2話 夜のコインランドリー

 その日の夜。

 ベーコンを入れた野菜炒めでご飯を食べながら、僕はムービーキャストを開いていた。

 昨日アップされた、メイの踊ってみた動画を見返していた。


 本当に綺麗でかわいい。そしてかっこいい。

 ロックバンドの曲にオリジナルの振り付けをしたダンスが彼女の持ち味だ。キラーチューンに速い動きを合わせることが多く、抜群のキレが評価されている。


 僕はこの女の子を助けたのか。本当に? 現実味がなさすぎて、あれは夢だったんじゃないかという気がしてくる。

 食べ終わって食器を片づけると、ツイッターでメイのアカウントを覗いてみた。


〈怖い人たちに絡まれたんだけど他校の男子が助けてくれた! でも名前聞く前に帰っちゃったから誰だかわからなかった……〉


「おあああ!?」


 思わず声を上げていた。こ、これは間違いなく夕方のアレ!


〈お礼したいから探さなきゃ〉


 さ、探すだと? こんな髪の毛のもっさりした陰キャぼっちに果たして彼女は気づけるだろうか。

 早速リプライがたくさんついている。


〈メイちゃん助けるとか英雄じゃん〉

〈恋の予感?〉

〈女子高生の一人歩きは危ないよ〉

〈お礼できるのえらい〉

〈仲間に襲わせておいて、あとからヒーローのふりして近づく作戦もあるよ。そいつらグループの可能性もあるからマジで気をつけた方がいいと思う。お礼なんてしなくていいでしょ。向こうだってたぶん気にしてないよ〉


 長文の奴はガチ恋勢か? 必死すぎるだろ……。


「まずいことにならなきゃいいけど」


 僕は立ち上がって、バッグに下着や長袖シャツを詰め込んだ。まだ届いていない家電があるので、洗濯はしばらくコインランドリーでやるつもりだ。


 ドアに鍵をかけ、階段を下りて道路に出る。

 春先とはいえ、長野市の夜はまだまだ冷え込む。しっかりジャンパーを着込んできた。


 歩いて数分のところに「コインランドリー まっさらピュア」はあった。横長の白い建物で、駐車場は八台分ある。


 中に入ると、マシンに着替えを投入し、コインを入れて洗濯開始。

 店内には待合スペースが広めに取られていた。イスに座ってまたスマホを出す。


 ぼっちは学校でやることがないので、つい動画を見てしまう。メイを知ったのも去年だ。教室で話題になっていたから、軽い気持ちで見てみたら魅了されていた。


 先週上がったダンス動画を眺めながら、

 ――この子ってかなり無防備だよな……

 なんて考えていた。


 金髪なんて明らかに目立つし、すでに身バレ情報も出ている。けれど本人は気にすることなく新しい動画をアップし続けている。

 だからいつか、今日みたいなことが起きるんじゃないかと思っていたのだ。自分がその場に居合わせるとは予想外だったけど。


「お礼、か」


 期待しすぎるのはやめておこう――

 自動ドアの開く音がした。顔を上げる。


「あ」

「あ」


 入ってきた女の子と目が合った。ショックで意識が飛びかける。


「夕方助けてくれた人だー! 絶対そうでしょ!」


 女の子――メイはニコニコ顔で駆け寄ってくる。


「ひ、ひ、人違いじゃない……?」

「あっ、声も同じだ。わあ、ここで会えるなんてラッキー!」


 メイは自分の洗濯物をマシンに入れると、すぐさま戻ってきて僕の対面に座る。

 だぼっとした黒いパーカーを着ていた。上着が黒いと金髪が映える。テーブルに乗せた左手首にはカラフルなゴムが二つかけられていた。


「あたし、北峰女子の生徒なの。今日はほんとにありがとね。すごく嬉しかった」

「そ、そう……」


 な、何も言葉が出てこない!


「名前、訊いてもいい?」

「あ……えっと、結城翔太郎……」

「学校、上松だよね」

「う、うん」

「やっぱり。制服でわかったよ。――あたし、葉月芽生っていうの」

「知ってる……」

「え?」

「あ、あっ……!」


 しまった、口が滑った!


「そっちの高校に知り合いいたかな?」

「あの、ムーキャスが教室で話題になってて……」

「ってことは、あたしの動画見てくれてるの?」

「そ、そうだね。……クラスメイトとかも見てる」

「おお、あたしってけっこう有名なのかな?」

「それはそうでしょ。だって、フォロワーの数とか考えれば……」

「でも、YouTuberに比べればしょぼいよ」

「ムーキャスのフォロワー3万は、YouTubeの登録者40万人くらいの価値があるというのが僕の試算だ」

「試算? よくわかんないけどなんかすごそう!」

「自分のことでしょ」

「あたしはやりたいことやってるだけだよ。やりやすいからムーキャスを選んでるだけ」

「余裕あるんだな。動画上げてれば数字は勝手についてくるからか」

「……なんか怒ってる?」

「え? い、嫌味に聞こえた? ご、ごめん!」


 メイは楽しそうに笑った。


「そういうしゃべり方なのね。もしかして、緊張してる?」

「う、うん。ちゃんと頭回ってないかもしれない……」

「あはは、かわいい~」


 顔が熱くなった。なんだ、この馴れ馴れしさ。この短時間でここまで親しげにされるなんて。これが陽キャ。ギャルの強さ……!


「あたしの本名も知ってた?」

「学校で噂だけは……」

「そっか。よく言われるんだ、本名と同じ名前で活動しない方がいいよって。でも今さら変えられないし、どうせいろんな人にバレてるからもういいかなって思ってるの。それにあたしは芽生って名前、すごく気に入ってるから」

「不思議な名前だよな」

「なにが?」

「葉月芽生って、八月なのか五月なのかわからないというか……」

「……あー、五月Mayってことね! わあ、そんな風に言われたの初めて! 結城くん頭の回転速そう!」


 あのメイに名前を呼ばれている。さっきから汗が止まらない。


「ていうか、なんでコインランドリーに?」

「あたし一人暮らししてるんだけど、卒業した時に荷物増えるの嫌だから洗濯機買ってないの。だからずっとコインランドリー使ってる」

「じゃあこの辺に住んでるんだ」

「まあね。結城くんは初めて見たな。あたしら、実は去年も会ったりしてる?」

「い、いや。家庭の事情で引っ越してきて、まだ洗濯機が届いてないから」

「そういうことか。助けてもらった日にこうやって会えるなんて、不思議な感じ」

「そ、そうかも」


 メイは両手を組んで体を伸ばした。


「今日はいつも一緒の子がいなかったんだ。そういう時ってけっこう絡まれやすくてさ」

「ほんとに、無事でよかったよ」

「結城くんのおかげだね。てか、撃退のやり方めちゃ上手かったよね。とっさにああいうことできるの、マジでかっこいいよ」

「いや……まあ、見過ごしたら後悔すると思ったから、自分のために……」

「自分のためだったんだ?」

「なんか、悪いけど」

「いいじゃん、自分を持ってるってことだよ。素敵」


 なぜか好感度が上がった……?


「しかも面白い子だってこともわかったし、逆に絡まれてよかったくらい」

「そ、そういうのはよくないぞ。危なかったんだから」

「ん、わかってる。でも君のことはすごく気になるんだよね」

「ただのコミュ障だよ……」

「いいキャラしてると思うけどなあ」

「どこが……」

「そういう、自己評価低い感じも含めて新鮮なの」


 たぶん、女子校に通っているから僕のような男子を見たことがないのだろう。あちこちにたくさん潜んでいるぞ。

 しばらく無言の時間があった。

 やがて僕の洗濯機が終了を告げた。よ、よし、逃げられる。


「じゃあ、これで行くから……」

「ね、よかったらまたお話ししない?」

「ええ!?」

「今日は何も持ってないから助けてもらったお礼もできないし」

「お、お礼なんていいって」

「それじゃあたしの気が済まない。お願い、またここで会おうよ」


 ぱちん、とメイは両手を合わせた。ここで断れる男子は、たぶんいない。


「わ、わかった。そのうち」

「じゃ、ライン交換しよ」

「――ッ!?」

「いや?」

「そんなことないけど……」

「あ、でもあの子にチェックされるんだよなあ。悪い虫が近づかないようにって」

「親衛隊か何か?」

「ふふ、そんな感じの子だよ。すごくあたしのこと考えてくれるの」

「じゃあ、男子の連絡先なんかあったらまずいだろ」

「イニシャルだけにして、知り合いってことにしとく」

「でもメッセージ読まれたら……」

「うーん、合い言葉を用意するか」


 あっ、とメイは閃いた顔で笑う。


「結城くんにもこの合い言葉を試してみようかな。――地下鉄の改札から階段上がるまでに何秒かかる?」

「……218秒?」

「うわー!! 初めて通じたー!!!」


 今日一番のテンションでメイがはしゃぐ。今のは、とあるロックバンドの曲に出てくる歌詞だ。


「お父さんが好きなバンドだからあたしも知ってるの。よくわかったね」

「だって、その曲にオリジナルの振り付けして踊ってたじゃん」

「けっこう前の話だよ。そんな昔までさかのぼって見てくれたんだ?」

「あっ……き、気になるとまとめて見るタイプだから……」

「そっかぁ。これが通じるのもやっぱり縁だね。あたし、ここに来る時は今のメッセージ送る。結城くんも来られそうならさっきの返事をしてほしいな。駄目な時はそれ以外の数字を入れるの」

「わ、わかった」

「あたしの名前はイニシャルとかにしといて。知ってる人に見られたらちょっとめんどくさいかも」

「うん、そうする」


 連絡先を交換すると、僕は洗濯物をまとめてバッグにしまった。汗がひどい。早く帰ってシャワーを浴びなければ。


「じゃ、じゃあまた。おやすみなさい」

「おやすみー! 今日は本当にありがとう!」


 笑顔のメイが手を振って見送ってくれた。

 アパートに帰ってきても、僕の体は熱いままだった。


 もう会うことはないと思っていた人とがっつり話してしまった……。


 何も変わらないはずだった高校二年生。

 もしかしたら、とんでもない変化が起きるのかもしれない。僕の精神は耐えられるだろうか。今はまだ、何もわからなかった。

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