第2話 問答無用の大ピンチだよ!
ぱちぱちぱち ぱちん
焚き火をする時、乾き切ってない枝が混じっていると爆ぜるんだよね。
ぼんやり目を開け、わたしはそんなことを思った。すぐそばで焚き火、というか、キャンプファイヤーくらいの大きさの火が勢いよく燃えていたからだ。顔が熱いくらい近い。熱で目が覚めたのかもしれない。
……火?
体を起こそうとして、できなかった。
縛られている。手足をまとめて棒にくくりつけられる縛り方、そう、ブタの丸焼きスタイルで。そのまま地面に置かれているようで、湿気のある土が痛い。石ころが頬にあたっている。
これ、控えめに考えても調理されるまでカウントダウンって感じじゃないかな。よく見たらキャンプファイヤーというよりは行者の火渡りみたいな感じに横に長い木組みになっている。ちょうどわたしが寝そべるのに必要なくらいの面積分はあるな。ははは。
わたし、ツイてるわー。
だって内臓や血を抜く下処理はされてないみたいだし。息もしている。
って喜ぶわけあるか、ばかやろー!
問答無用の大ピンチだよ!
それでもなんとかどん底の不幸中でも幸いはある。捨てられた時に被っていた袋がなくなっているから、周りが見える。わたしは必死で頭を上げて、周囲を見回した。
もう夜になっていた。火の奥、向こう側は木々が鬱蒼としていて、森の中と言っていいかもしれない。荒っぽい木組みされた炎は大きい。キャンプファイヤーの周辺の地面は剥き出しの土で、草も生えていない。
人の気配も、ある。金属が擦れ合うような音が声だとしたら、会話もしているような気がする。ただ、とても小さいのではっきりとは聞き取れない。あ、ヒト族ではないかもしれない。
さすがにうっすら気がついてきた。ここはたぶん、わたしの知っている世界じゃない。いわゆる『異世界』だ。
クママックス王子が名乗った名前も国名も訊いたことはない。敢えていうならラテン語っぽい響きかなとは感じたけども、思い当たるものはない。
ここが異世界だとしたら、人間を食べる種族が居ても不思議じゃない。
キーキーという声が近づいてきた。地面から感じる足音はかなり軽い。声も高いから、かなり小柄な連中だと見当をつけておく。獲物を縛ったり、火を使う程度の知性があって集団行動もするのだとしても、単体の大きさならわたしの勝ちかもしれない。
そしてそういう勝ち筋はとても大事。たぶん。
「それ以上わたしに近づくな、雑魚どもが!」
縛られて、転がされたままでわたしは大声を出した。できるだけ低く、偉そうに。
そう、小惑星基地の摂政か武力と恐怖で支配する生徒会長のように!
雑魚令嬢やヒロインを睥睨する悪役令嬢のように!
声と足音がぴたりと止まった。
効果があったっぽい、気がする。
ならばこの路線でいくしかない。
他にやり方を思いつかないんだから、内角を抉るように打つべし!
「このわたしを何者と思っているっ! このような無礼、許さぬぞっ!」
男を極めようとする3号生筆頭もかくやとばかりに、自分の中にあるだけの威圧感をかき集めて大声を出した。
なお、この際、声が上擦っては台無しである。女性の場合は声を低く出したほうが強そうに聞こえるのだ。これ、マメ知識な。
「……オマエ、タベモノちがう?」
少し間があって、恐る恐るというかんじで返事があった。
「違う。どこを見たらそう見えるのだ」
「オマエ、オチテタ。フクロのナカみ。タベモノ」
たどたどしいしゃべり方はやっぱり人間っぽくはない。トロールとかノームとか、そういう小人系ではないだろうか。
「わたしは、タベモノでは、ない」
冷静に言うと、小さな顔が覗き込んできた。予想通りの鬼っぽい見た目の小人族だ。ゴブリン族だと思った。
しばらく、わたしとそのゴブリンは至近距離で見つめ合った。
たしかに体はわたしのほうが大きいが、こちらは縛られて転がされている。相手は群れでいる上に、火も、ひょっとしたら武器も持っているかもしれない。
圧倒的不利。
でも、気持ちで負けたらそこで終わる。まだ諦める時間じゃない。
わたしは転がった状態でがんばって顎をあげた。下からでも上から目線を演出することはできるはずだ。
「貴様……タベモノではないわたしに、この仕打ちはなんだ。あぁ?」
「ご、ゴメン!」
ゴブリンがぎゅっと目を伏せて言った。
一般的に、肉食動物が相手に目を閉じて見せるのは敵意がない証だと言われている。目を逸らした瞬間に噛みつかれる危険を犯しているからだという。
敏腕殺し屋が利き手で握手しないのも同じ理由だ。
そのゴブリンが謝ったからなのか、すぐに小さな手がいくつも集まってきて、わたしの縄を解いてくれた。
ようやく体を起こすことができて、わたしはまず、頬にくっついていた小石を払い落とした。地味に痛かったんだ。
「ゴチソウ、たべる。元気ナル。……ナイ」
別のゴブリンがあからさまにがっかりして言った。
食事をして、元気になりたかったということだろうか。食べるものがないのだろうか。
幸い、炎が燃え上がっているおかげで、わたしを取り囲んでいるゴブリンたちの様子はよく見える。
粗末だけれど、服を着ている彼らは文化的な生き物に見える。ただ、全体的に肌艶はよくない、かもしれない。ゴブリンの標準体型なんて知らないからよくわからないけど、痩せてる気もする。端的に元気がなさそうだ。
「タベモノ、ないの?」
「……ビョーキ、元気イル。タベモノ、イル」
また別のゴブリンが答えてくれた。
つまり、病気が流行っていてみんな元気がないから、落ちていたゴチソウを食べようと思ったってことか。人間が森で落とした荷物の中身は彼らにとって美味しいものが多いのかもしれない。
「どんなビョーキなの?」
「元気ナイ、ナル」
「クロ、ナル」
口々に言うゴブリンたちは自分の腕や顔を示した。
チュニック風の胴衣からつきでている手足には、黒いシミのようなものが浮き出ていた。シミの分量は差があるみたいで、肘から先全部が黒になっている子もいる。
肌が黒くなる伝染病といえば、ペストが真っ先にでてくる。たしか、敗血症が進んで黒く見えるようになるんだったっけ。
ゴブリンたちは元気はないが、熱があるようにも見えない。
いや、彼らが人類と同じように酸素ベースの血液をしていて、かつ、伝染病も同じように進行すると仮定しての話だけれども、ペスト的なものではない気がした。
「元気出すための食事かー」
風邪を引いた時の定番はお米のおかゆだったけど、チキンスープを飲む国もあるらしい。要は口に入れやすい、消化しやすい、栄養価の高いものを摂ってよく休むことが必要なのだ。
高栄養価の食品といえば……マヨネーズもそうだ。
卵と酢と塩と油でできているのだ。野菜につけても美味しいし、パンに塗って焼くだけでもいい。
クママックス王子が床に叩きつけた白い塊が今、ここにあったらいいのに。マヨネーズ塊の出どころがわたしというのが解せぬままだけど、マヨネーズそのものに罪はない。いきなり生ゴミにされるなんて、あんまりだ。
そう思ったら、胸に違和感を感じた。
胸部全体、両方の膨らみも谷間も、心臓の上もかゆいというか、熱いというか、ムズムズとしかいいようがない。がまんできない。
わたしは両手で胸を押さえた。
胸の奥からわきあがってくる、何か。
迫り上がってくる、何か。
まさか!
手のひらにこっくりしっとりした質感の、ゲル状のものが溢れてきた。
正しくは、胸から溢れて手のひらの上に山盛りになったというべきか。正体はもちろん。
「……マヨネーズだわ、まちがいないわ」
思わず声に出てしまったつぶやきは、縁もゆかりもないはずの名古屋弁みたいなアクセントになってしまったけれど、誰も突っ込んではくれない。
話し相手はゴブリンだし。
ん?
唐突に、言葉はずっと通じているということに気がついた。
というか、クマ王子の言葉もゴブリンの言葉も全部日本語で聞こえていた。王子が唸った呪文は、呪文語だって思ったけど、いわゆる日本古語っぽい響きだった気がする。
なるほどこれが聖杯の力。呼び出された先で必要な知識がインストールされるというやつか。ゴブリンが『ゴブリン』だとわかったのも頷ける。
とすると、マヨネーズが胸から出てくる特殊体質も頷ける、か?
ほんとにぃぃいい?
うっかり思考に耽りそうになったところで、わたしは熱い視線に気がついた。火に近いだけではない熱さの正体は、もちろんゴブリンたちだ。
好奇心と食欲に溢れたまなざしは、いつも熱い。
「タベモノ?」
「まあ、タベモノかな」
落とし物をネコババしようとしただけだけど、結果的にわたしの縄を解いて自由にしてくれたのはゴブリンたちだ。
お礼にあげられるものは、今のところこれしかないんだからお裾分けしようと思い立った。
「君ら、普段は何を食べるてるの? 主食、じゃわかんないよね。えっと、パン? お米? それともお芋かな?」
「パンノミ?」
「パンの実があるの?」
パンの木の実、つまりパンの実は熱帯の植物だ。日本だとギリギリ、沖縄なら生えている。森の雰囲気や気温からすると温帯気候と思われるこのあたりにありえるのかどうか。いや、異世界だからありなのかも。
そのあたりの知識がないからわからない。聖杯、手抜きか。
困っていると、ゴブリンが炎のそばにしゃがみこんで地面を掘った。
キャンプファイヤーの組み木スレスレの土の中から出てきたのは、確かに木の実だった。硬そうな外皮のある実は大型のクルミに似ていて、わたしが知っているパンの実とはずいぶん違う。
これが『パンの実』だというなら、わたしに理解できる単語に置き換えられて聞こえていると考えて良さそうだ。
前言撤回。聖杯仕事してる。
言語変換機能、ばんざーい。
ゴブリンはわたしのそばまで焼けたパンの実を持ってきて、落ちていた小石で外皮を割ってくれた。
ふわん
湯気が立って、香ばしくて甘い匂いがした。焼き芋に近い気がする。
わたしは割られたパンの実の上にひと掬い、マヨネーズを置いた。
「表面を少し炙って食べてみて。元気になるタベモノだよ」
「ワカタ!」
おわかりいただけるだろうか。
つまり、マヨネーズトーストである。
マヨネーズは甘い野菜類にもばっちりあう。コーンじゃないけど、焼き芋風味のパンの実なら間違いない。カシオミニを賭けてもいい。持ってないけど。
「!!!!!!!」
ゴブリンの声にならない叫びが響いた。
マヨネーズをつけて炙っただけで、いつものパンの実がまったく違うものになってしまったら、誰だってそうなるだろう。
パンの実を一瞬で食べてしまったゴブリンを見ていた仲間たちが互いに顔を見合わせて、次々に火の周りを掘り起こしはじめた。
ざくざくざくざく。
出てくる出てくる。外皮に守られ、蒸し焼きにされたパンの実の甘い匂いがあたりに立ち込める。
わたしをおかずにして食べる予定だったパンの実と思うと微妙な気持ちにはなるが、それはそれだ。
わたしは差し出されるパンの実にどんどんマヨネーズを載せていった。ゴブリンたちは我先にと炎にマヨネーズ塗りパンの実をかざして食べている。何往復もする子も出てきた。
と。
タッタラタッタターン
『はじめての浄化! レシピ:マヨネーズトーストを入手しました!』
どこからともなく響いたファンファーレ。
二度目だから驚きも少ない。
そもそも、レシピ入手もなにも、マヨネーズトーストって、たった今、わたしが作ったものじゃん。
ただ、聞き捨てならないのは『浄化』という単語だ。さっきは『産出』で奇跡レベルがあがったのとはちょっと違っている。
それにしても、『浄化』とは?
疑問に感じつつ、差し出されたパンの実にマヨネーズを載せた時、ふと、ゴブリンの腕に目がいった。たしか、指先から肘まで黒くなっていたはずの子だ。ほぼ真っ黒だった前腕が、肘の内側に少し黒いシミがある程度になっている。
わたしは思わず、その子の手を取った。
「この腕の色、元通りなんじゃない?」
「! オレ、元気!」
指摘されて気がついたようで、そのゴブリンが明るい顔をした。たぶん笑顔だと思う。わたしも一緒に笑った。
役に立てると単純にうれしい。
たぶんこれが『浄化』だ。病気を治すのが浄化なのかどうかはわからないけど、現象としては間違ってない気がする。
「イチバンくろい、元気ナイ、イル」
「コレ、元気ナル」
最初に謝ってくれた子と黒肘だった子が言った。
つまり、重病人がまだいるってことか。
よし、おねえさんが面倒をみてあげようじゃないの!
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