◇2◇ 神野





その日、いわゆる日本晴れと言うような

とても爽やかな良い朝だった。


庭に出た金剛が花壇の花にホースで水をやっていた。

シャワーのような細かい水を植物にかけるのは気持ちがいい。


「晴れは良いがそれが続くとお前達も辛いよな。」


と金剛が呟く。

だが朝から金剛は少しばかり足を引きずっていた。


不自由だった膝に人工関節を入れたが今朝は少しばかり調子が悪い。

たまにはそうなるので慣れてはいたが、

やはり面倒な気がしていた。

立ち上がるのにも少しばかりためらいがある。


ふと彼が門の辺りを見ると

体の大きな年寄りがこちらを見ているのに気が付いた。

その男は金剛ぐらいの体格だ。


金剛は何気なしにその男に会釈をする。

そしてその老人も金剛に手を上げた。

彼はホースを置くとそちらに近寄った。


「おはようございます。何か御用かな?」


金剛が声をかけると男はにこりと笑った。

白髪で立派なひげを貯えている。


「花が盛りですな。」


と彼は庭を見た。


この一寸法師は表向きはケアハウスだ。

その男の年齢はそのような施設に興味があっても不思議ではない。

髭の男は金剛と同年代だろうか。

紳士然として身に付けている物も質が良さそうだ。

片手には杖を持っている。

それも今時見ないような立派な杖頭じょうとうがついていた。


「よろしければご覧になりますか?」


と金剛が門を開けた。


「ありがたい、お邪魔しますよ。」


と杖の老人は入って来た。


この一寸法師には結界が張ってある。

よこしまなものはここで弾かれてしまう。

だが彼はにこにこしながら入って来た。


「おお、ここは……。」


と杖の男が庭を見た。


「思った以上に素晴らしいですな。

しっかり丹精されている。」


彼は庭を見渡した。

そしてピンクの花が咲いている辺りをじっと見た。


金剛はその姿を見る。


「こちらでお座りになりますか?」


と金剛がベンチを勧めた。


「ああ、ありがとう、助かります。」


と男は座った。


「私は神野と申します。

急にお伺いしたのに親切に、ありがとう。」


と神野と名乗った男は頭を下げた。


「いや、全然構いませんよ。

実は私も杖が手放せなくてね。」


室内から庭に続く大窓のそばに置いてある杖を差した。


「ああ、難儀ですな。」


と他愛ない話をしていると豆太郎が大窓から現れた。


「こんにちは、お客様ですか?」


豆太郎がにこにこと笑いながら神野に話しかける。


「散歩の最中に庭を見かけてね、見ていたらこの人が……。」

「金剛です。ご挨拶が遅れました。」

「金剛さんが中でどうぞと誘ってくれたんだよ。」

「そうですか、ゆっくり見て行って下さい。

この花壇はここのじいさま達が作っているんですよ。」


と言うと豆太郎が下がって行った。


静かな風が庭を渡る。

緑のいい香りが広がった。


しばらくすると豆太郎がミネラルウォーターの

ペットボトルを持って戻って来た。


「こんなものしかありませんがどうぞ。」


と彼がテーブルにそれを置く。

神野が微笑んで彼を見た。


「君は、豆太郎君だな?良ければ君も話をしよう。」


豆太郎がはっとする。


「え、どうして名前を?じいちゃんが教えたの?」


金剛が顔の前で手を振った。


「いや、俺はなにも……。」


二人は不思議そうな顔をして神野を見た。


「金剛次晴さんと柊豆太郎君だ。一度会いたかったんだよ。」


と神野がにやりと笑う。

狐につままれたように豆太郎が座ると神野が門の外を見た。


「他のお客さんも呼んであるよ。」


二人がそこを見ると一角と千角の姿がある。


「おーい、入っておいで。」


と神野が二人に声をかける。

二人はぽかんと立っていたが、

気が付いた二人が顔を合わせて一言二言話をした。


「大丈夫だ。入れるよ。」


と神野が言うと恐る恐る二人が入って来て、

神野と金剛を見ると頭を下げた。


「豆ちゃん、ここ一寸法師だよな。

さっきまでアパートにいたんだけど。」


不思議そうな顔をして一角が豆太郎に聞いた。


「僕達はここには入れないよね。結界が張ってあるし。」

「だよな、どうしてお前達が入れたのか俺もよく分からん。」


それを見て神野がははと笑った。


「私がいるとどんな結界も無効になるんだよ。」


周りの皆が神野を見た。


「サイコロをありがとう。」


と神野が言う。

皆の目が丸くなり息を飲んだ。


「神様……。」


そしてテーブルにはいつの間にかいくつかの器が現れた。

それぞれ華やかな模様が描かれており、

釉薬だろうか虹色に輝く豪華な茶器だった。


その中の水注すいちゅうを神野が持つとそれぞれの器に

ほんの少しずつ液体を入れた。


「豆太郎君、ミネラルウォーターをいっぱいに入れてくれるか。」


一角と千角も近くの椅子を持って来てテーブルに着いた。

豆太郎は言われた通り水を注ぐ。


「飲んでくれたまえ。」


と言われて皆は恐る恐る口をつけた。

一瞬皆しんとなる。


「……う、うんめぇ!!!」


千角が声を上げた。


「おっちゃん、なんだこれ、俺、こんなもの飲んだ事ねぇよ。

すげえな。

もっと飲みたいよ!」


と言われて神野が一滴だけ彼の器に入れた。


「もうこれだけな、お前達がこれ以上飲むと

どうなるか分からんからな。」


金剛が神野を見た。


「あの、本当に神様?なのか?」


神野がにやりと笑う。


「そう思えばそうだし、違うと言えば違う。」


金剛が首をひねった。

だが考えても仕方がない気がして来た。

もしかするとこれは眠っている自分の夢のような

感じがして来たからだ。


「俺は夢を見ているのかな?」

「そうだよ、金剛さんは今夢を見ているんだよ。」


と髭の紳士が言った。


「そうかな?……そうだな。」


と金剛が言うと器に口をつけた。


「本当に美味いな、これ。千角が言ったけど。」

「だろう、ネクタルだよ。

人にそのまま飲ませると濃過ぎて死ぬからな。

豆太郎君が水を持って来てくれてよかった。」


金剛は思わず笑いだした。


「神様だけどなんだか庶民的だな。」

「今は合わせてあるよ。

まあこれでお前達は長生き出来るよ。」


いつの間にか一角と千角は豆太郎と一緒に一寸法師の室内に入っていた。

はしゃぐ声だけが聞こえる。


「天女から話は聞いたよ。」


と神野が言った。


「ああ、俺は大したことはしてないが。」

「そんな事は無い。あの子、ユリは感謝していたぞ。」


ユリは以前ここで保護していた鬼と天女の間の子だ。


「元気にしてるか?」

「普通現世の事は記憶に残らないんだが、

ここやあの鬼達の事は覚えていたよ。

ご老人方には可愛がってもらったらしいな。」

「ああ。」


金剛はユリの事を思い出した。

赤髪の可愛らしい子どもだった。


「アイスクリームを食べたと言ったが、売っているのか?」


神野が真顔で金剛を見た。

その時一角と千角、豆太郎が戻って来る。


「色々見られたのは良いけどどこにも人がいないんだよ。」


一角が首をひねっている。


「まあそうだろうな、今は夢の中なんだろうよ。」


と金剛が言った。


「夢……。」


豆太郎が呟く。


「ところで君達、宝は受け取ったかな?」


神野が三人を見て言った。


「宝って、僕はえらのママからもらったノートかな?」

「そうだ。」


三人の顔がパッと明るくなる。


「もらったよ、俺は水晶のオニユリだ。ユリがくれたんだろ?

凄い綺麗だった。」

「そうだよ、ユリがそうしてくれと言ったからな。

で、豆太郎君は。」


豆太郎が真っ赤な顔になる。


「豆ちゃんが一番いいもの貰ったじゃないか。

衣織さんだろ。」

「う、まあな。」


神野がははと笑った。


「そうだな、サイコロを作ったのは豆太郎君だったからな。

お膳立てが一番大変だったぞ。」

「あ、ありがとうございます……。」


赤い顔のまま豆太郎が頭を下げた。

それを見て皆が笑った。


そして金剛がポケットから財布を出した。


「豆よ、みんなにアイスを買って来てくれ。

神野さんはストロベリーのアイスだ。

それで良いかな?俺は抹茶かバニラだ。」


金剛が神野を見ると彼はにっこりと笑った。

三人はお金を受け取ると走って行く。


「あの子たちは、」


神野がその後ろ姿を見る。


「まるで小さな子の様だ。」


金剛がふふと笑った。


「男は俺達みたいな大人のそばでは子どもに戻るんだよ。」


神野も庭を見て微笑んだ。


「そう言う所が人は可愛らしい。」


やがて三人はアイスを持って戻って来た。

皆でそれを食べ始める。


それはそれは不思議な景色だった。




そしてふっと気が付くと、

テーブルの上には空になったペットボトルがあった。


ふわふわと風が吹き、

水を撒いたばかりの緑の香りが漂っている。


「あ、じいちゃん……。」


金剛の前に座っていた豆太郎が眠りから覚めたように

目をぱちぱちとさせていた。


「俺、どうしてここに?」


金剛もはっと気が付いた。

庭で作業をしていた事は覚えているが……。


「俺も水を撒いた後何をしていたかな?」


二人ともきょとんと顔を合わせた。


何かがあった事だけは分かっているが、

それ以外は何も覚えていなかった。


「どうした、二人とも。」


徳阪が建物の中から声をかけた。


「あ、いや、なんでもない。」


金剛が返事をした。


「もうすぐ昼飯だぞ。」

「ああ、分かった。」


金剛は豆太郎を見る。


「豆よ、昼飯だと。」

「……うん。でも…腹は減ってないな。」

「だな。」


二人には何が何だか分からなかった。


だが金剛は朝からしくしく痛んでいた膝の痛みが

引いているのに気が付いた。


彼はすっと立ち上がることが出来た。






遠い所で神野が手のひらにサイコロを乗せていた。

美しく輝くサイコロだ。


彼は下を見た。


「面白いな、人はやっぱり面白い。」


そして両手でサイコロを手の中で遊ばせた。


「鬼もやっぱり面白い。」


彼はふふと笑った。





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