3-2
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「あぁ気持ちぃ」
浴衣姿の秋は一人でマッサージチェアに座って声を上げ、目を瞑りながらその振動に身を任せていた。秋は目を開けて俺の方を見る。
「おーどうだった?」
秋は振動で声を震わせながら言う。俺はその言葉を受けながら自販機の品揃えを見る。
「よかったよ」
「ならよかった」
秋がそう言って「あー」と、気持ちよさそうに口の端から漏らしながら、また目を瞑った。秋の隣のマッサージチェアに座る。特に電源もいじらずに、ただの椅子として使うために。背中にごつごつと球体が当たる。それに少し居心地の悪さを感じながら、体の力を抜く。背中に当たる球体と体を同化させるように。三分くらいして、秋が声を出すのをやめて立ち上がった。
「さあ、ちゃっちゃと行きますよー」
秋はそう言って元気よく拳を突き上げた。なんとなく俺も拳を上げる。それを見た秋は嬉しそうに「にへへ」と笑った。
一旦荷物を取りに部屋に戻る。その頃にはサウナの熱もあの露天風呂の優しさも肌から消えていた。こてんと秋が畳に寝転がる。すぐに出ていくというのに、よほどお気に入りらしい。
「嫌だなーもっとここに居たいよ」
駄々をこねるように秋は声を出す。バタバタとリズムよく足を畳にぶつけながら。
「じゃあお前だけ残ってろ」
俺が冗談交じりに言うと、秋は一瞬動きを止めて「それもありだな」と真面目な声を出した。
「さっさと荷物まとめろ」
俺は秋に向かって、着替えの入っている袋を軽くぶつける。
「そういえば、なんでお前浴衣のままなんだよ」
俺が聞くと、秋は分かってないなーといった風にため息をついて言った。
「気分じゃん! そっちのほうが温泉旅館って感じでいいじゃん」
厳密に言えばここは温泉旅館じゃないのだが、まあそれは追求しないでおこう。
「あーそういうもんなのね」
「下着は変えてあるから」
「はいはい」
俺が適当に返事をすると秋は「男子高校生なんだろー健全なんだろー」なんて言葉を吐いた。俺はそれを無視してリュックサックに荷物を詰めた。といっても、詰めるものなんてほとんど無い。俺は詰め忘れがないかだけを確認して、秋に聞く。
「そういえば朝ごはんとかって?」
すると秋は俺の予想していた通りの事を言った。
「私はそこまでお腹へってないし、朔は朝、あんまり食べないでしょ?だから朝食なしにしたんだけど。それにそっちのほうが安くなるし」
さすが幼馴染。よく分かってる。
秋は恐る恐るといった様子で俺を見る。
「まさか……お腹へってる?」
その表情がおかしくて、笑みが漏れた。
「いや、大丈夫。あったらどうしようかと思ってたとこ」
俺が笑い混じりに言うと、秋は安心した声で言った。
「良かった。育ち盛りだから食べる! なんて言われたらどうしようかと」
「残念ながらそんな時期はなかったですね」
そんな軽口を叩き合う。
「じゃあ、すぐにチェックアウトする感じ?」
「そうかな。今日も行きたいところあるし」
秋は頬に手を当てながら答える。
「ちなみに行き先は教えてくれたりは?」
「しません。ヒミツです」
秋は当たり前かのように言った。少しくらいは言ってくれてもいいのに。
「秋、ちょっと先に出てっていい?」
秋は俺の方を見ずに気の抜けた声で言う。
「なんでー? すぐ側で着替えられるのが嫌とか?」
「そんなんじゃないから。ただ、モバ充をコンビニに買いに行くだけ」
少しうんざりしながら俺は言う。
「あ、了解。んじゃ、勝手にチェックアウトとかやっておくねー」
「ありがと」
秋は俺に向かってひらひらと手を振った。
俺はチェスターコートを羽織り、リュックを背負う。忘れ物が無いかだけ最後に確認して、秋に向かって小さく「お願いします」と、声を残して部屋を出た。
廊下には今から朝食を食べに行くのか数組の旅行客が居た。一人旅の人やカップル、家族連れなどが廊下で華を咲かせる。俺はその間を縫うようにしてエレベーターホールに向かう。
エレベーターを待っていると、子供が元気よく階段で降りていくのを見かけた。元気だな、なんて思っているとエレベーターがやってきた。数組の客も乗ってきたが、その中で唯一俺だけリュックサックを背負っていた。なんだか疎外感がする。数十秒の地獄を体感した後、俺はすぐにコンビニに向かう。
目的だった乾電池タイプのモバイル充電器を見つけて、乾電池も購入する。出費はかさむが、仕方ない。割り切ろう。
店員の眠たそうな「ありがとうございましたー」を聞きながら、俺はコンビニから出た。
俺はロビーにおいてある椅子に座って、モバイル充電器を開封する。乾電池をセットして、スマホを充電しておく。ぼーっと豪華な天井を見ていた。多分、20分くらいそうしていただろうか。
「ごめん」
秋の声だった。急いだのか、少しだけ息が上がっているように感じられる。
「そんなに急がなくてもいいのに」
俺がそう言うと、秋は「他人を待たせるのは嫌でしょ?」と朗らかな声で言った。そこまで俺に対して気を使わなくてもいいのだが。
今日の秋の服装は、オフホワイトのコートの中に控えめなグレーのタートルニットを着て、ブラウンのワイドパンツを履いていた。昨日の服装が爽やかや元気を感じるとするならば今日の服装は大人とか上品とかリッチとか、そういう雰囲気を醸し出している。いい意味で秋らしくない、と言える。
「チェックアウトしといたよ」
秋はそう言って、歩き始める。俺は三歩ほど後ろをついていく。ホテルを出ると、秋はくるりと振り向いて、元気よく言った。
「今日は、神社に行きます!」
「ああ、年末詣か」
俺は呟くと、秋はコクリとうなずいた。
「やっぱり感謝したいじゃん?神様にさ、今までありがとうって」
せめてそこは今年だろう。流石に大きく出過ぎじゃないか?
「そんな十七年分も感謝されたら、神様も驚くだろうよ」
苦笑しながら俺が言うと、秋はいつものように「にへへ」と笑った。
それから俺達はバス停に向かった。たどる道筋は夜とはまた違う表情を見せてくれた。ただ、潮の匂いだけは変わらずに俺達を包んでいた。
バス停に着くと秋は地面にしゃがみこんだ。ここにはぽつんとバス停の名前が書かれている棒みたいなやつが置いてあるだけで、椅子も屋根も無い。
「少し待つよ」
秋がそう呟いた。
「あ、そうなんだ」
俺はバスの時刻表を見る。多分、乗るのはこのバスだろうか。俺はなんとなく行き先に目処をつける。そういえば、神社なんて数えるくらいしか行ったことがない。毎年家族で初詣に行くくらいだろうか。高校受験の合格祈願なんて行ったこと無い。お守りも買った覚えがない。俺は過去に思いを馳せ、空を見上げる。
雲が流れていく。風が吹いて、髪が揺れる。場所は変わっても、空も風もなにも変わっていなかった。それがなぜだか嬉しくて、俺は大きく深呼吸をした。
結局、バスが来るまで特になにかするというわけでもなく、ただただ穏やかで静かな時間を過ごした。バスは定刻通りにやってきて、俺達を運んでいく。席は乗り始めたときこそ空白が目立っていたが、バス停を通過するごとに埋まっていく。秋は手持ち沙汰な様子で車窓から外を眺めていた。俺も視界の端で景色を見る。見たことのない景色がこれからの期待を運んでくる。
初めは乗り気ではなかった旅行も今では楽しいと思える。それはきっと秋がいてくれたからなんだと思う。
葉のついていない木々が流れていく。遠くに海が見えて、山に隠れる。そんな景色の繰り返しだ。景色を見ていると少しずつ意識がぼやけてくる。体がほんのりと温まり、まぶたが重くなっていく。
秋は俺の方を見て、目を細めて言った。
「寝ていいよ。また起こすから」
まるで子供をあやすように、優しい声で。俺を子供のように見ているのが癪に障った。かといって、その感情は長続きするものではなかった。所詮、ムッとした程度のもの。それに、今更秋の考えを改めさせることなんてできないんだから。
「ごめん……」
俺はかろうじて残っていた力を振り絞って言った。秋が頷いたのを見て、俺は感覚に身を任せて闇に落ちていった。
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