第4話 わたしはだれ?
わたしはだれ? ここはどこ?
こんなベタな疑問文を自分で使う日がくるなんて、人生、何が起きるかわからないものだなぁ。
などと、詠嘆したところでどうしようもない。どうしようもないことほどぐるぐる考えるのは、どうしようもないからなんだろうな。
わたしはため息をついた。
ゴブリンたちにわっしょいわっしょい運ばれたのは、広場の焚き火の前だった。元々はわたしを焼いて食べるためのものが、今は聖女への感謝を捧げる炎になっている、らしい。
ゴブリンたちはわたしのために小枝と草織を組み合わせたベンチを用意してくれたし、パンの実も木皿に盛ってきてくれた。
木杯には水もある。生水はちょっと怖いので、口をつけられないでいるけど、おもてなしの気持ちは受け取った。
タベモノ扱いから考えると、格段の大出世じゃないですか。
ゴブリンたちは楽しげに歌ったり踊ったり、追加で焼いたパンの実を食べたりして楽しそうだ。黒肘くんも謝罪くんも踊っている。
わたしの近くに座り込んだ元ゾンビくんはパンの実を食べるのに一生懸命だ。落ち着いたら話を聞かせてもらおうと思うものの、なかなか食事は終わらない。
そりゃそうか。
きっと何日も食べていなかったのだろうしさ。
人間なら、断食後にこんなに食べたら内臓が逝ってしまいそうだけど、ゴブリンは頑丈みたいだ。あるいは、マヨネーズで回復していたのか。
「……うーん……」
わたしは手のひらに持ったままの黒いふわふわを目の高さに持ち上げた。
元ゾンビくんはこれを指して「元気、ナイ」と言ったから、やっぱり生き物でいいのだとは思う。
黒いふわふわはフワフワしている。わたしの手についていたマヨネーズも、毛についたはずの分も見当たらない。さらさらのフワフワ。
これが生き物なら舐めとったのかもしれないけれども、手の中で動いた気配は感じなかった。
ということは。
フワフワから触手が生えてきたり、フワフワそのものが舌だったり、あるいは……。
うん、やめよう。
答えのわからないものをあれこれ考えても仕方ない。助けも期待できない場所でひとりぼっちなのだ。
やるなら現状確認。指差し確認は現場の基本だって、常に最前線で体を張ってるネコさんが言ってた。
まず、ここは『異世界』だ。わたしが元々いた世界ではない。
漠然とそう感じているし、あの神殿で「聖なる光より出でましし聖女」とか言っていた。
神殿には召喚サークルがあって、わたしは呼び出されたと考えていい気はする。聖杯の霊圧はゼロだけど、言語変換機能は生きているっぽいし。
それから、わたし自身のこと。
わたしはヒトで、女だ。身体感覚と自己認識はズレていない。
名前は思い出せない。職業とか身分とかもわからない。住んでいた場所についてもさっぱりだけど、山手線の駅名は一通り言える気がする。
あと、名古屋人ではない。
持ち物なし。
マヨネーズが産出できる。袋に詰められてポイ捨てされても骨折はしない程度に頑丈。鏡で確認できてないけど、ノースリーブの白いワンピースを着ている。髪が長い。座るときにお尻に敷いたくらい長い。気のせいじゃなければ銀髪で、毛裾がピンクっぽい。いわゆるピンクプラチナじゃないかな、すごい。
そして現状、ノーブラ・ノーパン、ツ……。
「めちゃくちゃ緊急の大問題あったじゃん!」
息を飲んだわたしは思わず立ち上がっていた。
「セイジョサマ、ナニ?」
元ゾンビくんがパンの実を持ったまま顔を上げ、言った。
炎で照らされているからかもしれないけど、顔色が随分良くなった気がする。いや、ゴブリンの肌カラーで診断ができるほどの者ではないですがね。雰囲気というか。
「あ、あのね、欲しいものがあって……」
「! オレイ!」
「ちがう」
「? ナニ?」
ブラジャーとパンツです! って元気よく答えたところで、通じない気がする。ざっと見渡す限り、ゴブリンたちは貫頭衣を着ている。下着があったとしても、わたしに合うサイズとは思えない。そもそも性別はあるんだろうか。男女差が見当たらないからわからない。
「袋、どこにあるかな。わたしが入れられてたっていうヤツなんだけど」
そう言うと、元ゾンビくんはパンの実を置いて立ち上がった。たたたっと足音がしそうな軽やかさで踊ってるゴブリンたちの方へ行って、あっという間に見えなくなってしまった。
踊りの波で具合悪くなったりしないかな。あの子、病後なのにな。
座り直して、そんなことを思っているうちに元ゾンビくんは戻ってきた。
案外早かった。
「セイジョサマ!」
「ありがとう!」
わたしは黒いふわふわを膝の上に置いて、袋を受け取った。ジュート麻っていうのかな。かなりごわついた繊維だ。着心地は最低だろうけど、背に腹は変えられない。
たしか大正時代、百貨店の大火事で女性ばかりが焼死したことがあった。避難するときに着物が捲れ上がるのが恥ずかしくて、飛び降りて逃げられなかったからだ。着物の下は腰巻きしかつけないから、まあ、ノーパンツだと捲れたら丸見えになるのが道理。
その後、女性に洋装が急激に増えた理由で有名な話だから知っていたけど、こんなに深く理解できる日がくるなんて、信じたくない現実だ。
とりあえずゴブリンの晩ごはんにはならずに済んだけど、この先どうなるかわからない。いざという時に動けなければ、きっとそこには死が待っている。
絶対にブラとパンツは必要だ。
「ハサミはある?」
「ハサミ?」
「こう、布を切るもの、チョキチョキってするものなんだけど」
身振り手振りをつけて元ゾンビくんに言ってみた。
袋なんだから、底の部分を適当な長さで切って穴をふたつ開けたらパンツになるし、残りの部分を細長く切って、サラシみたいに胸に巻き付けることはできるはずだ。
小さいキャラぬいぐるみに靴下で服を作ってあげるのと同じ感じ。まあ、伸縮性も快適性もマイナス値のジュートだけどね。
「……ワカタ!」
かなり考えていた元ゾンビくんはひらめいたみたいに走っていった。今度は火とは逆の方、たぶん巣穴のほうだ。
ゴブリンたちも服を着ているんだから、裁縫道具のひとつくらいあるんじゃないかなと思う、んだけどな。
裁ちバサミとはいわないから、布を切る道具があれば。
それにしても、元ゾンビくんはデキるゴブリンだなと思う。
わたしもゴブリン専門家ってわけじゃないし、彼らの生態なんかさっぱりわからない。けど、元ゾンビくんはわたしの話を聞いて、解釈して動いているように思える。
それって、コミュニケーション能力がかなり高いってことだよね。
「ねぇ、えーっと……」
話し相手はいないから、膝の黒いふわふわに問いかけようとして、ふと考えた。これが生き物だとして、呼びかける名前は欲しいな。元ゾンビくんは知ってるんだろうか。
「セイジョサマ! コレ?」
黒いふわふわを撫でていたところに、元ゾンビくんが戻ってきてくれた。差し出してくれたのはU字型のハサミ、握りバサミだ。
「大正解! ありがとう!」
わたしは喜んで受け取って、袋を広げた。膝に黒いふわふわがいるから、少し体を斜めにしたけど、作業できなくもない。焚き火のおかげで明るいしね。
わたしはハサミを握り、袋に刃を立てた。ジュート麻(に似たもの)の繊維は結構硬い。力がいるけど、できないことでもない手応えだ。
よし、やるぞ。
元ゾンビくんはわたしのすることに興味があるみたいで、ベンチの横に立って、わたしの手元を覗き込んでいる。
「ねえ、この子のことなんだけれど。黒いふわふわのこの子は何?」
「ワカラナイ」
「わからないの? え?」
大事に抱えていたから、てっきりペットか友達だと思ったのに。違うの?
わたしの疑問を感じ取ったのか、元ゾンビくんが考え込んだ。たぶん、説明する言葉を選んでくれているのだろう。
ほんとに良い子だなぁとしみじみしつつ、わたしは自分の作業をすすめた。
ジュート麻、マジでかたい。
「……タベモノ、オチル、ミチ。アッチ、アッチ、ソレ、アル」
「ふんふん、なるほど」
「タベモノちがう。元気ナイ。……カワソ」
「カワイソウ、かな。うん、なるほどわかったよ」
つまり、ここから離れたところにあるヒト族が使う道に落ちていた黒いふわふわを拾って助けてあげたということだ。可哀想だからって。
「……ほんまにええ子やんかいさ」
うっかり熱くなった目頭を抑え、縁もゆかりもない気がする関西弁風味でつぶやいてしまった。
「ひとつ確認。きみがビョーキになったのは、この子を拾うより前だった? 後だった?」
「マエ? アト?」
言葉の意味がわからないのか、前後の概念が難しいのか。とりあえず、元ゾンビくんは困ってしまった。
わたしとしても、これ以上噛み砕きようもない。
うーん、どうしよう。
「元気、ナル?」
わたしも困ってしまったところで、元ゾンビくんが言った。空気読んできてるわ。間違いない。やっぱりデキるゴブリンだ。
「どうだろう。マヨネーズが効いたらいいんだけど」
わたしはそっと、黒いふわふわを撫でてみた。ぴくりとも動かない毛玉は完全にぬいぐるみだ。
こういうキャラクターいたよね。
山梨王とか3Xとかの大きいところじゃなくて、もっとこじんまりした感じのデザイナーさんの作品。好きだった気がする。毛玉にクチバシだけついてるやつ。こんなに禍々しくはなかったか。
禍々しい毛玉といえば、あれしかない。
「ケウケゲンだね」
「ケケゲ……??」
元ゾンビくんがびっくりして聞き返してきた。知らない単語で驚いたのかな。そりゃそうだね。この世界には絶対にない気がする名詞だ。
「ケウケゲン、こういう、毛ばっかりの生き物のことだよ」
厳密には妖怪の名前だけれどね。
漢字表記は『毛羽毛現』あるいは『稀有稀現』。元は中国妖怪らしいけど、江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕のおかげで有名になった。
ただし、昭和後期以降はそれに疫神の伝説が付け加わることが増えている。平成版妖怪図鑑には、毛羽毛現が床下に住み着くとその家には病人が出ると書かれていたっけ。
確証はないけど、ゴブリンたちの病気の原因はこの子じゃないかという気がする。あの黒いヘドロみたいなアレ。あいつの中毒症状だったんじゃないだろうか。
「ケウ、ケゲン、元気ナル、イイ」
元ゾンビくんがそう言って手を伸ばし、ケウケゲンをそっと撫でた。
うん、うん。
なんという労りと友愛……!
わたしがまた熱くなってきた目頭を抑えた時だ。
ガサガサという物音を聞いた、気がした。
咄嗟に元ゾンビくんを見ると、元ゾンビくんが叫び声をあげた。
ヒトの言葉ではなく、ギーギーというゴブリン語で意味はわからない。だが、緊急事態だというのは理解できる響きだ。
広場に集まっていたゴブリンたちが応えるように吠えだした。パンの実も放り出して、まるでケンカでも始まりそうな緊迫感。
恐怖心がわたしの中で暴風雨みたいに荒れ狂う。
だって怖い!
抗争とかケンカとか、そういうのはマンガの中のことしか知らない!
わたしはケウケゲンと下着にリメイク予定の麻袋をしっかり抱えた。借りたハサミは握ったままだ。
「セイジョサマ!」
元ゾンビくんがわたしを背中に庇うように立って、音の聞こえる茂みのほうを睨みつけた。灌木や下草、枯れ枝が踏み潰される音がどんどん近づいてくる。
「セイジョサマ! セイジョサマ!」
口々に言って、黒肘くんと謝罪くんも飛んできてくれた。他にも数人のゴブリンたちがきてくれる。みんな身構えていて、臨戦体制というやつに見える。
小さな体でわたしを守ろうとしてくれているのだ。
スッと、わたしの中で嵐が収まるのを感じた。
わたしは召喚された(っぽい推定)聖女。
一緒にいるのは勇敢で心優しいゴブリンたち。
何が来ようが、負けてやる筋合い/zeroだ。
「何だァ? 火が見えたと思ったら、盗人小鬼どもじゃねーか」
「きれいなオンナもいる! 食いモンの匂いがする!」
「ツイてるねェ!」
世紀末救世主伝説のザコキャラみたいな下品かつ下卑な会話とともに、三人の男が現れた。
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