7話 初めて常連客に会った
また一週間が過ぎて月曜日になった。早くもゴールデンウィークが近づいている。
母さんはまったく余裕がないらしく、しばらく顔も見られていない。
家電のことを心配していたので、「まだ洗濯機はいいよ」と言っておいた。だって、洗濯機が来ても僕はコインランドリーを使うだろうから。
学校から帰ってきたらまずは復習だ。
各教科のノートは二冊持っている。板書を取る学校用ノートと、家でさらにわかりやすくまとめるノート。今日の授業内容を整理していると、ラインの通知があった。メイからだ。
〈狂って? Hey?〉
え、暗号変わったのか? でもこれはわかるぞ。
〈Kids?〉
〈当たり~! ナイス! 8時で!〉
〈了解〉
僕はシャワーを浴びて用意を調えた。
まだ七時だった。早めに夕食も取ってしまったのでやることがない。復習も片づいちゃったしなあ。
……まあ、向こうで待っててもいいか。
僕はさっさとアパートを出た。
☆
コインランドリー・まっさらピュアに入って洗濯を始める。一番奥のテーブルにつき、外の自販機で買ったサイダーを飲みながらスマホを見ていると自動ドアが開いた。顔を上げる。
入ってきたのは黒いフリースを着た四角いメガネのおじさんだった。おじさんはマシンを動かすと、なぜか僕の向かいに座った。黒髪が蛍光灯に当てられてつやつやに見える。
「キミはいつもここを使っているのかね」
「はあ、そうですが」
「たまに、金髪の女の子を見ることはないか?」
警戒レベル――上昇。
「一回だけ、見かけました」
「そうか」
おじさんは腕組みをした。
「私はねえ、ああいうのはよくないと思うんだよ。女子高生はもっとねえ……」
ああ、この人はあれか。女の子に説教するタイプのめんどくさいおじさんか。この人が常連だとしたら、どこかでメイが絡まれる可能性がある。それは嫌だけど、会わせないようにコントロールするなんてできるわけがない。
「女子高生が金髪なんかに染めるのは本当によくないことだ」
「それは、本人の自由だと思います。学校が禁止していないならやりたいようにしてもいいはずです。社会人になったら元に戻さなきゃいけないこともありますし、ある意味で今のうちしかできないことかもしれませんよ」
「やけに早口でしゃべるね」
「そ、そうですかね」
必死になってしまった。
「私は金髪反対派だ」
「その女子高生に説教するつもりですか」
「ずいぶん喧嘩腰だな。私のことが気に入らないか」
「……そんなことは」
「そう思っているのだろう。やれやれ」
くそ、イラッとする。コミュ障なんて言い訳してる場合じゃない。負けるものか。
「金髪なんてろくなものではない。数年経って卒業アルバムを見てみたまえ。一人だけ浮いていて死にたくなる」
……ん?
「私は高校時代、金髪オールバックにしていたのだよ。当時はそれがかっこいいと思っていたんだ」
……んんん?
「だが、社会人になってから久しぶりに卒業アルバムを見返したら、明らかに異物になっている。周りがみんな黒髪で、いてもせいぜい茶髪なのに一人だけギラギラの金髪。ううっ、思い出すだけでも苦しい……」
「えーっと、将来後悔するかもしれないからやめとけというお話ですか?」
「そうだ」
「じゃあ、最初からそう言ってほしかったです」
「ほう、この私に反論するのか」
「あなたのキャラがわかりません」
「真面目な自営業者だ。文句があるのかね」
「ないですけど……。とにかく、髪を染めるのは自由ですよ」
「染めると毛が傷む。いつまでも綺麗な髪を維持したいのなら本来の黒髪でいるべきなのだ」
優しい、のか……?
「押しつけはよくないです。理由があって染めているのかもしれないし」
そういえば、メイが金髪にしている理由って聞いたことがない。
「まあ、今日のところは納得しておこう」
「してないですよね」
「キミも、彼女と話すことがあったらそれとなく注意してあげなさい。黒髪のおじさんが気にしていたと」
「それって普通のおじさんと同義では」
「私はチャラ男を卒業して、黒髪を大切にする男に生まれ変わったのだ。よく見ればキミの黒髪はツヤがあってよろしい。いいシャンプーを使っているようだな」
このおじさんの思考がまるで読めない。メイ、今は来ないでくれ……。
「だが、いささかくせっ毛のようだ。ストレートパーマをかけた方が女性にはモテるかもしれんぞ」
「そう、ですかね?」
「その気になったら美容師である私がやってあげよう」
「美容師だったんですか!?」
「そうだが?」
だから髪の毛にうるさかったのか。でも自分の考え方に固執しすぎな気がする。
「キミにもこれを渡しておこう」
おじさんは名刺を渡してきた。美容室「シキ」の地図が入っている。
「どうも……」
とりあえず受け取っておいた。
「女子高生が髪の毛を染めたいって言ってお店に来たらどうするつもりですか?」
「もちろんやってあげるさ」
棒読みの返事。レビューで星1つけられそう……。
その後は無言の時間が流れた。まず僕の洗濯が終わり、続いて久保敷さんの洗濯も終わる。
先に久保敷さんが動き、カゴに着替えを入れた。
「では、元気でやってくれ。髪はいたわってね。シャンプーを泡立てる時は優しく」
「はあ、気をつけます」
久保敷さんは帰っていった。
「なんだったんだ……」
僕はぐったりしてしまった。
しかし、こういうこともあるよな。コインランドリーという公共の場で会うのだから、他のお客さんと鉢合わせる危険は充分にあるのだ。
数分してメイがやってきた。キャスケットをかぶって、ジャケットにスキニーという格好だった。
「やっほー。元気だった?」
「うん……」
「元気じゃないじゃん」
「今、厄介おじさんに絡まれてて……」
「あー、そうだったんだ。お疲れ」
「メイが来る前に帰ってくれてよかったよ」
「よっぽど嫌な人だったんだね。顔見ればわかるよ」
「嫌というか、変な人だった」
「ふーん?」
メイは自分の洗濯を始めた。
「メイを見たことあって、気になるんだって」
「え、こわ。なに言ってた?」
「金髪は卒アル見たとき後悔するからやめとけって」
「うへえ、髪の毛の話? 余計なお世話なんですけど」
「僕も、本人の自由だって言っておいた」
「言ってくれたんだ! ユッキーやるじゃん!」
「だって僕……」
どうしよう。これ言うの、すごく恥ずかしいな。
迷っていると、メイは言葉を待つように体を左右に振った。
「僕はメイの金髪、すごく似合ってると思うし……」
「ほんと?」
「う、うん」
メイはロングヘアーを指でいじった。
「卒業した先輩に金髪の人がいてね、かっこよかったから真似してみたの。……ふーん、ユッキーもそう思ってくれてるんだね」
「踊ってる時も華やかになっててすごくいいよ」
「そっか。……えへへ」
照れくさそうに笑うメイ。その表情はたまらなくかわいらしい。
「あたし、頭振る振り付けたまにやるじゃん」
「そうだね」
「自分でも録画をしつこく確認してるんだけど、黒髪の時ってどうもしっくり来なかったの。なんか、自分の顔と元々合ってなかったような感じがしてさ」
「いるよね。他の色の方が似合う人って」
「わかってくれる? 北峰って校則緩いから染めてる人も多いんだ。だからいろいろ試して、憧れた先輩もそうだったし金髪に落ち着いたの。お父さんとはちょっと揉めたけど」
仕方ないよなあ。自分の娘が急に金髪になったらびっくりするに決まっている。特に、メイのようなロングヘアーの女の子は変化が大きい。最初は受け入れられないだろう。
「で、そのおじさんはどんな風に言ってたの?」
僕はざっくりと内容を伝える。
「ふーん、黒髪強要おじさんだったのね」
「常連っぽいし、気をつけた方がいいよ」
「そうする。でも、前からここ使ってるけど八時台って他の人見たことないよ。みんな時間決めて来るんじゃないかな」
「だったらいいけど」
「ま、仮に鉢合わせてもちゃんと反論するからだいじょーぶ」
胸を張るメイ。この子なら本当に抵抗するだろう。
「怒らせない程度にね……」
「もちろん」
メイはテーブルに右肘を突き、頬杖をついて僕の顔を見つめてくる。
「な、なに?」
「んー」
彼女はずっとニコニコしたままだ。
「あたしのために戦ってくれる人がいるんだなって、嬉しくて」
その柔らかい声に、僕の心臓は見事に射抜かれた。
体が熱くなったけれど、精一杯冷静なふりをする。メイはしばらく、僕から視線を離さなかった。
「水曜日あたり、何かするかも」
帰り際、メイがそんなことを言った。
「ユッキーが守ってくれたものに価値があるって見せられると思う」
ちょっと曖昧な言い方で、僕の返事もはっきりしないものになってしまった。
☆
でも、その答えは水曜日にわかった。
メイの新しい踊ってみた動画が公開されたのだ。
それは最近勢いの出てきたガールズバンドのスピードナンバーで、メイは全身いっぱいに使ったキレッキレのダンスで歌詞の世界を表現してみせた。
その中で、鮮やかな金髪が美しく広がった。跳ねた。うねった。
やっぱり僕は、彼女の今の姿が好きだ。
だから、メイの気が変わるまでは今のままでいてほしい。
メッセージで感想を送りたい気持ちをこらえ、僕は動画のいいねボタンを押した。でも、一回じゃ押し足りない!
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