1-2

  駅に着くやいなや、幼馴染は笑顔で俺に向かって言った。

「死刑」

 幼馴染は白色のセーターにオフホワイトのコート、パステルグリーンのスカートを合わせ、背中には落ち着いた色合いのブラウンのリュックサックを背負っていた。

 時刻は十一時三十五分。集合時間まで二十五分も余裕があるはずなんだが。俺はなぜか笑顔で刑を執行しようとしている幼馴染に向かって、軽めにデコピンをした。

「来てもらえただけ感謝しろ」

 なんか俺が遅れたみたいな雰囲気になっている気がする。この際、どうでもいいが。幼馴染は笑顔のまま口を開いた。

「ありがとね。来てくれるなんて思ってなかったよー」

 全然感情が籠もっていないように感じたのは気のせいだと思っておこう。

「それで、どこ行くんだ?」

 俺が問うと、秋は笑顔で言った。秋の言った地名は俺達が住んでいる県の2個隣の温泉が有名な県だった。ここから電車を乗り継いで4時間くらいだろうか。

「それで今年最後に温泉を楽しもうぜ! っていう。……入るかどうかわかんないけどねっ」

 秋は拳を空に掲げる。よほど楽しみなのだろう。いつもより頬が赤いような気がする。

「てか、温泉なんだったら同性と行ったほうが良くね?」

 俺は思った事を口にする。すると秋はわざとらしくため息をついて言った。

「私の知ってる中で未満切符買えるの、朔くらいだし」

 確かにそうだ。俺の誕生日は2月だから、まだ18歳にはなっていない。今年は周りが先に成人するのを、なんとなく虚しい気持ちになりながら見ていた。そんな気持ちを秋も持っていたのか、まだ未成年である俺と二人で行こうとしたのだろう。

「それに……旅行に行けるほど仲いいの、朔くらいだし」

 あ、はい。

「あと朔以外の未成年の皆は受験勉強とかしっかりしてるし」

 まるで俺が勉強してないみたいな言い草だ。否定はしないけど。

 俺はじっと秋を見つめる。秋は目を細め、戸惑いながら言った。

「なに? 」

 俺は首を振り、言う。

「いや、気にすんな。もうお前はそんなキャラだったな、って思い出しただけだ」

 秋は俺の言葉を聞くと、笑顔になって言った。

「でもこれで最後だから」

 それは表情とは裏腹に、どこか哀愁漂うような言い方だった。いや、俺の思い過ぎか。俺は軽く頭を振って、思考をリセットする。

「ほい。言い忘れたけど特急でいきまーすっ」

 秋が俺に向かって青色の切符と特急券を差し出す。

「ん。ありがと」

 俺は青色の切符と特急券を受け取り、それを財布の中に入れる。特急でって、お金かかりすぎじゃね?流石に後から返そう。俺は頭の中で誓う。

 秋はぐっと伸びをした。

「行こ」

 秋は駅に向かって歩き出す。彼女の背中でリュックサックが元気よく左右に揺れる。

「まずは駅弁買っちゃおっか」

 そう言いながら、とてとてと駅内を突き進む。思い出したように、秋は振り向き言った。

「あ、昼食べてないよね? 適当に駅弁買っちゃおっか」

 俺の返事を待たずに秋は笑顔で突き進む。それくらい楽しんでいる、ということなのだろうか。駅弁の売店で秋はメニューをじっと見つめる。俺は秋の横顔を見つめながら、秋が決めるのを待つ。

 売店のおばさんが愛おしそうな笑顔で俺に言う。

「彼女さん、美人さんね」

 俺は訂正するのもめんどくさくて曖昧な笑みで返す。秋はメニューから目を離し、笑顔で可笑しそうにおばさんに声を返した。

「彼女じゃないですって。それにそこまで可愛くないですよ、もうっ」

 秋の声が駅に響く。それに反応して、数人の大人がちらりとこちらを見た。おばさんは秋に負けず劣らずの笑顔で、秋に言う。

「あら、彼女じゃなかったの?」

 俺の方をちらりと見て、「狙い時じゃないの」と、おばさんは言った。秋はそれを見て恥ずかしそうに、口元に手を当て笑っていた。俺はまた曖昧な笑みを返す。何年も一緒にいるんだ。それこそ物心つく頃から。今更、恋愛感情を抱くなんてありえない。

 秋は頬を赤らめながら、駅弁を頼んだ。それもメニューのなかで一番高いのを2個。おいおい。こいつ、乗せられたな。

 おばさんは「まいどー」なんて笑顔で言い、秋が財布を出そうとする。俺は秋が財布を出すよりも先に、財布を出して、お金を出した。おばさんがにやりと、微笑ましそうに笑いながら、駅弁を渡してきた。

「イケメンなところあるねー兄ちゃん」

 俺はおばさんから目をそらしながら、駅弁を受け取る。売店から離れて、駅のホームに入る。停まっていた特急に乗り、指定席に座った。

 秋が早速、「駅弁たべたーい」と子供のように駄々をこねた。丁度その時、ゆっくりと特急が出発した。駅弁を秋に渡すと、秋はどこか不満げな顔で俺を見つめる。

「さっき、照れてたでしょ」

 駅弁を食べるのを楽しみにしていたさっきまでのテンションはどこへ? 情緒不安定か? 俺は特に隠すつもりもなかったので、思ったままのことを話す。

「あんな人の多いところで言われるのはちょっと、な。お世辞でも流石に恥ずかしい」

 あそこまでの人に注目されるのは生まれて初めてのレベルで無い。だから自然と恥ずかしさが込み上げた。ただそれだけ。秋は目を細めながらじっと俺を見て言った。

「ふーん。人に見られて恥ずかしかったと? イケメンって言われて照れたんじゃなくって?」

「そうそう」

「ならいっか」

 なにが良いんだよ。お前も照れてたくせに。頭の中で突っ込む。

 秋は話を切り上げ、駅弁の輪ゴムを外し、蓋を開ける。頼んだのは肉がたっぷりと入った弁当。初めて駅弁を頼んだから食べるのになぜか躊躇してしまう。そんな俺とは正反対のようで、秋は目を輝かせながらぱくぱくと食べ進めている。

「おいひー」

 幸せそうに目を細めながら秋は体を左右に揺らす。俺も一口食べる。口の中で肉の旨味と脂が広がり、白米がそれを綺麗にまとめる。

「うんうん、旅行って感じっ」

 秋は隣で嬉しそうに言った。年末独特の緩い空気感も好きだが、旅行前のこの未来への期待が詰まった空気感も嫌いになれないな、なんて思った。やっぱり俺は幼馴染が関わることになると、どんなこともいい方向に持っていってしまうらしい。いいことかわかんないけど。

 俺は空になった駅弁に輪ゴムを留めて、袋の中に詰める。隣では秋がリュックサックからガイドブックを取りだしていた。ガイドブックには、何枚か付箋が貼ってあった。ページの端も、何度も読み返したのかよれている。ずっと前から計画していたのだろう。

「で、どこ行くんだ?」

 俺が聞くと、秋は「えへへ」と、笑い、人差し指を交差させた。

「秘密。まあ楽しみに待ってて」

 秋は言った。

 一つくらい教えてくれてもいいのに。

 俺はスマホを取り出し、今向かっている県について検索する。おすすめ観光名所十選だとかおすすめスポット、なんて同じようなタイトルのものがずらりと並ぶ。俺は、なんとなく一番上に出てきているものをタップする。こういうものは一番上に来ているもののほうが信頼度が高いっていうのが相場だろう。スワイプしながら流し見していると、一つ気になるものがあった。陸原の生多町という名前の和風な町があるらしい。紹介画像に写っている町並みや夜景はとても地元では見れないような、美しく幻想的なものだった。頭の片隅に町の名前を刻んでおく。

 俺は再び、インターネットの海に潜る。仕事運や勉強運を上げる神社に、夕焼けがきれいに見える温泉、地元で人気のうどん。調べれば調べるほど無限に出てくる。目に入ってくる情報量が予想より多く、自分のキャバを超えてしまった。疲れを取るように目頭を揉む。目を瞑ると眼球の中に、石があるように感じられた。思っているよりも疲労が蓄積されているらしく自然と瞼を上げるのが難しくなってくる。大きく欠伸をすると頭の中がぼんやりとし始めた。体がどんどん重くなってきている。体が動かせない。体の神経回路が鈍く、緩くなっていく。まるで海の中に潜っていくような感覚に襲われながら、俺は微睡みの世界に誘われていった。


 2


 体が揺らされたことで、急激に俺の意識は深海から引き上げられた。

「乗り換えっ」

 覗き込むようにして秋が俺を見ている。曖昧な意識の中、秋の言葉の意味を考えた。秋が駄々をこねる子供のように言う。

「今、特急乗ってる。次の駅で乗り換え」

 やっと意識が覚醒してきた。どうやら寝ている間に県を跨いだらしい。

「ごめん。ありがとう」

 俺が頭を下げると、秋は気を良くしたのか笑顔で「良きに計らえ」と言った。多分、意味はわかってない。だって何もお願いされていない。

 俺は、秋をじっと見つめながら聞いた。

「意味、わかってる?」

 秋は笑顔で「なんか響き良かったから」と、言った。隣で、えへへと秋が笑っていると、アナウンスが鳴った。もう着くらしい。電車が駅のホームに入り、停車する。俺達は電車から降りる。俺はゴミ箱に駅弁のゴミを捨てに行く。秋は乗り換える電車が来る路線付近でグッと伸びをしていた。俺は早歩きで秋のもとに急ぐ。

「んー疲れたっ」

 秋は呟き、リュックサックから天然水のペットボトルを取り出した。それをぐっと半分近く飲んだ。

「おいしい、おいしい」

 秋は満足そうに言った。そう言えば水分摂ってないな、と今更気がついた。冬だからかあまり喉の乾きは感じなかったが、こまめに飲んでおいて損はない。

「あと何分ぐらい?」

「2分くらいかな」

 秋はスマホで時間を確認しながら言う。俺は財布を取り出し、近くの自販機で水を買いに行く。あまり使われてなさそうな、白い塗装の自販機を使う。百円の水を買い、何度目か分からない欠伸をする。その時ホームに電車が入ってきた。多分俺達の乗る特急だろう。

 俺は小走りで秋の後ろに並ぶ。秋は後ろに来た俺に気がついたのか、ビクッと体を震わせる。どうやら驚かせてしまったらしい。次から気をつけよう。俺は自分を戒めながら、特急に乗り込んだ。

 代わり映えのしない車内から、外を眺める。いつの間にか出発していたらしく、車窓から見える景色が流れていく。特急とか新幹線って普通の電車と違って、振動が少なくて出発しているかどうかがよくわからないな、なんて思っていると、視界の端に写っている秋が「普通の電車と違って静か」と言った。確か、俺らのよく使っている電車は線路の幅が狭いからとかでよく揺れるらしいのだが、特急に限らず普通列車に乗ると、そもそも列車とかの作りからして何もかも違うのではないか、なんて勘ぐってしまう。

「そうだな」

 俺が秋に同意すると、秋は小さく言った。

「聞いてたんだ」

 どうやら秋にとってはさっきの言葉は自分の意見を言っただけであって、同意を求めていたわけではなかったらしい。例えば、俺が朝ヒーターをつけたように、自分のために放った自己完結なものだったらしい。秋は大きく欠伸をした。何度かまばたきをした後、彼女は車窓から外の景色を眺める。

 俺はスマホを起動させ、なんとなく小説サイトを開けた。これまたなんとなく、目に入った小説をタップする。表示されたタイトルは、最近の流行を抑えたような長文で、ジャンルは異世界系だった。食わず嫌いしていたジャンルだったが、暇つぶしには丁度良さそうだった。

 一話からゆっくりと読み進めていく。内容的には異世界に転生した少年が、前世の事を悔い改めながら、異世界で生きていく、というストーリーだった。日常パートはしっかりしつつ、盛り上げるところはしっかりと抑えていて、いつの間にか物語に入り込んでいた。キリの良いところまで読み終わり、顔をスマホから離す。読んでいる間にまた一つ、県を跨いでいた。

 隣では窓に頭を預けるようにして、秋が眠っていた。俺は、目頭をもみながら欠伸をする。これ以上触ると充電が無くなりそうだったのでスマホの電源を落とした。充電器は家に置いてきてしまったし、秋が持っていたとしても端子が違う。ため息を落としながら目をつぶる。特に眠気は襲ってこない。視界を遮ったことで感じなかった振動や、音が、鮮明に伝わってくるようだった。ついでに、隣から小さく聞こえた寝言も、気のせいだと思っておこう。きっと、そうだ。秋の口からあんな言葉が出るはずがない。

「はあ……」

 ため息とは違う何かが出た。音的には同じでも、何かが決定的に違う、そんなものだ。

 少ししてアナウンスが車内に響いた。俺達が降りる駅はもうすぐそばまで来ていた。

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