第7話 デ・ガータ、デ・ナーダ(1)

ありがとうデ・ガータ」と、わたしは言った。


 もうこれ以上は食べられない。


 ガルディーンは、わたしの口に運びかけた匙を止める。

 彼が手にしているうつわには、まだ中身がたくさん残っていた。すこしの間、わたしを見つめてから、ガルディーンはふたたび、匙をわたしのくちびるに近づける。


「デ・ガータ、ガルディーン」


氷国イリエガの言葉で、もう一度わたしは言う。


「もう、お腹はいっぱい。食べられないわ」

 続きは故郷サリトリアの言葉で告げた。


どういたしましてデ・ナーダ、テラ・スール」

 ガルディーンは小さく頭を振ると、匙をうつわに戻す。


 「ありがとうデ・ガータ」は、わたしが一番好きなイリエガの言葉だ。

 デ・ガータと言われた相手は、必ず「デ・ナーダ」と返さなければならない。

 それが、きまりなのだという。


 この国に来たばかりのとき、「どういたしましてデ・ナーダ」といい返してもらうのが楽しくて、わたしは、何度もありがとうを言った。


 イリエガの人たちは、デ・ナーダにも「ありがとうデ・ガータ」を言う。

 あなたの「どういたしまして」に「ありがとう」と。


 だから、デ・ガータとデ・ナーダのやりとりは終わらない。それがおもしろかったのだ。


 わたしは、暖炉の炎のせいで黄緑色に色変りをしたガルディーンの瞳を見上げて、

「デナーダ、デ・ガータ」と言った。


 ガルディーンが目を瞠って、少年の顔になる。そして、

「デナーダ・デガータ、デ・ナーダ」と言って、声を出して笑った。


「テラ・スール、あなたはとてもイレルダの言葉が上手だ」


 ガルディーンが、わたしを誉めたことは分った。でも、答えを返せるほど、イリエガの言葉を操ることは、わたしにはできないのだ。


 心を頑なにして、この国の言葉を覚えようとしなかった自分が、今はとても腹立たしく思える。


 だって、この人に、話をしなければならないことがたくさんあるのに。お願いをしなければならないことが、たくさんあるのに。

 ほんのすこしの間でいいから、わたしを見逃してくれるようにと。

 蒼の王の城に、ドラグを飛ばさないでいてくれるようにと――


 くやしさと苛立たしさに胸が詰まる。

 どうすることもできない。

 わたしの目に、また熱いものが込み上げてくる。


 ガルディーンが不安そうに瞳を揺らしながら、わたしに呼びかける。

「テラ・スール?」と。


 そして、わたしの顔をのぞき込み、こぼれる涙を指でやわらかく拭う。


「ごめんなさい、ガルディーン」

 泣き出したりして、彼を困らせたくはなかったのに。


 ガルディーンはイリエガの言葉で、わたしに何かを囁きかける。

 わたしには、それがまるで分らない。だから、またガルディーンにごめんなさいを言う。サリトリアの言葉で。


 小さく溜息を洩らしたガルディーンは、わたしの髪をそっと撫でる。そして言った。


「ナカ、ナイデ、テラ・スール。オネガイ、ダカラ」


 ガルディーンは確かにそう言った。「サリトリアの言葉」で。

 わたしは、ガルディーンを見上げる。


「もう一度言って、ガルディーン?」


「テラ・スール、ナカナイデ。ワカル?」

 ところどころ、妙な音だったけれど、彼はサリトリアの言葉ではっきりとこう言った。


「ガルディーン、あなたサリトリアの言葉が分るのね? 喋れるのね?」


 わたしは勢い込んで話しかける。

 ガルディーンは俯き、困った顔をして、しばらく黙りこんだ。


 彼が口をつぐんだことに、わたしはひどく不安になる。


「……ガルディーン?」

 知らず、わたしは彼の袖をしっかりと握りしめていた。


 ガルディーンはわたしの手を取って、そっと自分の腕から退かす。そして、立ちあがると部屋の奥へと足を向けた。

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