第19話 転生者じゃなくて、王子様だった。



 せいぜい十二、三歳というところかな。とにかく綺麗な男の子だ。割引なしの美少年。

 紺色にも見えるサラサラの黒い髪を後ろでひとまとめにしていて、ルビーみたいな赤い瞳と真っ白な肌をしている。目鼻立ちはこれでもかというバランスの良さで、まるでお高いドールみたい。


 男の子は黒地に金色のボタンのついたジュストコールを羽織っていて、シャツとウエストコートとキュロットを着ていた。薄手のソックスは足をしっかり覆っていて、編み上げブーツを履いている。

 とてもノーブル。すごくリトルプリンス。小公子っていう雰囲気しかない。


 けど、何だろうか。

 何か違和感がある。しっくりしないかんじだ。……何?


 わたしが内心で首を傾げていたのはわずかの間だ。そして、


「私がママの代理人になろう」

と、マヨネーズの壺を持ったその子が言った。


 ビークールビークールビークール。

 三回唱えても落ち着けない。情報量が多すぎる。


 いや、だってさ。

 状況証拠はこの子があの子だって示してるのはわかってるんだ。だって、ついさっきまで足元にいたはずの黒いふわふわは見当たらないし。


 でもさ、いや、でもさ。


「……お前は何者だ」

 アクタが正面から言った。さすがは空気読まない検定一級。

 間違いない。君は勇者だ。


「ケーちゃんだ」

 男の子が堂々と名乗った。

 わたしは目を思い切り見開いた。


「ほ……ほんとにケーちゃんなの?」

 わたしは男の子に向き直った。声が上擦っちゃったのは許して欲しい。これでもビークール実践中なんだけど、衝撃が大きすぎるんだよ。

 自称ケーちゃんは頷いた。


「ひょっとして、この間、わたしの体を乗っ取ったのも?」

「借りる、と、断りを入れたはずだが?」


 わー。これはあの時の『わたし』だ。

 インナーワールドだから音声ではなかったけど、たしかにこんな感じの喋り方だった。


「借りるのはママの体に負担があるとわかった。だから、こうした」

 ケーちゃんはわたしを見上げた。

 十代前半にしか見えないケーちゃんは、わたしの胸くらいの身長だ。肩幅を見ても、成長期前なのは間違いない。口調はともかく、大人の声じゃないし。


「この間はありがとう。ケーちゃんのおかげで助かったよ。まあ、酷い目にはあったけどね」

「ママの役に立てて嬉しい」

 わたしがお礼を言うと、ケーちゃんがフワッと笑った。


 か……かわいい……。

 息が止まるかと思うくらいかわいい……。


「確かに、女性の決闘には代理人が認められる。お前が代理を務めるんだな」

 ほんとに空気を読まないアクタが言った。淡々とした口調はほとんど棒読みみたいだ。無感情無感動。


 わたしはアクタを振り返った。

「こんな小さな子と戦うって、本気?」


 わたしと決闘という時点で勇者の正気は怪しいけど、曲がりなりにも大人の男が十代前半男子と戦おうっていうのは相当ダメじゃないか。人として。


「心配ない。私の剣術の腕は悪くなかっただろう?」

 ケーちゃんは冷静だ。

 それにしても綺麗な子だわ。


 あの黒い毛玉がこうなるなんて、どういう理屈なんだろうか。

 一番考えられるのは浄化だ。


 ケウケゲンは多分、誰よりも一番マヨネーズを摂取しているとは思う。ゴブリンの集落が襲われた時、地面に落ちたやつも全部吸収していた気がするし、いつ見てもマヨネーズを食べていた。


 魔物化していたのがマヨネーズの力で浄化され、元の姿に戻ったと考えていいのではないか。


「浄化は完全ではない。これは私にとっても懐かしい……子供の頃の姿だ」

 ケーちゃんが言った。


 子供の頃の姿というからには、彼は本来、大人ってことなんだろうか。話し方が落ち着いてるから、可能性は大きいな。

 というか。


「まさか……まだ、わたしの考えていることがわかるの……?」

 煩悩とボケとツッコミしかない心の声を、他のひとに聞かれてるとしたらかなり恥ずかしい。想像しただけで冷や汗出るよ。


「ママの表情はとてもわかりやすいから」

 ケーちゃんは得意げに笑って、わたしにマヨネーズの壺を差し出してきた。

 聞こえてるわけではなさそうでほっとしたけど、これ、どうしろと?


「交換だ、ママ」

「あ、うん、わかった」

 示された通り、壺と星のロッドを交換してあげた。ケーちゃんは星のロッドを確認してから「なるほど」と頷いた。


「それ、振っても音が鳴るだけだよ」

「ママも使い方を覚えるといい」

 なんということか。ケーちゃんは確認しただけでこの謎アイテムの使い方がわかってしまったらしい。

 ……なんで?

 わたしとは違うシステム音声が聞こえてるとか?

 わたしは転移転生してきたっぽい。一事が万事。他にも同じようなひとがいてもおかしくない。


「待たせたな」

 星のロッドを持って、ケーちゃんが一歩前に出た。

 わたしはマイケルを促して脇に避けた。だって、剣を振り回すんだから、普通に危ないし怖い。


 マイケルはわたしと、男の子の姿になったケーちゃんを何度も見比べている。疑問でいっぱいなんだろうけど、ごめんね。わたしも上手く説明できないんだよ。


 ケーちゃんは全然怖くないみたいで、冷静にアクタを見据えている。中学生くらいにしか見えない男の子なのに、ものすごい貫禄だ。


「お前には思うところもある」

「……僕には特にない。でも、代理は認める」


 アクタが剣を構えた。

「それで戦うつもりか」

「ああ。ママ、よく見ていて」


 ケーちゃんは星のロッドを右手に持って、手首を捻って回転させた。シャンシャララランと音がした。

 ほら、やっぱり。変身音が鳴るだけなんだって。


 と思った瞬間、ロッドが伸びた。

 まるで孫悟空の如意金箍棒。通称・如意棒は、普段は爪楊枝くらいのサイズで、使う時に握りやすい太さ、扱いやすい長さの根に調節されていたはずだ。

 星のロッドは如意棒だったのか。


 この間の水筒といい、今回のロッドといい、アイテムの基本デザインに『西遊記』が採用されてる気がする。西洋風の世界観なのにどうして、というのは愚問だ。

 むしろ、このグダついたシステム周りに相応しいカオスと言えるかもしれない。


「魔法とは想いの力。聖女であるママの想いは世界を照らす魔法だ。思い描けば大抵のことは可能になる」


 舞浜ネズミさんみたいなことを言ったケーちゃんが、自分の身長より長くなった星のロッドを勢いよくクルクル回しながら足を開き、腰を落として構えた。


 間違いない。これはカンフー棍術だ。中国武術の一つで、ちょっと前の映画ではよく出てきてたやつだ。かっこいい。


 わたし、三節根に憧れて、教えてくれる教室を探したことがある。

 通勤に使っている路線内でなんとか見つけたんだけど、レッスンの時間だったか曜日だったかの条件が合わなくて諦めたんだった。


 また、無駄なことを思い出してしまった。


 わたしの記憶とは無関係に、アクタとケーちゃんはいよいよ睨み合っている。否が応にも増す緊張感。

 耐えかねたのか、マイケルがわたしのスカートの裾をきゅっと握ってきた。


 睨み合っていたふたりが動き出した。

 アクタが踏み込み、斬りかかる。子供相手に容赦ない。

 ケーちゃんは剣をロッドで止め弾き、そのままスライディングするみたいにアクタとの間を詰めた。


 剣と棍の戦いでキーになるのはリーチの差。間合いを詰めるのはよくないんじゃないのか、ケーちゃん!


 アクタの剣は鋭い。しかも速い。ヒュンって空を切った刃が、近くなったケーちゃんを狙った。

 その一瞬。

 星のロッドが短刀くらいに短くなった。狙った棍がなくなった剣かちらりと行き先を迷わせた。

 その間隙で、ケーちゃんはアクタの懐に飛び込んだ。ロッドが再び大きく長くなる。


 顎の下にロッド先端の球体の直撃だ。

 喰らったアクタの体が浮き上がり、仰向けにひっくり返った。


 うそ。

 わたしのケーちゃん、強すぎ……?


「……ぅぐっ、はっ……!」

 呻きながらも剣を手放さず、アクタは攻撃を諦めなかった。半身起こした状態で突き上げた切先がケーちゃんのウエストコートとシャツを裂いた。

 でも、それだけだ。


 ケーちゃんは冷静に剣を弾き、アクタの右肩をロッドで打ち据えた。

 赤い瞳は燃えているし、背中から何か、こう、怒りのオーラみたいなものが立ち上っている気がする。


 これ、ヤバいやつ。

 ケーちゃん、アクタを殺っちゃう気だ。


「アクタ、戦闘不能! よってこの勝負、ケーちゃんの勝ち!」

 わたしは飛び出してアクタの側に膝をつき、ケーちゃんを見上げた。


 ここは黄金のセリフ「わたしのために争わないで!」を発動させるターンかとも思ったけど、羞恥心に負けた。

 そんなの、どこの可愛い奈保子さんが戸締りするのかって話でしょ。


 わたしの捨て身コールは効果があった。

 ケーちゃんがロッドをクルクルまわして、待機姿勢になってくれたからだ。一歩引いてはくれたけど、まだ全然、棍の間合いだけどね。


「お前は見込みが甘いんだ。大丈夫だろう、何とかなるだろうという希望を捨てろ。現実を見ろ。常に想定するのは最悪の事態だ」

 ケーちゃんはアクタを睨みつけて言った。


 顎が腫れてきているけど、とりあえずアクタは無事だ。わたしはアクタを助け起こして、膝で体を支えてあげた。おじいさんの時から、このひとには介護しっぱなしな気がする。


 アクタは苦しそうにしている。が、ケーちゃんを睨みあげた。

 その視線の強さに、わたしは確信した。

 この反抗期二十代、相当な負けず嫌いだ、と。


「……お前に、何がわかる」

 言葉と一緒に、アクタが血の混じった唾を脇に吐いた。


「希望を捨てろ? バカを言うな……っ! 勇者はみんなの希望そのものなんだぞ! 捨てられるものかっ!」

 慟哭のような、遠吠えのような。

 悲痛な叫びだった。


 勇者は希望。

 ほとんど滅んでるこの国で、現状をひっくり返してくれるかもしれない勇者はそりゃあ、みんなの希望だろう。勇者が諦めちゃったら、ジ・エンド。未来はもう、ない。


「わかるさ。誰よりもな」

 ケーちゃんは表情も変えずに言って、シャツの破けたところを少し広げた。

 真っ白な胸がさらされる。少年の薄っぺらい胸の真ん中には、金色の痣があった。

 痣は百合の花に似ている気がする。形もすごくきれいだから、痣じゃなくてデザインタトゥーかもしれない。


 アクタはケーちゃんを見上げたまま、自分の右肩を抑えた。

「なんで……女神の刻印が?」

「私も託宣を受けた者だからだ」


 ケーちゃんの答えにアクタが真っ青になった。目はこれ以上ないくらい見開いていて、瞳孔まで真っ黒になっている。


 情報がないし、聖杯からも何も流れてこないから確証はない。でも、話の流れ的にあの金色の百合の痣は託宣とやらを受けた証なんだろう。何の託宣かといえば、もちろん。


「今の私はケーちゃんだが、昔、お前の年頃には違う名で呼ばれていた」

 ケーちゃんが星のロッドを小さく戻し、シャツとウエストコートも整えた。ほっそりした指先が撫でると、破れていた服が音もなく元通りになる。

 すごい。魔法だ。


 わたしも、アクタも、息を詰めて次の言葉を待つしかできない。


「オルド五世第一王子ヴィクタス。光たる女神より託宣を受けた者だ」



 淡々と名乗ったケーちゃんは転生者じゃなくて、王子様だった。


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