第18話 それ、何の奇跡よっていう話だよね。
『次の中からひとつ選んでください
薔薇のレイピア
星のロッド
ランジェリー(セットアップ)』
浮かんだ選択肢はタッチパネル式だ。
わたしは手を伸ばし、真ん中、『星のロッド』を選んだ。
だってさ。やっぱり刃物を持つのは怖いし、下着は他でも調達できるかもしれないし。ここにはダナがいる。この世界の衣類はきっとなんとかなる。
それに、前回の三択で貰った『ふしぎな水筒』は本当に役に立つアイテムだった。今回だってきっとそうだと信じたい。
だから、ロッドを選ぶ。
指先が触れると文字が消え、手のひらにキラキラひかるロッドが残った。
てのひらに。
「……待って」
思わず声が出た。
ロッドっていうから杖だと思い込んだのは確かにわたしだ。イメージしてたのはガンダルフの杖みたいな、ごつごつの大きいやつ。
『星のロッド』は手のひらサイズだった。
コンサートなんかで使うペンライトに似ている。片側の先端に土星みたいな輪のある球体がついていて、とても軽い。柄の部分はミルキーピンク、球体はライムグリーンだ。触ってみたら、輪の部分は投射された光だった。とてもミラクル。
えーっと、変身ステッキ的なもの、か?
ムーンプリズムなパワーでメイクアップしてしまいがちな?
……座に還りたい。どこにあるか知らないけど。
ふと、そう思う程度には困った。困惑だ。
いきなり異世界召喚で、イケメンに胸に手を突っ込まれ、ゴブリンたちをマヨまみれにして、魔界が溢れてきたやつを食い止めた末の筋肉痛を味わっている現在までを振り返って、一番途方に暮れている。
だって、これはどう見ても萬代さんか宝富さんの新番組合わせ玩具だもん。振ったら光の輪がクルクル廻って、変身効果音が鳴るんだよ。
「……聖女、マヨネーズ……」
外から呼ばれて、わたしは我に返った。窓枠に手を掛けて、アクタが室内を見ていた。エメラルドが溢れそうなくらいに目を見開いている。
アクタには、わたしが何もない空間からこのロッドを取り出したようにしか見えなかっただろう。
それ、何の奇跡よっていう話だよね。
「ありがたいことだよ、ありがたいことだよ……っ!」
両膝をついたダナもわたしを拝んで泣いている。
ケウケゲンは授乳、じゃなくて、わたしの胸に残ったマヨネーズをまだ食べているようだ。マヨ一滴も残さないつもりらしいのが頼もしい。
食べ物を無駄にするのって、良心が痛むから。
「はい、何ですか」
グルグルっと現実逃避して帰ってきたわたしは、一番普通の返事をしてみた。
アクタには言いたいことがたくさんあるけど、まずは相手の出方を見ようと思ったのだ。
だがしかし。沈黙。
アクタはわたしをじっと見たまま、何も言わないのだ。
奇跡を喜ぶダナの啜り泣きと、ケウケゲンがマヨネーズを舐める小さな音だけが聞こえる。
じっと見つめ合うわたしとアクタ。聖女と勇者だ。本来はきっと、協力関係になるはずなんだろう。ファンタジー世界のラブロマンスなら王道の組み合わせだ。
でも実際には、緊張感に満ちた探り合いの視線の応酬しかない。
で、そのたっぷりした沈黙の後、アクタが言った。
「……聖女マヨネーズ。僕は貴女に決闘を申し込む」
「いや、無理」
即答した。脊椎反射レベルの速さだった。
わたしの返事が不満だったのか、アクタは窓枠から身を乗り出してきた。
「何故だ!」
「筋肉痛で動けないからだ!」
自分でスプーンが持てないくらいの筋肉痛なんだぞ。決闘なんかできるわけない。
そもそも決闘ってなんだよ。わたしに何をさせるつもり?
「……そんなに体調が悪いのか? 聖女なら癒せるものじゃないのか」
決闘を申し込んだ舌の根が乾かないうちに、わたしを気遣うってどういうメンタルなんだろう。反抗期はやっぱり不安定だな。
「筋肉痛の浄化って、できると思う?」
筋肉痛の原因は、筋肉を酷使したことで破壊された筋繊維が修復される時に痛みを感じる物質が産生されるかららしい。人生最大の運動を強いられたわたしの筋肉は、今、ズッタズッタのボッロボロだ。
痛みの物質を浄化できたとしても、筋肉再生の熱は引かないだろうし。
結局は日にち薬ってやつですよ。耐えるしかない。
アクタは眉間に皺を寄せて考え込んでしまった。
うーん、真面目は真面目なんだな。簡単に社畜化して、心身を壊してしまうタイプと見た。
つまり、思い込み力がとても強い。めんどくさいやつだわー。
「で、決闘って何するの?」
「戦う」
「勇者のあなたと、わたしが?」
バカも休み休みにしなさいと、声に出さなかったわたしは偉い。
「バカも休み休みにしなよ、あんた!」
でも、ダナが言っちゃったから結果は同じだ。
ダナはエプロンの裾で涙を拭いて立ち上がり、窓辺に立ってアクタを見下ろした。
「聖女様は聖女様だよ! 剣を振り回すお方じゃないんだよ!」
「彼女は十分に戦える。あの三人より格段に強い」
アクタは自信たっぷりに言い切った。
「まさか、見てたの?」
『わたし』が剣を振り回したのは、瘴気の塊に突っ込んだ後だ。
わたしはずっと、正面に広がった黒い魔物たちばかり見ていたから、背後を気にもしなかった。『わたし』も一度も振り返らなかったし。
「……僕には、まだ、光たる女神様の御加護があるから瘴気の影響は受けない」
で、後ろでずっと見てたのか。
イラッとした。
なんで勇者が見ているだけなんだよ。わたしが魔物を止めようとがんばってたんだから、ちょっとくらい手伝ってくれたっていいじゃない。
そう思うのは当然だよね。
戦ってたのは『わたし』だったけど、体は「わたし」だ。おかげでこのとんでもない筋肉痛だ。
体力が上がったらしいけど、元のパラメータもわからなければ、上がった数値もわからないんだからありがたみなんかゼロだ。
わたしは手に持ったままだった『星のロッド』を見た。
これを使ってみたい気もする。よし。
「決闘って、申し込まれたら受けなくちゃいけないんでしょ?」
わたしが言うと、アクタは無表情で頷いた。
「わかった」
「聖女様、そんな危ないこと!」
速攻、ダナが止めに入ってきた。感動して泣いてたのが落ち着くと、肝っ玉系のおねえさんのようだ。頼もしい。
「ただし、筋肉痛が治ってからね」
「……承知した」
それだけ言うと、アクタはさっさと立ち去った。
「何なんだよ、あの子」
「ほんとですよ。反抗期ちゃんですよ」
「反抗期? ああ、ガキってことかい? あはは! そうだねえ!」
ダナは豪快に笑った。
胸元に張り付いていたケウケゲンはいつの間にかわたしの隣に転がり降りていて、木匙を握って壺に貯めたマヨネーズを食べていた。
「まあ、決闘はともかく、まずはちゃんと食べないと」
まったくダナの言う通りだ。
わたしは食事をして、それから村のひとたちのためのマヨネーズをベンティサイズで用意してから寝た。とにかく寝た。
ケウケゲンはずっと側にいたし、星のロッドは握ったままだった。
三日経った。
村長親子ともう一人、おじさんが回復して、動き回れるようになった。ダナはもうすっかり元気だ。元々、頑丈
残りの三人も随分回復してきている。
わたしもなんとか、ベッドから出ることができた。
筋肉痛で寝込むとは思わなかったけど、人生、いろんなことがあるって実感中だから良しとした。
胸からマヨネーズを以上にすごいことがあったら、動揺するかもしれないけどね。
家の外に出て、びっくりしたのは村の周りに柵ができていたことだ。なんと、デニス・ホセ・ヤニの三人組の仕業だった。
壊れてた家や小舟の残骸なんかを利用して作られたトゲトゲの柵だ。そこそこの高さもある。集落の入り口のところには門扉も作られていた。
「小型の魔物なら余裕で避けられるぜ」
「すごい、器用!」
「もっと褒めて、聖女様!」
「立派! 役に立つ! さすが!」
「やったー!」
「セイジョサマ!」
「マイケル、すてき!」
コソコソやってると思ってたら、大工仕事に精を出していたらしい。ひとりで魔物の塊を撃退したわたしに感銘を受けたんだって。
もちろん、マイケルも手伝ったんだって。
もー。
ちょっと見直しちゃっただろー。
村人がたった七人でやっていけるのかはともかくとして、対策があるのはとてもいいことだよ。柵では守りきれなくても、時間稼ぎにはなるもんね。
村長さんが教えてくれたところによると、この村はフラテル川という大きな川の中洲にあったそうだ。わたしたちがずっと歩いてきた乾涸びた道は川底だったらしい。小舟が気軽に落ちてたのも納得である。
雨も降らず、川も干上がって、国民は黒の病におかされて、魔界がどんどん広がる一方のこの国は、控えめに言っても滅びそうだ。もう九割くらい死んでる気はする。
クマ王子が余裕ゼロだったのも無理もないのか。
「だからって……女の子に決闘申し込む勇者ってのはどーよ」
昼過ぎ、集落の門の外に出て、わたしは向き合ったアクタに言った。
わざわざ村の中で戦って、無事な建物を壊したらいけないので、外に出てきたのだ。
他の人たちには言ってない。決闘のことを知っているダナは、まだ回復していない人たちのお世話に行っているから、彼女もわたしたちが出てきたことには気がついていないと思う。
「……僕を本物の勇者だと思うか?」
いや、自分で勇者って名乗ったよね?
システムメッセージも『勇者のマヨネーズマリネ』ってレシピを出してきたよ。……レシピって言われても、見返す仕組みがないから幻みたいなものなんだけど、勇者だと思うよ。
「勇者じゃなかったら何だと?」
「僕は……ただの愚か者だ」
アクタは剣を抜いた。
古い剣は村長さんの家に保管してあったものを黙って借りてきたらしい。
ロールプレイングゲームの勇者って、他人の家を漁ってアイテム入手するのに躊躇ないよね。小さなメダルとか、薬草とか、壺を割って探し回ったりして、普通に泥棒行為だよね。
でも、ボロボロの服を着ていても、剣を構えたアクタには、勇者の風格みたいなものがある気はする。勇者でしょうよ。
わたしは星のロッドを握りしめた。
起き上がれない時に試しに振ってみたら、予想通り、シャンシャララランみたいな綺麗なメロディが鳴った。だけだった。
これを武器としていいのかはわからない。
だが、わたしの切れるカードは「マヨネーズ」と「星のロッド」と「ふしぎな水筒」のみ。マヨネーズは目潰しに使えるけど、水筒は戦闘には不向き。
とすると、ロッドに賭けるしかないじゃない。
もしかしたら、アクタの剣に追い詰められた時にミラクルパワーが発動して、スーパーマヨネーズとかに変身するかもしれないし。
……うーん、スーパーマヨネーズって名称は要検討でおねがいします。
「セイジョサマ」
マイケルはわたしを背中に庇って、アクタと向き合ってくれている。ケウケゲンはわたしの足元で、マヨネーズの壺を抱えて食事中だ。
マイケルはともかく、ケウケゲンが状況を理解しているかはわからない。
「マイケル、ケーちゃんと一緒に下がって。危ないから」
「セイジョサマ、だいじ」
人間はゴブリンの敵だ。剣を向けられたらきっと怖い。なのに、マイケルはアクタをまっすぐ見て怯まない。
わたしを守ろうとしてくれている。
「……安心しろ。そのゴブリンには手を出さない」
アクタが言って、剣をわたしのほうに向けた。
ホームラン宣言みたいなポーズだ。
「絶対だよ」
「……わかっている」
ほんとかよ。
とは思うけど、ここは信じるしかない。
わたしはアクタをじっと見据えた。アクタもわたしから目を離さない。
視線がぶつかって火花が散る。バチバチだ。
「女性が挑まれた決闘には代理人が立つことが許されているはずだ」
唐突に、子供の声がはっきり響いた。
わたしもアクタもびっくりして、思わず声のした方、つまり、わたしの背後を見た。
そこには見たこともないような美少年が立っていた。
————————手に、木匙の刺さったマヨネーズ壺を持って。
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