6話 ハードルは越えるもの
一週間を乗り切り、土曜日を迎えることができた。
メイはあれから新しい動画を上げていない。そう気軽にアップできるものではないが、早く次のダンスを見たい。
土曜日の夕方、僕は買い出しに出かけた。近くのショッピングモールで必要なものを買いためると、出口のベンチで少し休憩する。缶コーヒーを飲んでいると、ラインの通知が来た。
いつもの暗号だった。
思ったより早い。まだそんなに洗うものは溜まっていない。でもこのチャンスは逃したくないし、出かけるだけ出かけよう。僕はオッケーの合図を返した。
月曜日以降、学校帰りにメイを見かけたことはない。あちこちで男子から視線を向けられるのは嫌だろうし、避けているのかもしれない。
「おや」
そんな声がして、顔を上げた。そして僕は固まった。
黒髪をポニーテールにした女の子が目の前にいたのだ。
「あなたは先日、マックで見かけた顔ですね」
「い、いましたけど」
「メイとどういう関係ですか?」
「特に何も。たまたま同じ店にいたからなんとなく見ちゃっただけです」
「メイはあなたを見てピクッと反応しました。私はちゃんと気づいていましたよ」
気づいていただと……? まずい。このままでは僕たちの秘密の関係が見破られてしまう。
「あの、メイさんのことはムービーキャストを見ていたので知ってるんです。それが偶然あそこにいたから見てしまって」
「ほう」
「そしたら、思いっきり目が合っちゃったんです。それでメイさんがちょっとびっくりしたみたいな反応をして……」
「面識はないのですね」
「は、はい」
「ムービーキャストではコメントを打っているのですか」
「たまにですけど……。もしかして、アカウント名とかも教えなきゃ駄目ですか?」
「できれば知りたいですが、プライバシーの侵害になるので無理は言えません」
理解のある人でよかった。
「いつもコメントしてるわけじゃないです。生放送の時、たまに」
「そうですか。セクハラコメントをする常連ではないわけですね」
「それは、僕もよくないと思いながら見ています」
「でしたらけっこうです」
月詩さんは腕組みをした。
「私はメイのマネージャーみたいなことをしているので、厄介ファンの撃退も仕事のうちなのです。彼女は素顔を出して活動しているので、街を歩いているだけで気をつかいますからね」
「お疲れ様です」
「今回は疑ってしまって申し訳ありませんでした。でも、メイを見かけてもあまり近づかないようにお願いします」
「わかりました」
わかってはいるけど、守れない。ごめん月詩さん。
「では失礼します」
美しくお辞儀をして、月詩さんは店内に入っていった。
僕は呼吸を整えると、店を出た。
†
家に帰ると夕日がだいぶ落ちていた。僕はシャワーを浴びてから夕食を用意する。白菜の味噌汁と惣菜のチキンカツがおかず。
食事を終わらせると、少しだけ今週の授業の確認をする。それからアパートを出た。今日は何も持たない。
まだひんやりしている夜の道を歩く。
「おー! 誰だっけ?」
僕はビクッとした。
いつもの三人組のうちの一人、
「や、やあ。結城だよ」
「あー、そうそう。結城くんね」
藤堂くんはモコモコのジャンパーを着ていた。髪の毛をばっちり決めたチャラ男。三人組の中では一番性格が明るい。
「結城くんってこの辺に住んでんの?」
「い、いや。友達の家に行って、その帰り」
「ああ、そういうことね」
「藤堂くんも、家この辺なの?」
「俺はもっと向こうだよ。
「そ、そっか」
佐久間くんも三人組のうちの一人だ。
「普段はここ通らないの?」
「おう。やっぱ夜の裏道って怖いだろ。なるべくなら通りたくないわな」
通らないのか。ありがたいことだ。
「じゃあ、これで行くから」
「おう。気をつけろよ」
「ありがとう」
藤堂くんと別れると、彼が路地の角を曲がるまで見届けた。
……なんか、ごまかしスキルが上がってきたな。
まあまあ言い訳できた気がする。背後を気にしつつ歩き、コインランドリー・まっさらピュアに到着した。思ったより時間を食ってしまった。
「今日はあたしの勝ちだね」
入ると同時にメイが声をかけてきた。もうテーブルについている。
金髪は自然に流し、青いデニムジャケット、その下に黒いニットセーターを着ている。セーターがぴっちりしたタイプなので起伏がわかってしまう。けっこうあるぞ……うう、そういうこと考えちゃ駄目だ。
「そこでクラスメイトに会っちゃって時間取られてたんだ」
「あー、それはバレたらやばいやつ。だったら仕方ないね」
「ここってけっこう明るいけど大丈夫かな?」
「平気でしょ。お店のロゴで外からよく見えないし」
僕は納得し、メイの向かいに座った。
「昼間、月詩さんに会った」
「あらま」
「でもなんとかごまかせたと思う」
「そっか」
なんだか冷たいような……。
戸惑っていると、メイが両腕をテーブルの上に乗せた。ピンクのネイルがきらめいている。
「せっかくの密会だし、まずあたしの話をしてほしいかな?」
「あっ、ごめん! えっと、その、ジャケット似合ってる。かっこいい」
「無難なところ攻めるねー。もっと大胆に来てくれてもあたしはかまわないよ?」
「……今日も、すごく綺麗だ」
「え……あ、ありがと……」
な、なんで声が小さくなるの。大胆でいいって言ったのはそっちじゃないか。
「ユ、ユッキーってハードル越えるとき意外に一瞬で来るよね」
「そうかな」
「びっくりしちゃった」
メイはぺちぺちとほっぺを叩いた。かわいい。
それにしても、本当にユッキー呼びしてきたな。すごいメンタルだ。
「うー、からかってやろうと思ったのに調子狂っちゃうな」
「そんなにやられたら僕の心臓も持たないから……」
「すぐ顔赤くなるもんね」
「な、慣れてないの」
「じゃ、あたしで慣れときな~?」
「うわっ……!」
メイが僕の頬をつついてくる。ショックですぐ体温が上がった。けれど、思ったよりは冷静でいられた。
「あれ? 前はもっとあわわわってなってたのに」
「ああ、ネイル当てないように気をつかってくれてるんだって思ったら嬉しくなっちゃって」
「んなっ……!? ちょっ、そーいうのは気づいても黙っててよ! なんか恥ずかしいじゃん!」
一転してメイの顔が赤くなっていった。
僕は気づいてしまったのだ。メイが指の腹を当ててきたことに。
ネイルが刺さる! という予感は一瞬で消えてなくなった。
「メイって、すごく優しいよね」
「あうっ!?」
予想外の一撃でも食らったみたいにメイが驚く。こんなにかわいいのに、踊っている時の彼女はすごくかっこいい。そのギャップでどんどん好きになってしまう。
「たくさん気づかいできて、性格も明るいし……」
「くう……あたしを辱めるつもりなの!? 褒め倒しとか羞恥プレイと同じなんだからね!」
「でも、本当にそう思ったんだ」
「この正直者ー!」
謎の反論に、また笑いそうになる。
とっても楽しい。この時間は絶対に守らなければ。その気持ちがグッと強くなった。
メイは右手で顔をパタパタあおぐ。
「てか、ユッキーってさ」
「うん」
「話すの苦手とか言うわりには、あたしのことフツーに名前で呼び捨てにできるタイプなんだね」
「…………うわあああああ!?」
そうだった! メイとしての活動ばかり見てきたから、彼女が葉月芽生という名前であることを完全に忘れていた! 本来なら葉月さんと呼ばなければならない!
「は、葉月さん!」
「却下!」
「なにが!?」
「そのまま、メイって呼んでよ」
「で、でも……」
「あたしもその方が慣れてるし。ユッキー、たぶん人の呼び方とか気にする人でしょ?」
「そうだね」
「今のうちに女子の呼び捨て慣れといた方がいいかもよ。じゃないと、好きな人できた時に困っちゃうから」
「気づかいの鬼……」
メイが「くふっ」と噴き出した。
「ユッキー、リアクション独特すぎてなんか笑っちゃうんですけど。友達にも言われない?」
「と、友達いないから……」
「マジ? 一人も?」
「うん。ぼっち」
「そうなんだ……」
メイは不意に立ち上がり、僕の横にやってきた。
そして、いきなり頭を撫でられた。
「ちょっ、今度はなに!?」
「かわいそうに。あたしが慰めてあげるからね。よしよし」
「か、勘弁してくれ……!」
「お、シャンプーのいい匂い。お風呂入ってから来たの?」
「うん」
「あたしに会うから?」
「う、うん」
「マジか。いい子すぎるじゃん。みんなユッキーの魅力に気づいてないなんてもったいな~」
「いや、いいんだ」
「そうなの?」
「わかる人だけ、わかってくれれば……」
「…………」
急に無言になったメイは、僕の左手を両手で掴んできた。
「じゃ、あたしはわかる方に入るよ」
ね、とメイは笑った。純粋すぎる笑顔。もう焦る気持ちは起こらず、ただ手の感触を受け入れるだけだった。
「あ、洗濯終わった。そろそろ行かなきゃ」
メイの手が離れていく。洗濯物をバッグにしまった彼女を、僕は入り口まで見送った。
「外に出るとまずいから、ここまでにしといて」
「わかった」
「また会おうね。そのうちメッセージ送るから」
「待ってる」
手を振って、メイはコインランドリーを出ていった。その後ろ姿を見送りながら、僕は左手だけ握りしめていた。
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