第9話 わたしの瞳の色が判明しましたー!



 ゴブリンたちが夜明け前に逃げ出すほど急いだということは、人間たちの町は意外に近いんじゃないだろうか。


「マイケル、道ってどっち?」

「アッチ、の、アッチ」


 という説明で、わたしたちは歩き出すことにした。

 ローマじゃなくても、道は必ずどこかに通じているはずだから。

 

 なんと、荷物もあるのだ。

 マイケルが巣穴に道具類をかなり持っていたのだ。よくよく話を聞いてみると、道に落ちていたものを集めていたらしい。

 ゴブリンたちは、落ちているものは拾ってよいもの、拾ったひとのものという認識らしい。

 なので、落ちていたわたしも食材判定になったわけだ。なるほどねー。


 そういうわけで、パパーン!

 わたしの瞳の色が判明しましたー! マイケルの持っていた道具の中に鏡があったのでしたー!


 ピンクです! 

 ピンクトルマリンみたいな、透明感のある、淡いピンクの虹彩でしたー!


 しかも美人。

 自分の顔を見て「ひゃわー」と呻いてしまったくらい。クマ王子を見た時に感じた通りのヨーロッパ系人種っぽい白い肌に銀髪、昨日確認した通り、長い髪の裾のほうはピンク味を帯びている。

 浮世離れというか、現実感のなさがすごい。

 まるでフェアリープリンセスですよ。


 そりゃあ、高齢神官が『麗しの乙女』って口走っちゃうわ。

 新年度のプリっとキュアっとのお姫様キャラですって言われたら、納得しちゃうような愛らしさ。美しさ。うん、麗しの乙女。


 ただ、わたしが自認する年齢からするとずいぶん若い。十代後半、がんばっても二十代前半ってとこかな。

 それがワンピース一枚きりで歩いている心許なさよ。ノーブラ・ノーパンツなんだぜ。ははは。笑えない。


「セイジョサマ、元気ナイ?」

「元気だよ、だいじょぶ」


 考え込んでいたからか、マイケルが声をかけてくれた。

 荷物はわたしとマイケルで分けて持った。当面の食料として、生のパンの実もたくさん持ち出した。わたしの麻袋も役に立った。切る前で本当に良かった。


 おじいさんだけ置いてくるわけにもいかず、一緒に来て貰った。

 杖代わりの棒にすがりついてよたよた歩いているおじいさんは、それでも、昨晩よりは元気そうに見える。


 マヨネーズの効果、あったのかな。


 とは思うものの、浄化と目潰し以外のマヨネーズの効果はわたしにもわからない。栄養はあると思うんだけど。


 ケウケゲンはわたしが抱っこしている。フワフワの毛玉はまったく重さを感じさせないから、苦でもない。


 目指すのは道、その先にあるはずの町だ。


 王子がいたんだから、ここは王政国家だ。

 神官っぽいひとたちの服装はともかくとして、王子の身なりからすると、最低でも十七世紀ヨーロッパくらいの文明があるんだと思う。一六〇〇年代というと、日本なら江戸時代。中国なら清朝、ヨーロッパは大航海時代だ。


 町には行政官がいるんじゃないかと思う。最低でも税務官はいる。税金なしの国家はない。絶対。城砦都市の昔から、ラスボスは税務署だと決まっているのだ。

 

 税務署は無視するかもしれないけど、弱っている国民がいるのだ。しかるべき施設で、おじいさんを保護してもらわなくてはいけない。

 十七世紀の文明に福祉は期待はできないけど、宗教施設や病院はあるんじゃないだろうか。とりあえず、相談くらいしてみるべきだよね。


 最悪、あの神殿に戻ることも考えてはいる。運ばれた距離からすると、そう離れていないだろうし。


「……それにしても、空が暗いね」

「ソラ」


 わたしが見上げて言ったからか、マイケルも同じように空を見上げた。

 一応、明るくはある。けれども曇天の明るさといえばいいのか。どんよりとした分厚い雲があって、重苦しい風が吹いているのだ。

 嵐の前という感じでもないんだけど。


 それに、森の様子も変だ。

 広場から見ていて森に落葉樹が多いとわかったのは、半分ハゲてる木が結構あったからなんだけど、よくよく見たら枯れそうという方がぴったりの有様なのだ。下草や背の低い木は棘のあるものばかりで、乾涸びそうになっている。

 動物の姿もない。鳥の鳴き声もしない。虫の一匹も見ていないのはおかしいんじゃないだろうか。


 しかも、土。

 整備された道ではなくて、森の中だ。多少歩きにくいのはわかる。でも、枯葉から覗いている地面はグジグジで、泥からは嫌な匂いがする。腐臭というには重たく、気分が悪くなる匂いだ。


 雲が厚くて雨が多いから、森がこんな有様なのかな。雨が降っていて、枯れそうな樹木が多いというのは辻褄が合わないか。

 うーん。情報不足。

 よくわからん。


「お天気悪いね。雨が降るのかな」

「あめ、ナイ。ずっと」

「雨がずっと降らないなんて、そんなことあるの?」


 マイケルと話しながら歩いていた時だ。

 わたしの腕の中で、ケウケゲンが膨らんだ。毛を逆立てて、体積二倍になった。

 びっくりしたが、それどころじゃない。


「マモノ! マモノ!」

 ほとんど同時、マイケルが甲高く吠えた声は確かにそう聞こえたのだ。


 マモノ?

 マモノって魔物ぉ?!


 ゴブリンがいるんだし、冒険者もいた。ゲームっぽいワールド設定からしたら、魔物が出るのは予想範囲内だ。

 ただ、こんなところで出くわすなんて思わなかっただけで。


 だって丸腰なんだもん。

 武器があったところで使えないけど、守ってくれるひともいないこの状況で魔物に襲われて、生き残れる気がしない。

 冒険者を追い払ったのだって、ゴブリン軍団が居てくれたからだ。


 どうしよう!


 わたしは杖にしがみついて立っているおじいさんに駆け寄った。マイケルもついてくる。一番近い木の幹を背にして立って、おじいさんをわたしたちの背中にかばった。

 

「マイケル、魔物はどっちっ?」

 不気味な森を見回してもわたしには何もわからない。偵察値は間違いなく大太刀以下だし。


「*ゴブリンスラング*、ハシル、はやい!」

 マイケルが斜め前方を指した。

 ゴブリン語は聞き取り不能、でも、足の速いやつが来るのは理解できた。枝や灌木を踏み潰す破砕音がどんどん近づいてくる。確かにすごく速い。


 そして。

 出た。

 魔物。ぎゃあ。


 見上げるほど大きい。ゴリラ? いや、なんだろ。グリズリー? 何かそういう猛獣系の魔物だ。

 全身を覆う体毛は真っ黒で、表面がベタついている。目は爛々として、赤い炎みたいだ。


 こわい。うん、怖いな、これは怖いぞ。


 悲鳴をあげることもできないまま魔物を見ていると、腕の中でケウケゲンがさらに膨らんだ。


 わたしは、我に返った。


 この小さな毛のものや、仲良しになったマイケル、弱ったおじいさんを魔物のごはんにしたくない。もちろんわたしも絶対にお断りだ。


 だとしたら、できることはひとつ。

 選択肢がないんだから、迷うまでもない!


「出でよ、マヨネーズっ!」


 途端に胸からマヨネーズが迸った。

 わたしは片手に受けたマヨネーズを魔グリズリーに投げつけた。目潰しは無理だ。相手は見上げるほど大きいから、投げても届かない。でも投げる。

 投げるしかない!


 GYAAAAAAOOOO


 と、表現するしかないような悲鳴を魔物があげた。


 例えるなら、聖水をぶっかけられた悪魔憑きのような。あるいは、太陽の光を浴びた吸血鬼のような。

 まるっきり断末魔だ。


 えっと、これは、マヨネーズだよ?


 わたしは自分の右手を見た。マヨネーズがまだたっぷりある。掴めなかったものが胸の膨らみにのっかっている。かなり溢れて、足元にも落ちている。産出量アップは伊達じゃない。


 マヨネーズを胸のあたりに受けた魔物は仰向けにひっくり返って、のたうち回っている。


 ほんとに、これ、マヨネーズだよね?


 自分の指先をちょっと舐めてみた。

 大丈夫。マヨネーズだ。問題ない。


「*ゴブリンスラング*!」

 聞き取れない言葉で叫んだマイケルが、落ちたマヨネーズを掬って魔物に投げつけた。のたうち回っている魔物が、さらに激しく暴れる。

 本当に苦しそうだ。

 

 マヨネーズは なぜか こうかばつぐん だ!


「マイケル! もっと出すよ!」

「ワカタ!」


 わたしはマヨネーズをジャンジャン出した。

 マイケルがそれをバンバン投げつけた。

 浴びた魔グリズリーがのたうちまわった。


 それがどのくらい続いたのか、はっきりとはわからない。何時間も経ったような気はしたけど、ほんの数分だったのかもしれない。


 とにかく、マヨネーズ和えになった魔物がついに、動かなくなった。


 タッタラタッタターン

 タッタラタッタターン

 タッタラタッタターン

 『はじめての魔物退治! アイテム:すてきなマントを手に入れました!』


 メッセージとともに、目の前にきちんと畳まれた布製品があらわれた。アイテム引換券のときと同じく、空間に浮かんで見えている。


 一度にレベルがあがったら、ファンファーレしか聞こえない。

 バックログ機能は必要だって言ってるでしょーが……。もう。


 いや、たぶん、浄化レベルがあがってマヨネーズの産出量があがったとか、なんかそういう既出のやつなんだろうとは思う。思いたい。


 とりあえず、わたしは両手を伸ばして布製品を受け取った。

 マヨネーズまみれだったはずの手は、いつの間にかすっかりきれいになっている。

 でももう驚かない。食べちゃったヤツはわたしの頭の上でフワフワになり、「けふ」と息を吐いているから。


「ほんとにマントだ」


 すてきなマントはたしかに素敵だった。

 さらっとした生地はわたしの着ているワンピースと同じものかもしれない。白なんだけど、重なった部分がうっすらとピンクに見えるのだ。高級品だわ、間違いなく。


 あ。ひょっとして、ピンクがわたしのイメージカラーなのかも。


 曖昧でおぼろなわたしの記憶では、あんまりピンクっていうタイプじゃなかった気がするんだけどな……。


 いや、そうか。

 今のわたしはフェアリープリンセスなんだったからアリか。


 わたしはマントを肩にかけてみた。フード付きのマントは軽いけど、布切れ一枚しか着ていなかったのが、二倍になったのは大きな違いだ。安心感が違う。


「セイジョサマ? ? ?」


 マイケルは音がしそうなくらいまばたきを繰り返している。

 そばにいた彼には、わたしが何もない空間からマントを取り出したように見えたのかもしれない。そりゃあびっくりもするよね。


「えっと、これは」

 わたしにもはっきりわからない事象なのに、上手く表現なんてできない。どう説明しようかと口篭ってしまった。

 マイケルは(たぶん)困った顔をしていたが、急に息を飲んで身構えた。


 魔物が起き上がっていた。


「マヨネーズ!」

 わたしは素早く、マヨネーズを産出した。迸る白い半液体。

 魔グリズリーは周囲を見回してから、わたしを見た。


 魔物は状況がわからないというか、キツネにつままれたみたいな顔をしている、ような気がする。いや、相手は魔物なんだけども。

 それに、体。

 毛色が見えないくらいマヨネーズにまみれていたはずなのに、すっかり元通りなのだ。黒い被毛はフサフサとしていて、表面のベトベトはもうないから元より毛並みはいいかもしれない。


 まるで、ケウケゲンと同じだ。


 魔グリズリーはノソノソとした動きで立ち上がり、四足歩行で木々の向こうに帰っていった。

 わたしとマイケルは無言で魔物を見送った。


 これは、えっと。

 どういう状況なんだろう。

 どう考えたらいいんだろう。


 ひたすら困惑していると、今度は背後で大きな音がした。

 忘れていた!

 おじいさん!


 慌てて振り返ると、おじいさんは膝をついてうずくまっていた。


「大丈夫です、もう魔物はいっちゃいましたから!」

 わたしはおじいさんのそばに膝をついて、体を支えた。おじいさんは震えていた。

 いや、泣いている?


「……ぜ……、……いま…………だ」

 切れ切れに聞こえた声とも言えないような掠れた息は間違いなくおじいさんのものだ。


「なんですか? もう一度、言ってください」

 聞き返してもおじいさんは首を横に振るだけだ。泣き止む気配もない。

 それどころか、嗚咽が混じり始めた。


 わたしはマイケルと顔を見合わせた。マイケルもどうしていいか困っているようだ。ケウケゲンはわたしの頭の上で、平べったくくつろいでいる。


 どうしよう。どうしていいか、わからない。

 わたしは泣き続けるおじいさんをただそばで見守った。




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