第二部「momentary vermilion」
2-1
人の波に揺られながら俺達はホームから出た。いつの間にか、ほんの少し辺りが茜色に色づいていた。やはり冬だからか、日が傾き始めるのがやや速いように感じる。
駅から出てまず驚いたのが人の多さ。やはり俺達の住んでいる所よりも人の動きが活発のようだ。年末ということも影響しているとは思うけど、それにしてもこの量は異常だ。俺は思わず顔をしかめる。
駅の隣には巨大な商業施設が繋がっている。俺がぼーっと町並みを見ていると急に右手首をぐっと、秋に掴まれ引っ張られた。波を掻き分け、人の比較的少ない場所まで連れて行かれる。秋は肌を青白くさせながらはあ、と息を吐いた。
「前の人の香水やばかった」
俺は気づかなかった。というより、そこまで周りを見ていなかった、という方が正しいだろう。あまりの人の多さに圧倒されていたからそこまで見れていなかった。秋は肩を上下させながら息を吸う。よほどきつかったらしい。
「大丈夫か」
俺が聞くと、秋は何も言わずにこちらを見た。
「温かいお茶、買ってきて」
「……さいで」
とりあえず秋を日陰に座らせて、俺は駅の近くに設置されていた自販機に近づく。俺は百円の温められた小さなお茶を買った。なんで、自販機の温かいお茶は小さいんだろうか、なんて事を考えながら、俺は日陰で休んでいる秋の元に向かう。
冷たい風が吹いた。秋は誰かと話していた。成人しているであろう女性と。女性は濡羽色の長髪に全体的に落ち着いた、クリーム色のトレーナーに黒のフリンジスキニーパンツを身に纏っていた。
知り合い、だろうか。秋が俺の方を見る。一瞬だが目が合い、秋の顔に陰りが出る。女性は手をひらりと上げて、秋から離れていった。
俺は秋に向かってペットボトルを投げる。
「あとと……」
秋があたふたと、手を動かしてキャッチする。俺はさっきの事を聞いた。
「知り合い?」
秋は首を縦に振る。
「ネット友」
「へぇ……」
秋は一口お茶を飲み、立ち上がる。そして笑顔で元気よく彼女は言う。
「さ、行こっか」
秋は勢いよく踏み出す。俺は秋の隣に並ぶようにして歩く。
「で、どこ行くんだ?」
俺がそう聞くと、やはり想像した通りの言葉が帰ってきた。
「ひ、み、つ」
わざわざ一文字一文字を強調して。まるでミステリーツアーだ。駅から離れると、どれも同じような高層ビルが立ち並び、車通りが多く、そして案の定人が多かった。
「んー人多いね」
秋が俺の顔を見て言った。俺は首を縦に振る。
空からみたら、未確認の巨大生物のように見えるんじゃないだろうか。そんなことを考えながら、小さな細胞が働くように、じわりじわりと歩いた。時々、秋がスマホで時刻を確認する。俺もなんとなく、秋にならってスマホの時計を見る。
三時三十四分。うん、なんか悔しい。あと少しでも早く見てたらゾロ目だったのにな、なんてしょうもないことを考える。秋は急に俺の手首を掴んで、ずいっと引っ張る。どうやらこいつは一声掛けるということができないらしい。
「おっ」
オットセイの鳴き声のような情けない声を出しながら、俺は引きずられる。秋は俺のことなんか気にしていない様子でぐんぐんと進んでいく。五分ほど引っ張られ手の指で数えられないほどの人を抜かした後、人が少ないバス停に着く。
「ぎりぎり間に合ったー」
秋が膝に手を付いて安堵の声を上げた。俺はその横で肩を上下させながら息を整える。俺は目の端で、秋を見る。秋は上気した頬に向かって、手で風を送っている。だが、すぐに「さむ」と、呟いて止めた。ほんとにいつも忙しそうだな。
秋の頬がいつもの色の戻り始めた時、バスが一台やってきた。バスは目の前で止まり、間の抜けた音を出した。ドアが開き、バスに乗り込む。車内には数十人の人たちがいた。地元の女子高生のグループや、俺たちと同じような旅行客らしい人に、くたびれた参考書を読み込んでいる少年がバスに乗っていた。
俺達は一番後ろから一つ前の席に座る。理由は秋が「一番うしろより、こっちのほうがいいよねー」と、笑顔で呟いたからだ。乗り込んだ人たちが座ると、また間抜けな音を立ててバスが出発した。
「バスでも未満切符で払えたらいいのになー」
隣で秋がぼやいた。
残念ながら未満切符は電車でしか使えない。それ以上を求めるのは傲慢ってものだ。
「これ以上欲張ると悪いことが起こるぞ」
俺は秋の方を見て言った。秋は「ちぇっ」と、舌打ちのような何かをして手すりに頬杖をついた。その態度がやけに子供っぽくて、思わず笑いそうになってしまった。そんな中途半端な俺の顔を、秋がじっと見る。
「なに?」
ドスの効いた声だった。背中に氷を入れられた気分だった。
「あ、いえなんでもないです」
口答えしたら殺される。そう感じた。俺の反応が面白かったのか、秋は「ははっ」と、笑った。
「嘘だって」
そう、口を弧にしながら言った。ただ、全体の雰囲気が、どこか殺気立っているように感じるのは気のせいだろうか。
俺はとりあえず見逃してくれた感謝を表すために、胸元で手を擦り合わせた。秋はそんな俺をぎょっとした目で見つめる。
「え、どうしたの? 頭、大丈夫?」
「感謝を表してる」
俺がそう言うと、秋はクスクスと笑いながら言った。
「なにそれ」
その表情が、あまりに子供のようだったから、言ってしまった。
「やっぱ子供っぽいよな」
「聞こえてんぞー」
そんなくだらない話をしていると、アナウンスが鳴った。
「くがはらーくがはらー」
アナウンスが鳴ったとほぼ同時に、秋がボタンを押す。どうやら目的地は、くがはらというところらしい。
「くがはらってところか?」
俺が秋に向かって言うと、秋はうなずいた。
「そうそう、朔も聞いたことない?
陸原の生多町っていう観光名所なんだけどさ、日本家屋とか、ちっちゃいけど日本庭園とかあるんだけど。今くらいからめっちゃ綺麗らしいんだよね。夜とか灯籠とかあってめっちゃきれいなのよ」
そう言って、秋はスマホで画像を見せて来た。
スマホの中には、よくテレビで見るような日本家屋が映し出されていた。秋が横にスライドすると、見覚えのある和風建築の並ぶ道が出てきた。今日の昼見たやつだ。
「りくはら、かと思ってた」
俺がそう呟くと、秋は瞬きを数回繰り返し、驚いたように言った。
「朔って、漢字苦手だったけ?」
俺は首をかしげる。漢字は得意かどうかと聞かれると、得意ではないと答えるが、別段苦手というわけではない。
「可もなく不可もなくかな?」
秋は俺の言葉を聞くと「でも地名は間違えるんだねー」と、どこか小馬鹿したように言った。
バスが止まり俺達はお金を払い、バスから降りる。後ろから数人、旅行客らしい人たちも続いてきた。
「ささ、レッツ、ゴー」
秋は俺の顔をちらりと見て、元気よく言い放った。俺を置いて、ずんずんと進んでいく。
観光地として有名な生多町は、バス停からすこし離れた位置にあるらしい。とはいっても、バス停から見える木造建築や、石畳の道なども十分美しく、和特有の美しさを感じられる。
「ほんと、いい雰囲気の町だねー」
秋がしきりにうなずきながら、しみじみと言う。町のというより、町並みが放つ雰囲気というのだろうか。暖かな、優しい雰囲気を放つ家々が、綺麗に敷き詰められた石畳が、ひとつひとつが味を出している。この町なら壁に蔓が絡まっていたり、石畳に苔が生えていたりしてもきっと綺麗な景観の一部となって、全身を落ち着かせてくれるだろう。
「本当に。優しい雰囲気があって、都会の喧騒を忘れさせてくれる」
俺が秋の意見に賛同すると、秋は「だよねー」と間延びしたマイペースな言葉を返す。
都会、なんて言っても地元はどちらかと言えば田舎だし、都会らしい都会に来たのも今回が初めてだから、喧騒なんて一瞬で消え去ってしまうのだが。
空が少しずつ確実に、夜に侵されていく。淡い、黒いベールに覆われていく。きっと生多町に着く頃には、冬の透明な空気に満たされた、しんとした雰囲気の町を堪能できるだろう。俺の感じている期待とは反比例するかのように、日は落ちていく。
目的地の生多町に着いたのは日の殆どが落ち、空の端が茜に染まった頃だった。
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