第4話 蒼の王の望み

 キサをちりばめたイレルダの玉座に今、座するは蒼の王。


 キサの色は冷たく澄んだ水の色。

 西国アルシングにのみ存在する美しい石。


 玉座は白金、それは冷然と輝く。


 しかし、氷のような玉座の輝きも、蒼の王の瞳の冷徹さにはかなわない。

 その目は、北の果て、永久に溶けることのないキーンの大地のように冴え冴えと蒼い。


 闇夜の色の髪が、王の蒼い瞳に落ちかかる。

 今、その冷ややかな双眸の奥に、蒼い炎が宿っていた。

 怒りの炎が。


 紺青の衣を翻し、蒼の王が立ち上がる。

 と、王の元へと走り寄ってきた臣が、額を床に打ちつけんばかりに深くひれ伏した。


「王城の中、くまなく『王女』のお姿を追っておりますゆえ。すぐに……すぐに御前にお連れ申し上げます」


「『すぐに』とは、いかほどの時の後を指す? ふた時か五つか、それとも半日か?」

 蒼の王の声が鋭く響いた。


「み、三つ時ほどあれば、すぐに……」

 臣は、さらに深くこうべを下げる。


「三つ時とはいかに? 王城がそれほどまでに広かったとは! われはついぞ知らぬ」


 口調こそ戯れ言めいてはいたが、王の声には冷酷な怒りが満ちあふれていた。


「恐れながら蒼の王。ふた時半、どうぞ、ふた時半頂戴したく。必ずやそれまでには……」


「ふた時だ。それ以上要するならば、半時ごとに指を一本ずつ斬り落とす……去ね!」


 蒼の王が吐き捨てると、臣は転がるようにして、王の間から飛び出した。


 いまひとり、玉座の前に控える者がいる。

 錫色に光る剣の鞘を腰に帯び、細い長靴ちょうかを履いたその男は、騎士の作法で王の前に跪く。


「近衛の長よ。我、蒼の王に申し開きをしてみよ……」

 蒼の王が、薄いくちびるを残虐な形に歪めた。


「……もし、それができるというのならば」


 近衛の騎士は、一言もなくこうべをたれる。


何故なにゆえ、『テラ・スール』の王女は、部屋から消えたのだ?」

 蒼の王の言葉が、近衛の長の眼前に剣のように突きつけられた。


「面目ございません、蒼の王。すべては、わたくしの不徳にございます」

 近衛隊長は、やっとのことで王に向って口を開く。


「我は『何故か』と問うている」


「申し訳ございません、主上」


 近衛の長が重ねて王への謝罪を口にする。

 蒼の王が、一歩足を踏み出した。

 そして、近衛隊長が腰に帯びた剣の柄を握ると、一気に鞘から引き抜いた。


 次の瞬間、刃が空を切る音と共に、騎士の右頬からおびただしい血が飛び散った。


 蒼の王が剣を一振りし、刃から血しぶきを払う。

 同時に、近衛の長の右耳が白く磨かれた王の間の床に、奇妙な音を立てて落ちた。


「我の言うことも聞けぬ耳なら必要などなかろう? 近衛の騎士よ」

 蒼の王が言う。

 その言葉は、いましがたの刃よりも鋭く、近衛の心を斬りつけた。


 近衛隊長の右耳からは止めどもなく鮮血が噴き出し、凛々しい近衛の軍服が錆色へと変わっていく。

 しかしながら、さすがは王国イレルダの精鋭、近衛隊を率いる長たるもの。隊長は微動だにせず跪いたまま、姿勢を崩すことはなかった。


「次に我の言葉に応じぬのなら、左耳も要らぬものとみなすぞ」

 そう言って、蒼の王は、今いちど剣を振り下ろす。


「『何故王女のお姿が消えたのか』と申しますと、この鉄壁の城から抜け出すことなど、よもやか弱い王女にはできまいと。付き人も守衛もそう油断していたからにございます、蒼の王」


 近衛隊長が、こう告げるやいなや、

「と、おまえも考えていた。それに相違ないか、近衛の長よ」と、蒼の王が続けた。


「……御意」

 

 近衛隊長が声を絞り出す。

 蒼の王は、口の端を歪めて冷笑した。

 そして手にした剣の柄を逆手に握り直すと、ひと突きのもとに、騎士が腰に帯びた鞘へ差し戻した。


「して、近衛隊はこれから何をするつもりだ?」

 剣の柄からゆっくりと手を離しながら、蒼の王が問いかける。


「二分隊は城周りをつぶさに見回り、万が一にも王女が城を出てはいないかを確かめ、残余の二分隊で王城の中をしらみつぶしに確かめる所存であります、蒼の王」


 傷口からあふれ出る血は止まらず、近衛の長の顔面は、もはや雪のように白くなっていた。

 蒼の王は、氷海の色の眼を細めて近衛隊長の顔を眺めやる。


「……では、行け」


 弾かれたように、近衛隊長は王の間を退がった。

 後にはただ、血だまりだけが残される。


 領土の最北の地キーンから切り出した白石を敷き詰めた「王の間」。

 そこは常に凍てついていた。

 誰もが、息をするたび、胸の痛みを覚えずにはいられないほどに。


 冬の日に限ったことではない。

 昔からずっと、この部屋にはいつも、人を凍えさせるような「何か」があった。


 この王の間は、王国の象徴。

 まるでイレルダそのもの――


 それが蒼の王の思いだった。


 「氷国イリエガ」と。

 テラ・スールの民は、我が国イレルダをそう呼んできた。


 飛龍レイヴィルの涙が凍ってできた国と。


 そうだ。奴らにはけっして解るまい。

 この国の冬が、どれほど冷たくつらいのか。


 あの春の国の民には解らない――


 海辺に暖かなさざ波が押し寄せ、小川は凍ることを知らず。

 黄金の夕暮れに薔薇麦の穂が輝く国、テラ・スールの民には。

 この凍える国が、どれほどテラ・スールを欲してきたのか。


 けっして解りはしない。


 「テラ・スール」

 それは「叶わない夢」を指す言葉。


 気が遠くなるほどの歳月、王達はイレルダの大地を溶かす「春の陽差し」を求めてきた。

 春の国「テラ・スール」を。


 そして、我、蒼の王は、ついにそれを手に入れたのだ。


 春の国の娘よ。おまえは我の物。

 イレルダの夢。

 

 テラ・スール。


 ――あの春の国を、二度と手放しはしない。

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