第7話 え ら べ な い!





『次の中からひとつ選んでください

ふしぎな水筒

まほうの毛布

ランジェリー(セットアップ)』

       ※セットアップ=上下お揃いのデザイン



 空中に浮かび上がっている文字は日本語な気がする。

 よし。

 わたし、この非常識な状況でも落ち着いてる。冷静に観察できている。観察眼は大事だよね。魔力チャージできちゃうしさ。


 よーし、いいぞー。この調子だ!

 わたしはもう一度、浮かんだメッセージをじっくり見た。


 『ふしぎな水筒』と『まほうの毛布』は名前がとても異世界っぽいし、ゲームアイテムの香りもする。きっと無限に水がわいたり、勝手にあったかくなったり涼しくなったり、そういう効能があるんじゃないかと期待させてくる。

 わくわくどきどき。

 きたきた、このかんじ!


 ……だが、『ランジェリー(セットアップ)』、お前はダメだ。


 どう考えてもチョイスがおかしいよね。サイズもデザインも確認できないのに選択するわけがないじゃん!


 と、言い切れるのは平時のこと。

 現在のわたしは非常かつ緊急の真っ只中にいる。

 ノーブラ・ノーパンツでいることの心細さといったら、ちょっと言葉にできないくらいだ。普段、しっかり覆っているはずの部分で感じる空気の温度や風の感触がどんどんメンタルを削っていくのだ。自分が文明人じゃなくなる恐怖感とでも言えばいいのか。

 つまり、切実にランジェリーが欲しい。


 このメッセージを出しているのが神様だか聖杯だか異世界転生システムだかは不明だけど、わたしが欲しいものを的確に突いているのは間違いない。


 水だって欲しい。

 実のところ、目が覚めてから水分らしいものを口にしていない。パンの実に含まれている水分を多少吸収できたとしても、飲料水がなければ直ぐに詰む。

 かといって、生水は飲みたくない。食中毒、伝染病、寄生虫。せめて火を通さなくては怖すぎる。お粥を作るのにも、水は欲しかった。


 毛布もだ。

 見た範囲内の植物は、わたしの世界でいえば温帯やや北寄りという感じがする。落葉樹も多いようだから、季節が変わるはずだ。

 なのに、わたしの装備はワンピースとサンダルのみ。

 火のそばなら夜も過ごせなくはないだろうけど、毎晩こんな盛大な焚き火があるとは思えない。わたしには決まった屋根がないのだ。

 としたら、近々、低体温症は避けられない現実である。

 つまり死。


 

 くああああーーーっ!!!!

 え ら べ な い!!!!



 わたしはその場に膝から崩れた。

 だって無理じゃん!

 全部欲しいじゃん!


 そう喚くわけにもいかず、わたしはぎゅっと、生えていた雑草を掴んだ。


「セイジョサマ!」

 唐突にわたしが座り込んだからびっくりしたのだろう。ゴブリンたちがわっと集まってきた。

「元気ナイ! セイジョサマ!」

 みんな口々に気遣ってくれる。やさしい。


「大丈夫だよ、だいじょうぶ。元気だよー」

 あははと笑って見せて、わたしは浮かんだままのメッセージを睨みつけた。

 なんだかわからないが、こんなところで渇水死も凍死もごめんだ。


 生きるために絶対に必要なもの! それは水! Aqua Vitae!

 夜は焚き火を確保しよう! 森の中だし、ゴブリンたちもいる、きっとなんとかなる!

 そして……ノーブラ・ノーパンツでも死なぬ!

 さよなら、わたしのセットアップ!


 わたしは涙を食いしばって(誤用)浮かんでいるメッセージに指を伸ばした。タッチパネルに触るときみたいな感じだ。

 途端、メッセージは消え、わたしの手には漆塗りの瓢箪水筒があった。


 ほあ?


 どこから出てきたのか、どうやって握ったのか。さっぱりわからないけど、わたしのこの手の中に瓢箪がある。

 黒くてつやつやに光っている瓢箪。瓢箪の水筒。くびれのところに赤い組紐みたいなのが巻いてあって、栓とちゃんと繋がっている。絵本や時代劇で見たことがあるのと同じ形だ。


「これがふしぎな水筒……?」


 思わず呟いて、思い出したのはアレだ。

 『西遊記』の金角大王・銀角大王の持ってる瓢箪・紫金紅葫蘆。名前を呼んで、応えた相手を吸い込んで溶かして酒にしてしまうというアレ。


 これってさぁ、そういう『ふしぎな水筒』……ってコト!?


 瓢箪を振ったらチャポチャポと水音がした。なんらかの液体は、存在しているようだ。

 わたしはドキドキしながら瓢箪の栓をひっぱり開けた。

 そのときだ。


「セイジョサマ?」

「は、はいっ!」


 元ゾンビくんに呼ばれて、思わず返事をしてしまった。

 これが本当に紫金紅葫蘆みたいな不思議案件なら、わたしは吸い込まれてお酒になってしまっておしまい、そしてジ・エンドだ!


 けど。

 五つ数えても、わたしが瓢箪に吸われる気配はなかった。


「よかったぁ……」

 力が抜けて、わたしはそのままうなだれてしまった。ドッと疲労が押し寄せてきたとも言える。

 ずっと緊張と緩和の繰り返しだ。どんなにタフでも疲れて当然。


「セイジョサマ、元気ナイ。タベモノ、イル」

 元ゾンビくんが心配そうに覗き込んできた。ゴブリンは人間の幼児サイズなので、しゃがんで見上げられたら、俯いたわたしと視線が合わせられるのだ。


「きみは、本当にやさしい子だなぁ……」

「ヤサシ?」

「とてもいいってことだよ」


 わたしは大きく息を吐いて、顔を上げた。

 とりあえず水筒は手に入った。本当はどういうものなのかチェックしなくてはいけないけど、急ぎではない。わたしは瓢箪に栓をした。

 まずはおじいさんの様子を確認しよう。


 ベンチに座ったおじいさんは集まって来たゴブリンたちを気にしながらも、マヨネーズリゾットを食べている。味の感想も聞きたいけど、まずは食べているだけでよし。

 次に、ケウケゲン。


「ケーちゃん、ケーちゃん、おいで」


 呼んでみると、暗がりから黒い毛玉がコロコロ転がってきた。もちろんケウケゲン、略してケーちゃんである。

 ベンチから見て、焚き火の裏側まで行ってたみたいで、かなり離れたところから転がってきた。


 わたしは足元まで帰ってきたケウケゲンを抱き上げた。

 土を払ってあげようと思ったが、黒いフワフワの毛は少しも汚れていなかった。むしろツヤが良くなっているような気もする。


 いや、待って。

 冒険者たちを追い払うために撒き散らかしたマヨネーズのせいで、焚き火の周辺はあちこち泥濘ができていたはずだ。この子には、泥を避けて転がるだけの知性があるっていうことなのか。


「けふ」

 ケウケゲンが息を吐いた。

 めちゃくちゃ既視感のある「けふ」だ。勝手にマヨネーズを食べたあとにも「けふ」っていってた。


 そしてわたしは思い当たる。


 わたしは焚き火周りの土を見た。自分の足元も、ゴブリンたちの立っているところも見た。おじいさんが座っているベンチの周囲もだ。


 マヨ溜まりみたいになっていた泥濘がなくなっていた。ベンチの下には、さっき追加で噴き出したマヨネーズが落ちたはずだ。

 それも、ない。

 焚き火に照らされている土の表面にはうっすらと草が見えた。


 雑草。そういえば、わたしもさっき無意識で毟ったっけ。手に当たって、何気なく引っこ抜いた。でも、元々、火の周りは剥き出しの土で、草は生えていなかったはずだ。


 マヨネーズが消えて、草が生まれた。

 そんな、ことが、あるんだろうか?

 頭の中で、『奇跡』『浄化』という言葉がぐるぐる回る。


 わたしは抱き上げたケウケゲンを見つめた。

 ケウケゲンは黒い毛に埋もれている口をぱかっと開けている。黒とピンクの取り合わせは結構かわいいな。

 いや、そうじゃなくて。


「ケーちゃん、マヨネーズ、食べたの?」


 本当は、地面に落ちていたものも、ドロドロになっていたやつも全部食べたの? と聞きたいところだったけど、複雑な文法を理解してくれるかどうかわからないからやめた。

 そもそも意思疎通できているかどうかも定かではないのだ。そんな気がしているだけ、というか。


「けふ」

 ケウケゲンはまた息を吐いて、わたしの手にくっついてきた。体ごとすり寄せてくるというのだろうか。子猫が甘えてくるみたいな仕草だ。

 お腹いっぱいになって、眠くなってきたってことかな。

 そうだよ、わたしだってクタクタだよ。


 わたしはケウケゲンを胸に抱き直して、立ち上がった。しゃがみ込んでいた元ゾンビくんも一緒に立った。

 じっとわたしを見上げている。


 ベンチはおじいさんに譲るとして、わたしも落ち着けるところが欲しい。

 マヨネーズが消えた地面のことも気になるけど、明るくなってからだ。とにかく疲れた。


「元ゾ……」

 ンビくん、と呼びかけかけて、わたしは息ごと言葉を飲み込んだ。

 いくらなんでも本人に言うには失礼なあだ名な気がする。ぎりぎりのところで常識発動まだわたしのターンだ!


「きみ、名前はなんていうの?」

 訊いてみると、元ゾンビくんが(たぶん)名乗ってくれた。もちろん、ゴブリン語の発声だ。


「キーギーギー?」

 いや、ほんとはもちょっと違う感じなんだろうけど、わたしにはそうとしか聞こえない。ので、聞こえたまま口にするしかない。シャドウィングって、語学学習の基本だし。


 聞いて、元ゾンビくんはもう一度発音してくれた。

 真似てみる。もう一度お手本、真似てみる。

 何度か繰り返してみたものの。


「……セイジョサマ、むり。ちがう、イイ」

 元ゾンビくんが言った。完全にダメな生徒を見つめる教師の、「お前には無理だ」という諦めきったまなざしだった。

 そういえば、RとLの発音で居残りさせられたことがあった気がするけど、そんな記憶は別に蘇らなくていいと思いました。閑話休題。


 気を取り直そう。

 わたしは態とらしく咳払いをひとつした。


「じゃあ、ニックネームで呼んでいい? 仲良し同士は本当の名前じゃない名前で呼び合うこともあるんだ」

 わたしがそう言うと、

「ナカヨシ……!」

と、元ゾンビくんが手足をバタつかせて、ジャンプした。喜びの表現だと思うことにする。


「じゃあ、きみのことはマイケルって呼ぶね」

「まいけ、る」

「マイケル。大天使、神様のお使いの名前なんだよ」


 と、もっともらしいことを言ってみたけれど。

 由来はもちろん、古のヒット曲。やっぱりゾンビといえばあのビデオだよね。


 元ゾンビくん改めマイケルは数回、「マイケル」を繰り返してから頷いた。気に入ってくれたかな。『カミサマ』『セイジョサマ』が理解できるみたいだから、大丈夫じゃないかな。


「あのね、マイケル、わたしも疲れたので休みたいんだ。どこかいい場所はないかな」

 改めて訊くと、マイケルはベンチに座ったおじいさんをちらりと見てから、わたしを見上げてきた。


「ワカタ」

 言うなり、マイケルはゴブリン語で仲間たちに声をかけて、あっという間にもうひとつ、ベンチを作ってくれた。


 ほんとに理解力のある子だ……!

 いや、察しがいい。気が利いている。忖度できるレベル。

 言葉だってわからないところがたくさんあるはずなのに、たぶん、わたしの態度や声の調子なんかと一緒に、欲しいものを考えてくれているんだろう。

 もはや感動と尊敬が止まらない。


「ありがとう、マイケル!」

 わたしは彼の手を取って改めてお礼を言った。

 マイケルも「アリガト」と返してくれた。

 ちょっと違うけど、まあいいか!



 とにかく、今日はここまでだ。時計もなければ星の知識もないから、何時ごろかはわからない。ただ、わたしの肉体は限界を告げている。


 冷静に考えて、マヨネーズの産出は体力を使うんだと思う。

 母乳は血液が原料だ。わたしが生み出すマヨネーズだって、わたしの『何か』をベースにしている可能性はある。少なくとも、マジックポイント的なものは使ってるんじゃないだろうか。知らんけど。


 まあいいや、もういいや。

 わたしは手足を丸めるようにして、ベンチに転がった。狭いけど、ぎりぎり落ちない。もちろんケウケゲンとふしぎな水筒は腹に抱え込んである。

 すべては明日。明日考えよう。



 明日は明日の風が吹く! たぶんね!



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