第42話 2話 狐の面とカモミール(甘い囁きと本音と)

 食事を済ませ、お風呂に入り就寝時間となる。

 絵里奈が居なくなってから数日、ミアはすっかり夢遊病のような事もなくなり、大人しく自分の部屋で寝ている。

 新としては嬉しい事ではあるのだが、男としては残念な気持ちが大きい。

 あの柔らかくフワリとしていた暖かな温もり、それでいて甘い香りのする素肌や髪の毛から香るシャンプーの香りは、男の夢とロマンが詰まっていると言っても過言ではない。

 彼女は一糸まとわぬ姿で、ナチュラルに新のベットに潜り込んでいたのだ。

 迷惑などと思うわけもない。

 むしろご褒美である。

 しかし、絵里奈が居なくなってから、新の部屋に奇襲はなく平和そのものだった。

「はぁ、寝るか・・・・」

 電気を消し就寝する。

 新も男である、アレを嬉しくなかったといえば嘘であるし、むしろあの暖かさに溺れていたとも居るの。

 居るとそれはそれで情欲を掻き立てられて、本能が目覚めてしまいそうになり、色々と不味いのだが、こないと寂しいものだ。

「あのぉ、起きていませんねぇ?」

 不意に聞こえてきたミアの声に新は(その聞き方はおかしくない?)と疑問を抱いたところでそそくさとベッドの近くまで来たのだろう、新の目の前で泊まった気配がした。

 布団がめくられ一瞬外気の温度に体が晒され、少し寒さを感じるが、すぐに何かが入り込んできた気配がし、そっと薄目で状況を確認する。

 視界に肌色が映り、ミアが恐らくいつもの裸族スタイルでベッドへと侵入してきたのが見て取れた。

 いったい何考えてんだぁ、と内心で叫びたい気持ちを抑えつつ、それでも程よい人の暖かな温もりに安心感を覚える。

 いつからだろうか、この温もりに安心感のような不思議な感覚を覚えるようになったのは。

 やられている事は痴女に近く、男としては理性との闘いがあるため、割と不健康な部分が多々ある状況だというのに、それでもこの状況に安心感を覚えてしまっていた。

「暖かいです」

 ミアはそう言って、新に自身の体をできうる限り密着させてきた。

 一瞬反応しそうになる新だったが、そこをグッと内心でこらえできるだけ体自体に力が入らない様に、相手に自分が起きているというのを気がつかれない様にと、細心の注意を払った。

 ミアの頭部が新の胸元辺りに納まり、丁度彼女の頭部が新の口元と鼻先に来る形となり、女性特有の甘い香りと、シャンプーの甘い香りが混ざり合った、とても落ち着くが妙に性的本能を掻き立てる様な、そんな香りが新を襲う。

 生殺しの拷問とはまさにこれだろう。

「私、どうしたら良いのでしょか」

 不意にくぐもった声が耳に届き、意識を性的妄想に持っていかれそうだった新を、一瞬で現実世界へと引き戻した。

 いったい何の話だ? そう思って耳を傾ける。

「私、新さんと出会えてよかったです。毎日楽しくて、寂しくなくて、暖かくて・・・・」

 愛の告白でもするつもりなのか?! とツッコミを入れたいぐらい湿っぽい、少し魅力的な甘い声で話し始めるミア。

 新は寝ていると思い込んでいるからなのだろうか、普段ではな絶対に聞けそうもない甘えた声音。

「絵里奈さんが来て。賑やかになって。でもお別れしなくちゃいけなくてきゃっ・・・ああれ? 起きてます?」

「・・・・」

 思わず絵里奈の事が出た瞬間、新は居てもたってもいられず、つい彼女の頭部を自分の胸元にさらに引き寄せ、抱きしめる形をとってしまった。

 しかし、バレてはいけないと自分に言い聞かせ、穏やかな寝息を一定のリズムでわざと立てて寝ているふうに装う。

「び、びっくり・・・聞かれていたら恥ずかしい」

 聞いてるこっちが恥ずかしいんだけど!

 ミアのつぶやきに、いちいち反応しそうになるのをグッとこらえ、聞き取りずらいがはっきりとした声で言うミアの声に再度耳を傾ける。

 いったい自分は何をしているんだと、新は思いつつも、どうしても聞いておかないといけないようなそんな気がしてならなかった。

「今までだって、多くの人がここ着て。癒しや、迷いを打ち消して旅立っていきました。そのたびにこんなに心が揺れ動いていてはいけない、そう思っていて。

 でも、いつも泣いていたんですが、すぐに元気になれました」

 絵里奈を迎えに来た婦人に出した、空のティーカップとお皿を思い出し、新は彼女がどんな思いで出していたのかを知る。

 確かに、その時の彼女の顔は感情を押し殺しているような、冷たい表情をしていた気がする。

「新さんが居たから、すぐにこうして立ち直れました。でも、居なくなっちゃうかも」

 不安なのだろう、絵里奈が居なくなり、今日の出来事だ。

 いくら新が行く当てがないと言い張っていても、もしかしたら来客してくる七海が何らかの方法を提示してくる可能性だってある。

 ミアはその可能性がある事を十分に理解しているからこそ、不安で命が居なくなってから上の空状態になってしまっていたのかもしれない。

 人の不安や悩み、苦しみに触れる事が少なかった新は、今こうして彼女の本音の言葉を聞いて改めて自分がいかに人と関わってこなかったのか、それを思い知らされる。

 気が付かれない様に、そっと少し頭を撫でた。

 それが気持ちよかったのか、ミアが身じろぎして、新の服を少し掌でつまみ、ギュっとする。

「大好きです新さん」

「?!?!」

 流石に予想外な言葉が聞こえ、動揺を隠しきれなくなりそうになる新。

 恐らくミアに他意はないのだろうが、それでも異性から好きと言われて嬉しくならない男などこのようにはいない。

 胸が高鳴り、頬が暑くなる。

 今が夜で、暗い部屋の中であったことをこれほどまでに感謝した日はなく、新はドクドクと早く成る鼓動をどうにか抑えられないかと焦る。

 これだけ密着しているのだ、鼓動が早く成れば必然的に自分が起きている事を相手に気が付かれる気がする。

 焦りが募り、その焦りが余計に新の鼓動を早くした。

「スゥ~、スゥ~」

 恐らく言いたい事が終った事への安心感だったのだろうか、穏やかな寝息が聞こえてきて、新は生きた心地がしないわぁ、と思いつつ胸を撫で下ろした。

「勘弁してくれぇ」

 思わず声に出してしまったが、恐らく本人はもう寝ているだろうと、そう思った。

 新はあらためて、腕の中に納まっている小さな、けれど決して弱くない女の子のその艶やかな髪を愛おしそうに撫でた。

 もしかしたらこれが愛情なのかもしれない、なんて言いう雰囲気に流されたようなそんな事を思いながら。

 どうかしている、そう思いながら。

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