第8話 逃げても逃げても追ってくる、怖いものって何ですか?
わたしにも、異世界転生に夢を抱いた季節(ころ)がありました。
きっと、人生に疲れてたんだろうな。
異世界転生の物語は大きく二つに分けられる。
まず、成り変わり、あるいは憑依型。
気がついたら、異世界(物語・ゲーム世界を含む)の登場人物になってしまっていた、というやつだ。大抵、姿かたちも全然違っている。
多くの主人公が作中の大事件をきっかけに、前世(という名の現実世界)のことを思い出している気がする。
この場合、ストーリー=未来を知っていることそのものが主人公の特殊能力と言える。起きる悲劇を回避したり、お得イベントを自分が取ったりして、生き残りを図るのだ。
もうひとつは転移型。
交通事故にあったはずみとかで、気がついたらさっぱり心当たりのない異世界に転移していたというパターン。転生トラックパターンとも言えるかもしれない。
主人公には現代人としての認識と常識と知識があって、見た目もそのまま。プラスアルファで特殊能力が付与されていることが多い。
特殊能力は様々だ。ネットスーパーでお買い物できちゃうとか、自分と同じ転移者を元の世界に送還することができちゃうとか諸々。で、その特殊能力がキーになって、物語が展開していく。
わたしの場合は転移よりの折衷型かな。
なんとなくゲームっぽいファンタジー異世界で、まったくの別人として気がついた『わたし』。赤ちゃんとして生まれてきたわけじゃない。この体は自分のものだと感じるし、記憶が曖昧なりに知識はいろいろある。
そして、一番の問題点は『聖女』という存在だ。
聖女、聖なる女。
わたしの世界で一番有名な聖女様というと、某救い主のお母様が一番有名なんじゃないだろうか。たしか、あの宗教では神のために働いた女性のことを聖女認定していた気がする。殉教者もいたかもしれない。
宗教と切り離した存在なら、ものすごく慈愛溢れた人格者の女性のことを聖女ということもあるかな。
この世界ではどういう位置付けなんだろう。
クマ王子の行動を踏まえると、胸から何かを出せるのが聖女という可能性もゼロじゃない。
とりあえず、わざわざ召喚するような珍しい存在ではあるよね。
まずわたしは、『わたし』について理解するべきだな。うん。
そんなことを考えながらうつらうつら。
「セイジョサマ、おきた!」
おお。
目を開けた途端に襲いくる、ゴブリンという圧倒的現実。
「朝、起きた時は『おはよう』っていうんだよ、おはよう」
「オハヨ」
マイケルに教えてみると、素直にあいさつが返ってきた。やっぱりこの子は賢い。エリートゴブリンだ。
さて。
昨日は本当に酷い一日だった。
目が覚めたら知らない土地で、クマのひどいイケメン王子に胸に手を突っ込まれて、侮辱された上に袋に詰められてポイ捨てされて気を失って、また目が覚めたらゴブリンたちのタベモノにされそうになっていて、切り抜けたところで冒険者に斬られそうになって、怒涛の一日の最後の拾得物がボロボロのおじいさんだった。
濃い。濃すぎる。
一生分の厄災全部が降りかかってきたんじゃないだろうかっていう濃さだ。
え、待って。
ってことは、……こっから先は幸運しかないんじゃないってことでは?
やったな、わたし!
明日は大ホームランだーっ!
Q:逃げても逃げても追ってくる、怖いものって何ですか?
A:現実
……ふう。
派手な逃避はここまでだ。
わたしは立ち上がって、大きく伸びをした。そのついでに屈伸と前屈後屈、ラジオ体操短縮版みたいに体を動かしてみる。
狭いところで丸まっていたおかげで、身体中がバキバキに痛い。
空はほんのりと明るい。夜が明けたばかりっていうところかな。
熾火の残った広場には、わたしとマイケルの他にはベンチで寝ているおじいさんしかいなかった。
おじいさんはベンチの上で丸まって動かないから、まだ寝てるんだと思う。
ゴブリンたちはそれぞれの巣穴に帰ったんだろう。
ケウケゲンはまだベンチの上だ。平べったくなっている。寝ているのか、ピンクの口が見えないので、ただの黒い毛の塊だ。座布団クッションみたい。座っちゃわないように気をつけなくては。
ケウケゲン座布団のそばには、あの麻袋と借りっぱなしのハサミが揃えて置いてあった。
「マイケルはずっとここにいたの?」
「セイジョサマ、ナカヨシ」
仲良しだから一緒にいたっていうことかな。
だったら、ちょっと嬉しい。
「ありがとう、マイケル」
「アリガト」
ゴブリンの表情筋の動きはあんまり大きくないけど、たぶん、マイケルはにこにこしているんだと思う。
ご機嫌な朝って、いいよね。
よし。じゃあ、わたしも身支度するぞー。
と、言ったところでシャワーどころか洗面台もない。せめて顔を洗って歯を磨きたいけど、わたしに手持ちはない。ゴブリンに歯を磨く習慣はあるんだろうか。あったとしても、道具を借りる訳にはいかないだろうし。
やれやれだぜ。
わたしはがっかりしつつ、唯一の持ち物であるふしぎな水筒を手に取った。振ると、やっぱりチャポチャポ音がする。
栓を抜いて、匂いを確かめてみた。
無臭。
傾けて、一雫だけ左手のひらに落としてみた。
勇気を持って舐めてみる。
無味。
よくわからないから、もう一度。
ええい面倒だ。一口飲んじゃえ!
ゴクン
「……おいっしーい! おいしいお水!」
よかった。ほんとに良かった。とえりあえず、飲み水確保だ。
喉が鳴るくらい飲んでも、瓢箪の中身は減らなかった。覗いても中身は見えないのに、液体が一定容量ずっと入っているというかんじだ。
想像通りのアイテム!
こういうところで意表をつかれると、ユーザとしてはイライラするんだよね。名前と効能は一致して欲しいっていうか、奇を衒わないでいただきたい。びっくりどっきりはストーリーでお願いしたいよね。
はあーそれにしても生き返る。
水、だいじだわ……。
満足するまで水を飲んで、わたしは大きく息を吐き出した。
あとはせめて、顔を洗っておきたい。
「マイケル、これをちょっと持っててくれる?」
「ワカタ」
「傾けて、そうそう、いいかんじ!」
マイケルに瓢箪を預けて、傾けてもらったらちゃんと水が出た。チャパチャパ落ちてくる水を手で受けて、顔を洗う。
たったそれだけで幸せな気持ち!
タオルはないから、軽く顔をパッティングして誤魔化すしかないのがちょっと辛いけど。髪も濡れた手で適当に撫でつけておいた。
それにしても、わたしの髪は綺麗だ。
銀髪なんだけど、裾のほうは確かにピンクっぽくて、全体的にゆるくウェーブを帯びている。神々しい色だ。
瞳の色は何色なのかな。ルビーレッド? サファイアブルー? エメラルドグリーンも捨て難い。
「セイジョサマ、ナニ?」
「身支度だよ。身だしなみ」
「?」
着替えどころかノーパンツの身でいうのも烏滸がましいが、文明人として最低限守りたいギリギリの線上にわたしはいるのだ。できることはやる。
マイケルは瓢箪を矯めつ眇めつ観察してから、返してくれた。
「ねえ、マイケル。わたしの目って何色かな」
念の為、目を指してきいてみた。
「イロ?」
「赤とか青とか、いろんな色があるでしょ?」
「……セイジョサマのメ、ヤサシ」
「優しい?」
「トテモいいコト」
昨日、わたしが言ったことだ!
ちゃんと話を聞いて、理解して、覚えて、使ってくれたんだ!
「マイケルっ!」
たまらなくなって、わたしはしゃがみ込んでマイケルをハグした。
きっと、ヘレン・ケラーさんが初めて「Water」と言えた時、サリバン先生はこんな気持ちだったに違いない!
そっと、マイケルの細い手がわたしの腕に触れた。遠慮がちな動きは、本当に小さな子どもみたいだ。
「ありがとね、マイケル。色のことはもういいや。鏡があったら済むことだしね」
わたしは一度、ぎゅっとマイケルを抱きしめてから腕を解いた。
マイケルの真っ黒な瞳はわたしをじっと見上げているままだ。
「お腹すいたね」
「パンノミ、アル」
「じゃあ、おじいさんとケーちゃんも起こして食べようか」
「ワカタ」
わたしとマイケルは手分けして、朝ごはんの支度をすることにした。具体的には、生のパンの実を用意して半分に割り、熾火に薪をくべるのがマイケルの役目。わたしは割られたパンの実を調理して、マヨネーズリゾットを作る係だ。
今度は三人分作るので、ちょっとだけ手間が多い。
殻を火に掛けはじめたところで、マイケルにはケウケゲンとおじいさんを起こしてきて貰った。
「おはようございます。少しは休めましたか?」
話しかけると、おじいさんは俯いたままちょっとだけ頷いた。とりあえず、わたしの言うことは伝わるから良しとする。
「昨日と同じものですが、どうぞ」
マヨネーズリゾットを差し出すと、おじいさんは受け取ってくれた。
同じものをマイケルにも渡して、自分の分も手に取る。
火の近くに座ったのに特に意味はない。マイケルはわたしの隣に落ち着いた。
「いただきます」
「ィタダキ」
マイケルは安定の真似っこである。
わたしは笑って、リゾットを食べた。粉チーズと黒胡椒があればいいのに。あとベーコンと、あ、青ネギがあってもいいかも。バジルとかでも。
今朝もマヨネーズ産出は大変順調かつ潤沢で、調理に使わなかった分はお皿代わりの葉っぱ数枚分に山盛りになった。間違いなくキロ単位のクリームホワイトのゲル。
けど、冷蔵庫もなしにどうしよう。捨てるの勿体無いのに、と悩む必要はなかった。
ケウケゲンの朝ごはんになったからだ。
寝ているときは平べったかったケウケゲンは、マヨネーズのせいかもうすっかり膨らんでいる。理屈はわからない。
そもそも、生き物かどうかもわからないから気にしない。そういうものだと受け止めるのが一番だ。
魔法の呪文は『ここは異世界』で決まりである。
おじいさんもその場に座り込んで、リゾットを食べた。
日が出たおかげで、おじいさんのこともよく見える。ボロボロの服は本気でボロボロだし、足の向きがおかしい気がする。骨折した後、そのまま間違ってくっついてしまったんじゃないだろうか。
髪の毛もほとんどなくて、頭蓋骨にしがみついている程度だ。そしてとにかく痩せている。
ゾンビ状態だったマイケルに近いかもしれない。
『浄化』って出たから、おじいさんもあの黒いのに汚染されていたのだろう。詳しく聞きたいけど、声が出せないひととコミュニケーションできるスキルはわたしにはない。
それにしても。
「今日は静かだね」
わたしは周囲を見渡した。
鬱蒼とした森は、昨日と変わらない。けれど何かが違う気がする。なんだろう。人気がないというか、とても静かだ。
「おく、もっと、イッタ」
マイケルが言った。
「奥? 行った?」
「ミツカタ、こわい」
誰が?
あ、ゴブリンたちか! それで静まり返って感じるんだ!
タワバ以下三人はゴブリン掃討は簡単な仕事だと言っていた。つまり、仕事として成り立つ程度には冒険者たちがゴブリンを倒しにやってくるのだろう。
ゴブリン側からしてみたら、突然、集落が襲われるのだ。怖いに決まっている。夜明けより前に逃げ出したのだから、切羽詰まり具合もわかる。
そして、わたしやおじいさんが置いていかれるのは当然のことだ。
わたしたちはゴブリンの仲間ではない。でも。
「……残ってくれたの?」
わたしのために? ケウケゲンのために?
それとも新しく拾ってきたおじいさんを助けたいから?
マイケルの立場なら、どれも放りだしてもいいはずだ。助ける義務も義理もないのに。
「セイジョサマ」
マイケルが頷いた。
「……そっか」
本当はありがとうとか、嬉しいとか、言いたかった。
でも無理。
目頭が熱くてウルウルで、声を出したら泣いちゃいそうだったから。
思い切り鼻を啜り上げたとき、足元にフワフワを感じた。見ると、ケウケゲンが転がっていて、サンダル履きの足の甲の上にいた。
「ケーちゃん、お腹いっぱいになった?」
「けふ」
「そかそか」
毛を撫でてやって、おじいさんを見た。
おじいさんはわたしをじっと見ていた。
当然、視線が真っ向にぶつかった。
「お代わり、いりますか?」
咄嗟に訊ねると、おじいさんは首を横に振った。
なんだろう。
何か、こう、しっくりしないものがあるな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます