第3話 マヨネーズは飲み物!



 炙りたてのマヨパンの実をふたつ持って、連れていかれたのは大きな木の根元に掘られた穴だった。

 火のあったところが広場で、このあたりが住居地区なのだと思う。途中、いくつか似たような穴があった。


 大木の根元に巣穴を掘る生物は結構いる。ハチの仲間とか。食料の調達や水の集めやすさを考えると、木そのものを屋根にするのはとても合理的な気がする。いや、素人考えなんですけどね。


 ここにいる、と、黒肘ゴブリンが言うので、わたしはしゃがんで、穴をのぞいてみた。ゴブリンたちはわたしの半分くらいの身長だ。どう考えても、わたしが入れる住まいではないから努力はパスした。

 別に、おなかがひっかかりそうとかそういう心配じゃないんだからね!


「……こ、こんばんはー?」


 覗いた穴の中はまっくらだが、生き物の気配はある。声をかけてみると、何かが動いた。


「元気なるタベモノ持ってきたよー」


 わたしは炙りマヨパンの実を穴の中に差し出して言ってみた。半端に口調が移ってしまったが、相手がゴブリンなら問題ない。たぶん。


 けど、返事がない。


 ここまで案内してくれた黒肘くんと最初の謝罪くんを振り返ると、ふたりはササっと穴の中に潜り込んでいった。すぐにキーキーカーカーという鳴き声が聞こえてくる。


 ゴブリン語、発声マジでむずかしいな……。


 動物言語を修めてない身では言っていることもわからないし、できることもない。仕方なく穴の前にしゃがみこんで待っていると、しばらくして黒肘くんと謝罪くんが這い出してきた。文字通り、這々の体というやつだ。


「どうしたの? 大丈夫じゃないかんじだったの?」

 そう言うと、黒肘くんが腕を見せてくれた。

 さっきはほとんど消えていた黒いシミがまた広がっている。慌てて謝罪くんを見ると、頬にうっすら黒いものが浮かんでいる。


「え、なんで?」

 せっかく良くなっていた症状がぶり返すなんて、ここに感染源があるとしか考えられない。


「黒肘くん、謝罪くん。これ、分けて食べて、早く!」


 パンの実を渡すと、ふたりは半分こして丸呑み同然に食べてしまった。症状がまた出たのが怖かったのかもしれない。


 思った通り、どちらのものも黒いシミはすぐに消えた。

 よし。

 浄化できている。ファンファーレはならなかったけど、見てわかる変化だから大丈夫だ。


 中にいる具合の悪い子もなんとかするにはこれを食べさせるしかない、んだと思う。わたしが入っていけない以上、出てきてもらえるかと、ふたりにたずねようとした時だ。

 黒い巣穴から何かが溢れてきた。


 ドロドロ、デロデロ。ヌチャヌチャベタベタ。


 表面が波打っていて、コールタールが勝手に動いているようにしか見えない謎のゲル状の物。溢れてでてきた黒い何かは、わたしの目の前ですぐに消える。消えるが、どんどん湧いてでてくる。ドライアイスの煙と似ている動き方をしているから、重ための気体なのかも。


 そして、ぬっと、腕が一本、突き出てきた。

 黒い骨にしか見えないくらい細い。指は五本確認できた。ただ、全部ねじれてよじくれて、革紐みたいな爪がべろべろ蠢いている。そこだけで違う生き物みたいだ。


 ……魔物かな?


 いや、ゴブリンも魔物の仲間かもしれないけど。魔物だよね?

 いや、そもそも魔物って何なんだろう。よく考えたら定義を知らないな。


 混乱しつつ思わず左右のゴブリンを見ると、ふたりとも怯えた様子でわたしの肩にしがみついてきた。同族のはずの子を恐れているんだから、異状なのは間違いない。


 と同時。

 わたしはノーブラ・ノーパンツだったことを思い出した。

 幸いなことに、ワンピースはハイウエストかつドレープたっぷり型だ。スカート丈もふくらはぎの真ん中あたりまであるから、意図的に捲り上げられなければ太腿が出ることはない、と思う。

 クマ王子みたいに手を突っ込んでこられなかったら大丈夫だ。

 たぶん。たぶんだけど!


 わたしがしょーもないことを考えている間にも、巣穴からは黒い骨がどんどん這い出してくる。

 よじれた細いツノの生えた頭、よくわからない棘の生えた肩。ツノも棘も他のゴブリンにはなかったパーツだ。

 灯りがなくて暗いのと真っ黒ヘドロが滴っているせいで顔はよく見えない。伸ばした腕はそのまま、もう一本の腕は胸のあたりを押さえていて、ずるずる這い出てくる。


 わたしは大きく息を吸った。

 落ち着け。ビークール。

 冷静になれば生きる道も見えてくる。はず。


「元気ナルタベモノだよーおいしいよー」


 しゃがみ込んだまま、わたしは炙りマヨパンの実を差し出してみた。

 黒骨ゴブリンがゆっくり顔を上げた。


 真っ黒な顔はほとんどガイコツ。

 落ち窪んだ眼窩に灯った赤い火。たぶんこれが目。いや、瞳か。とりあえず眼球だと思う。鼻のでっぱりはなくてただ穴があって、頬のあたりの肉が爛れてぶら下がっている。


 これが感染症で、発見者であるわたしに命名権が与えられるなら、ゾンビスライム症とでも付ける。そうじゃなかったら、某谷の巨神兵症だ。孵化するのが早かった、肉がドロドロのやつ。


 ダメだ。思考が逃避しようとしている。

 だって純粋に気持ち悪い、怖い。


 わたしが走って逃げなかったのは、左右の肩にゴブリンがしがみついて震えていたからだ。


 こんな小さな子たちに魔物を任せられるものか。


 そもそも、彼らも黒い何かに汚染されていたのだ。目の前の子の黒いヘドロのせいでまた状態が悪くなるかもしれない。

 まあ、わたしにも感染る可能性もゼロじゃないんだろうけど。


「……ェ、ゥ……ァ」

 呻き声はゴブリン語なのか、それともヒト語なのか。

 それでも震える爪がこちらに伸びた気がするので、わたしは膝をついて近づいて、パンの実を握らせてやった。


「食べて」


 赤い火がわたしを見て、頷いたような気がする。

 ねじれた指で掴んだパンの実を口に運んだけど、ガイコツだ。頬の肉の間から、実がこぼれて落ちてしまった。

 前歯で食いちぎれても、頬がないから口の中にタベモノを入れておけないんだろう。


 ひどい。むごい。

 この子は食べようとした。

 変わり果てた姿だけど、元気になりたいと思っているからだ。

 

 この子は生きようとしている。

 見捨てるなんて無理だ!


 わたしは右手を胸にあてて、残っていたマヨネーズを掬い取った。


 不思議なことに、このマヨネーズは手にはべたべた着くのに、胸元を汚すことはない。掬い取ったあとの布はきれいなもので、布の下のナマ肌にもベタつく感触はまったくない。


 わたしはその子の口に指を差し出し、乱杭みたいに突き出している牙にマヨネーズを塗り置いてみた。


 もちろん怖かった。

 しがみついているふたりも相当怖いようで、肩に指が食い込むくらいに力が入っている。

 でも、目の前のこの子自身はきっともっと怖いし、不安に違いないのだ。


「舐めてみて」


 できるだけ優しく言うと、ゾンビゴブリンの口が動いて、遅れて喉も動いた。舐めて、飲み込むことはできそうだ。


「よし! マヨネーズは飲み物!」


 気合い一発。わたしは両手を胸に添えた。

 湧いてでてこいマヨネーズ! カモン!



 タッタラタッタターン

 『3回目の産出! 奇跡レベルが2になりました!』



 わたしにしか聞こえないファンファーレとともに、手のひらいっぱいのマヨネーズが溢れてきた。左右の肩でゴブリンたちがびっくりしているが、今は構えない。

 わたしは、出来立てホヤホヤのマヨネーズをゾンビゴブリンに突きつけた。


 ゾンビゴブリンはわたしの手に顔ごと突っ込んできて、マヨネーズを舐め飲みだした。あまりの勢いに、わたしが尻餅をついちゃったくらいだ。


 ビチャメチャ ゴクリ メチャビチャ


 かなり気味の悪い音が続く間、わたしと両肩のゴブリンは息を詰めて見守るしかできなかった。


 手のひらのマヨネーズが半分くらいになった頃、ゾンビゴブリンが急に顔を上げた。


 いや、もうゾンビじゃなかった。

 頬に肉が戻っていた。瞼があって、瞳が赤く燃えていない。小さな体から溢れていたものもすっかり治ったようだ。肩の棘は消えて、頭のツノは他のゴブリンたちと同じ、小さなものに戻っている。

 ただ、ものすごく痩せていて、骨格だけみたいなのは変わらない。病みやつれの激しい版というか。

 それでも目に力があるような気がする。よかった。


「ところで、それは何?」

 黒いものが滴らなくなったせいか、元ゾンビゴブリンが何かを抱えているのに気がついた。黒いフワっとした埃のかたまりみたいなものだ。

 巣穴から出てくる時に片方の腕だけ伸ばしていたのは、もう反対の手でこの黒いふわふわをしっかり抱えていたからだろう。


「コレ、元気ナイ」

 骨に皮だけ張ってあるみたいな腕を伸ばして、元ゾンビゴブリンが黒いものを差し出してきた。

 マヨネーズまみれの手で受け取っていいものか迷ったが、元ゾンビくんも引き下がる気配がない。受け取るしかない。


 指が触れた時、黒いふわふわがビクンとした。


 生きている。


 生き物にしては手足も目も尾も何も確認できない毛玉だ。ヘアリーボール。ゴブリンが片手で抱えられる大きさなので、わたしの両手のひらに乗っかるサイズ。まるで、ぬいぐるみみたいだ。いきなりマヨネーズまみれになっちゃってるけど。

 これ、何だろう。

 この世界にはこういう生き物がいるんだろうか。


 わたしが途方に暮れつつも黒いふわふわを観察していると、肩に掴まっていたふたりが、喜びの雄叫び(推定)をあげて元ゾンビゴブリンに飛びついていった。


 キーキーうるさい声があたりに響き渡ったせいか、あっという間に他のゴブリンたちが寄り集まってくる。わらわらわらわら、音がしそうな現れ方だ。

 みな、元ゾンビゴブリンが黒くないのに驚き、喜び、肩を叩き合ったり抱き合ったりしはじめた。


 そのあとは阿鼻叫喚、じゃなくて、なんて言うんだろうか。

 キーキービービー、わたしにはノイズにしか聞こえない鳴き声が森の住宅地を満たした。


「……とりあえず、よかったぁ」

 ほっとしたら声が出て、わたしはその場に座り込んだ。

 黒いふわふわは両手にもったままだ。最初のビクつき以降は全然動かないし、鳴き声もあげない。

 詳しいことを元ゾンビくんに尋ねたいが、彼(?)はゴブリンたちの輪の真ん中だ。

 これは待つしかない。わたしは喜ぶゴブリンたちを眺めることにした。


 と。


 クロ、ナイ!

 元気ナタ!

 ……カミサマ?

 カミサマ?

 カミサマ!


 キーキー声に混じって、意味がわかる言葉が混じって聞こえた。

 同時、ちらちらとこちらを見るゴブリンが増えてくる。

 黒肘くんも謝りくんも、キーキー騒ぎの真ん中にいた元ゾンビくんもだ。彼らの目はきらきらしていた。


「カミサマ! カミサマ!」


 元ゾンビくんがわたしを指して大きな声を出した。さっきまでドロドロの某巨神兵みたいだったのが元気になったものである。

 なんて感動している場合ではない。

 だってわたしは神様なんかじゃないんだから。


「とんでもねぇ、あたしゃ聖女だよって……はぁっ?」


 口からこぼれた言葉にわたしが一番びっくりした。


 たぶん応える一瞬に、クマ王子が「あなたが我が聖女か」と言ったのを思い出したのがいけなかったのだ。

 あのセリフはどっちかっていうとわたしが言いたかった。

 有名な名乗りみたいにかっこいいフレーズなんて、一生に一度言えるかどうかだ。

 クマ王子はそんな貴重なチャンスも奪ったのだ。むかつく。


 だから現実逃避はダメだっていってるじゃん!


 だが時すでに遅し。

「セイジョサマ!」

 ゴブリンたちの騒ぎがさらに大きくなった。


「違う、ちがうから、わたしは普通のひと! ただのニンゲン!」

「セイジョサマ! セイジョサマ!」

「オイシイタベモノ! セイジョサマ!」


 口々にわたしを讃えるゴブリンたちに取り囲まれたかと思うと、体がふわっと浮き上がった。ノーパンツなのに胴上げ状態だ。

 ただ、無数の小さな手に支えられた安定感は、まるで友愛の金の草原ではある。だめだ、某巨神兵アニメから離れられてない! 現実逃避ダメ絶対!

 

「だから違うってば! わたしは、わたしは……!」


 ゴブリンたちにお神輿みたいに運ばれながら、わたしは唐突かつ大きな疑問にぶつかってしまった。




 わたしは?

 わたしは、えっと、誰、でしたっけ……?



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