひねったから、その勢いではじけてしまったのだろう。
「……どうする」
追いかけていって月詩さんにこれを渡すのか? なんか、ストーカーみたいで怖くないか? ただでさえ僕は月詩さんに警戒されているのだ。メイに近づくなとも言われている。そんな奴が声をかけてきたら……。
いや、でも制服のボタンは大切だろう。予備があっても、なくしたという事実は消えない。それってけっこう引きずったりするものだ。
……月詩さんには嫌われてもいい。
メイとの密会さえ続けられれば、僕はそれでいいのだ。月詩さんからは距離を置かれているくらいの方が安全だ。
僕は前を行く女子二人を追いかけた。
「す、すみません」
先に振り返ったのは月詩さんだった。案の定、きつい視線をぶつけられる。
「……あなたですか。メイには近づかないようにと言ったはずです」
「なになに? 月詩の知り合い?」
メイが見事な知らないふりで反応する。
「いえ、マックとイオンで見かけたので忠告をしただけです」
「なんの?」
「メイの追っかけに見えたので」
「もー、また神経質になってるー。考えすぎだよ」
ね、とメイが笑顔を向けてくる。
「そ、そうそう。偶然だよ。通学路だし、本当にたまたま」
月詩さんは警戒心を隠そうともしない。
「で、何か用事ですか。わざわざ話しかけてくるということはよっぽどのことなのでしょうね?」
「そ、そうだね」
僕は右手を出した。手のひらに制服のボタンを乗せている。
「さっき、道路にこれが落ちたのが見えたんだ。なくなったら困ると思って」
「……あっ」
月詩さんは自分のブレザーを見て、上のボタンがなくなっていることに気づいた。
「……これを肩にかける時、引っかかってしまったようです」
バットケースらしきものに触れる月詩さん。
「助かりました。ありがとうございます」
月詩さんはお辞儀をしてからボタンを受け取ってくれた。
「よかったね、月詩。この子に感謝しなきゃ」
「メイ、この子と呼ぶのは失礼です」
「あ、そっか。えーと、キミなんて名前なの?」
メイがニコニコ顔で訊いてくる。嬉しそうだな。月詩さんがいる前でも会話できるから?
「ゆ、結城翔太郎。上松高校の二年生」
「翔太郎くんね」
「メイ、失礼だと言っているじゃないですか。いきなり下の名前で呼ぶなんて」
「ぼ、僕は別になんでも……。たぶんもう話しかけないと思うし……」
「えー、そうなの? 別に遠慮しなくていいのに」
「いえ、線引きは必要です。結城さんはメイの動画を知っているのですから」
「あ、そうなん? あたしのファン?」
「は、はい」
「わあ、照れてる! 月詩、この子かわいいんだけど」
「やめなさい」
密会だともっと近づいて会話をしているから、この距離感はなんだか不思議だ。お互い初対面を装っているのも変な感じがする。
「ともかく、適切な距離を維持してください。ボタンに気づいてくださったことにはお礼を申し上げます。でも、メイのことは別問題です」
「うん、わかってる。じゃあ、これで」
「行っちゃうの?」
「……うん」
「そっか。またね」
「えっと、それだと次があるみたいになっちゃうけど……」
月詩さんがため息をついた。
「あなたは真剣に捉えすぎる方なのですね。ええ、挨拶くらいなら交わしてもいいと思います」
「お、月詩が許してくれた! じゃあ、今度こそまたね!」
「あ、はい。また」
手を振るメイと、バットケースに触れている月詩さん。二人に見送られて僕はアパートへの路地へ入った。
密会とは違った緊張感だった。
ところで、名乗ったらすぐ下の名前で呼んできたけど、あれって月詩さんがユッキーというラインのアカウント名を知っているからだったのかな?
結城=ユッキーというイメージからとっさに遠ざけた。
それが正解ならすごい判断力だ。
☆
しばらく春らしくない寒さが続いていたけれど、この数日でようやく暖かくなってきた。暖房をつけなくても問題ない。
夕食を取って数学のノートを広げていると、ラインの通知があった。通知が来るとしたら母さんかメイ、あとは企業の広告しかない。もう午後八時を回っている。今から密会のお誘い?
〈すぐ消すけど今日はありがとね~〉
やはりメイからだった。ただ会話をしに来てくれたようだ。
〈気づけてよかった〉
〈月詩もホッとしてたよ。ちょっと不器用な子だから当たりきつかったのは許してあげて〉
〈もちろん〉
〈とりあえずそんだけ。また話そうね〉
〈うん〉
やりとりしながら、僕の返事って味気なさすぎるかな……と不安になった。
「おやすみ」を交わして三十分くらいすると、お互いにメッセージを削除する。せっかくのやりとり、残したいけどなあ。
でも、危険な綱渡りをしているのだから贅沢を求めちゃ駄目だ。自制、自制。
そのまま十時になり、寝る準備をした僕はマットレスを広げて横になった。またラインの通知音が鳴った。
「なんだ?」
メイからだ。画面を開く。
〈もう話しかけないって言われた時、嘘だってわかってたけどちょっとさみしかった〉
「…………」
文末には泣いている顔のアイコン。メイは、あの時そんなことを思っていたのか。
僕が返事に迷っていると、目の前でメッセージが消されていった。読んだと判断したらしい。
「……やるか」
〈もっと話したいよ〉
この文章の最後に、人生初、笑顔のアイコンをつけた。
すぐに既読マークがつく。
すると「やったー!」という何かの漫画キャラのスタンプがたくさん送られてきた。
……喜んでくれたのかな。
画面の向こうの顔は見えないけれど、笑っていてくれたら嬉しい。
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