4話 ナチュラルに距離が近い

 カルボナーラのスパゲッティを作って夕食を済ませると、僕はシャワーを浴びた。

 メイはおしゃれな女の子だ。清潔さは気にした方がいいだろう。


 メッセージには時間が書かれていなかった。

 前回は夜の八時過ぎだったから、今日も同じくらいでいいはずだ。


 僕は何もせず時間を待ち、出かけた。もちろん着替えも持っていく。このパターンを想定し、あえて着替えを溜めておいたのだ。


 コインランドリー・まっさらピュアに入ると誰もいなかった。

 マシンに着替えを入れて洗濯を始める。

 テーブルについて、きたるべき時に備える。

 店内にはテーブル席が三つあり、子供の遊ぶマットスペースもある。広い空間に一人だと落ち着かない。


 なかなかメイは現れなかった。

 からかわれたってことはないよな……。少しずつ不安になってくる。

 だが、杞憂だった。


 自動ドアが開いて、私服姿のメイが飛び込んできたからだ。

 メイは膝に手を当てて呼吸を整えている。走ってきたらしい。

 ジーパンにトレーナーという格好で、髪の毛はうしろで束ねていた。小さいバッグを持っている。


「ごめーん。あの子がなかなか帰ってくれなくて」


 メイは両手を合わせて謝ってくる。そんな仕草がいちいちかわいい。


「えっと……今日はごめん」

「なんで?」

「なんか、ストーカーみたいなことしちゃったなって……」


 メイはニコッと笑った。


「もー、気にしすぎ。男子の視線なんて慣れてるから気にならないよ。あたしも目立つ格好してるわけだし」

「自覚はあるんだ」

「まーね」


 メイも着替えを入れて洗濯を開始する。それから今回も僕の向かいに座った。


「話してるの聞こえた?」

「なんとなくは……」

「結城くんのことは邦ロック好き仲間ってことになってるから。もしあの子と会っちゃったら頑張ってごまかしてね」

「ま、まあ合わせられるとは思うけど」

「お、もしやロック聴くタイプ?」

「うん……」

「わー、ホントに気が合う! どんなの好き!?」


 グイグイ訊かれて、僕は早くも汗をかき始めている。


「ワイルドファングとか、Aroundアラウンド the cRockクロックとか……」

「結城くん、手を出して」

「え? こう?」


 右手を出すと、両手でがしっと掴まれた。


「あっ、あああっ!? な、なに!?」

「こういう話できる子が全然いなくてさみしかったの! やっと仲間に会えて嬉しい! ありがとう~!」

「は、はい。ありがとうございます……」

「あはは、なんか返事おかしいよ? また緊張してるの?」

「だ、だって……」


 女子に手を握られるなんて人生で初めてだし……。

 メイの手はひんやりしていて、でも柔らかかった。


「女子と話すの苦手な感じか」

「い、いや、人と話すのが苦手」

「そう? わりと話せてると思うけどな」

「でむ……でも、こうやってどもるし……」

「ふふっ、いいキャラしてるよ?」


 この子、優しすぎてまぶしいよ……。


「ところで、この前のお礼をさせてほしいんだ」


 メイはバッグから赤い紙袋を出した。


「これは?」

「開けてみて」

「し、失礼します」

「ほんと、言い回し独特だよね。ふふふ」


 僕は顔を赤くしながら封を切った。まん丸なホワイトクッキーが五枚出てきた。


「手作りしてみたんだ。よかったら食べてほしいな」

「え、え、え……」

「あ、また固まってる。結城くんリアクションよすぎるよ~」


 これはフリーズするに決まっている。だって考えてくれ。メイは人気の動画配信者なのだ。ツイッターのフォロワーだって万単位でいるのだ。そんな女の子から手作りクッキーをもらえるなんて信じられるか? 僕は信じない。……と言いたいところだけど、目の前のクッキーが「信じろよほらほら」と事実で殴ってくる。


「こ、こんなにしてもらうほどのことはしてない……」

「なに言ってんの? あたし、もうちょっとで連れてかれるところだったんだよ? それを助けてくれたんだから、ほんとはこれじゃ足りないくらいなんだけど」

「でも、男子に手作りクッキーなんて……」

「いいじゃん。あたし運動神経だけじゃなくて女子力も自信あるんだ。クッキーくらい余裕だし」

「じゃあ、ありがたく……」


 僕は紙袋を自分の前に置いた。少し話したことで、ようやく暴れる心臓が落ち着いてきた。


「なんか、監視がきつそうだね」

「ツクシのこと? ま、お父さんもあたしのことが心配なんだよ。どうしても監視はつけろってうるさくてね」


 ツクシは月詩と書くらしい。意外にキラキラしている。


「あの子は親戚なんだ。監視役の話になった時、月詩なら安心だなって思ってあたしが指名した。でもね」

「うん」

「思ったよりお父さん寄りの考え方してた」

「それはしょうがないな」


 YouTuberが人気職業にランクインするくらい、動画配信業もメジャーになっている。でも、それで食べていくとなったら周りが心配するのも無理はない。学生なら情報や金銭の管理も大変だ。


「でもカメラ周りはあの子に手伝ってもらってるんだ。なんだかんだ言いつつ協力はしてくれるの」

「じゃ、全部一人でやってるわけじゃないのか」


 メイはうなずいた。


「そうだ、あたしの踊ってみたってぶっちゃけどう? クラスの子たち、みんな遠慮しちゃうから正直な感想を聞いてみたかったの」

「すごくいいと思う」

「ほんと~?」


 今度は僕がうなずく。


「思わず引き込まれる魅力があるよ。音ハメとかすごく上手いし、見てて楽しい」

「えへへ、そっかぁ」


 メイはテーブルに肘を突き、両手をほっぺに当てる。


「駄目なところは?」

「強いて言うなら服装がいつもジャージってところかな」

「そこ、気になるんだ」

「種類変えてるのはわかってるけど」

「それさあ、専用コーデとか考えてるんだけど月詩が許可くれないんだよね。ここの露出がーとか言って。別に体で売るわけじゃないんだから足くらい出したっていいじゃんね?」


 その言い方にちょっとドキッとしつつ、僕は昼間見た月詩さんの姿を思い浮かべていた。


「注意するわりには、月詩さんもスカート短かったよね」

「……あ」


 メイが固まった。

 失言だったか? 女子を観察していたみたいで変態っぽい。やばい――と思った瞬間、メイがテーブルを強く叩いた。


「そうだよ! あの子だって普通に足出してんじゃん! そっか、それを理由に意見押し通すのはアリ!」


 メイはニヤッとして、いきなり僕の額を人差し指でつついてきた。


「結城くん、なかなかやるね~。あたしに一瞬で解決策を与えてくれるとは」

「あががががが」

「あれ?」

「きゅ、急に触ってくるのは駄目だ! 勘違いしちゃうから!」


 僕は思わず大声を出していた。たぶん、顔は真っ赤になっている。


「……ふふ、あははは!」


 メイは心底楽しそうに笑った。


「勘違いしちゃうって……結城くん、正直者でいいね。あたしのこと、好きになりそう?」

「――ッッ!?」

「わ、顔真っ赤! かわいいなぁ」


 僕はもうひっくり返って倒れそうだ。メイの容赦ないからかいに心が耐えられない。


「いいよ、好きになっても」

「な……っ!?」

「あたしが結城くんを好きになるかは別問題だけどね?」

「あ……うん。知ってる」


 急に冷静になった。それはわかっている。メイのような存在が僕を好きになるなんてありえない。こうして相手をしてもらえているだけで奇跡なのだ。


 マシンが洗濯の終わりを告げた。僕は洗濯物をバッグにしまう。出口へ向かうと、メイがついてきてくれた。僕の身長は172センチ。メイはそれより少し低いくらいだ。


「好き嫌いはともかく、結城くん面白いからまたお話ししようね」

「次もあるの?」

「嫌ならいいけど」

「できるなら、また話したい、かな」

「う~ん、もうちょい強気な結城くんを見てみたいなあ」

「え……」

「今の台詞、もっと強めに言ってみて」

「また……話したい」

「惜しい」


「弱い」と言わないところに優しさを感じて余計に恥ずかしくなる。

 ――おい、しっかりしろ結城翔太郎。

 心の中の自分が怒鳴ってくる。

 ――何も変わらないことを残念に思っていたんだ。つまり変わりたいんだろう? なら、このチャンスは掴まなきゃ駄目だ。

 うん、そうだな。その通りだ。

 僕は息を吸って、メイに近づく。


「次もここで話そう」


 自分史上、一番はっきりした声で言い切った。


「あ……」


 メイはぽかんとしていた。その顔が、少しずつ朱に染まっていく。


「なにそれ、やば……」


 小さくつぶやく声がした。


「じゃあ、おやすみ」

「う、うん。またね」


 挨拶を交わすと、僕はコインランドリーを出た。

 夜空を見上げて深く息を吐き出す。恥ずかしかったが、後悔はしていない。


 店の中からは、

「思ったよりイケボなんですけど~!」

 という声が聞こえてきたが、黙って帰ることにした。

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