第215話 精一杯

 動きを止められた北岡、一ノ瀬は無理に押し倒す事をせず、自身の空いた左腕で北岡の顔面を殴りつける。


 利き腕でもなく、体重も乗せられない手打ちの打撃、北岡は右腕でガードを出来ずもろに食らってしまう。


 (あの体勢なら、肘で終らせれるんだがな)


 秦王は頭の中で、一ノ瀬の詰めの甘さを感じるが、それは対した問題では無いとも思った。


 手打ちの左パンチを何度も何度も打ちつける一ノ瀬、ヘビー級の打撃、幾ら威力は弱くても何度も当てられると深刻なダメージになるのは、容易に想像できるし、それ以上に『心を折る』効果もあった。



 「あの状況じゃ打つ手なしか」

 石森は、櫂に聞く。

 「片腕の北岡にはちょっと厳しいかもな、身体が密着し過ぎて打撃を活かせる距離じゃない、お前の様に『零距離打撃』が出来るなら別だが、空手屋はどうする」


 武田は、即答で答える。

 「右腕が使えないなら、頭突きか、裏なら噛みつきもするだろうが、北岡がこの状況でその選択肢が出るかどうか」


 戦っている時に、劣勢時に自分の普段使う技、持っている武器以外を思いついて使う事は難しい、手はあるが、それを北岡が運用出来るかといった感じであった。


 打撃は何度も何度も北岡の頭を打ちつける。

 拘束し、殴り続ける、その光景は、悲惨で残酷に観客に映る、試合に時間制限はない、一ノ瀬はそのまま殴り続ける。


 北岡の視線は、観客の哀れみのような表情を捉えた、幼い頃からぶつけられた表情、片腕がなく可哀想と言ったあの表情だ。


 腕さえあれば、北岡の心が少しずつ、負ける言い訳を心に作っていた。


 (このまま、惨めに殴られ続けるくらいなら)


 そう思った瞬間。



 「兵衛ーーー兵衛ー」


 観客席から、声援というより怒号のような叫びが聞こえる。

 その声の主に思わず観客の何人かはそこに注目する、声の主は、北岡の親友の浦賀であった。


 クラッチ型の杖を両手で掴み、立ち上がる浦賀は、周りの目を気にせず、大声で北岡に声をかける。

 「諦めるなーー、まだ、まだ、戦えるぞー」


 涙と汗が流しながらも浦賀は全身で応援する、浦賀は幼い頃、北岡と初めてあった時を思いださずにいられなかった。



 両手で杖を使いおぼつかない足取りの通学路をある浦賀、人通り少なくは学生しかいない、ガラの悪い何名かの集団が、浦賀の身体をからかうような態度を取りながら、空き缶をぶつけた。


 浦賀は何も言えず、俯く。

 その一人は、わざと後ろから突き飛ばし、松葉杖を奪い、遠くに投げる。


 何故こんな仕打ちを受けなければならないのかと、悔しい気持ちで地面を見つめる。


 地面を見ながら時間が過ぎるのを待つ、笑い声が自分の自尊心を壊していくのがわかる、涙が目から溢れるのを堪える。


「杖を取ってきて彼に謝れ」


 笑い声をかき消すよく通る声、その声の主は、北岡だった。

 

 男達は、北岡の身体を見て一瞬だけ、驚きを見せるが、身体に障がいをある人をからかう彼等は、北岡にも容赦はしなかった。


 「なんだ、お前、腕も無いくせに偉そうに」


 一人が北岡の襟を掴んで威嚇する、瞬間、北岡は左の拳を顔面にお見舞いする。

 顔を抑え後退りをする男を、北岡は蹴りを入れて倒す。

 

 残った男達は、北岡に向かっていく、浦賀は彼がボコボコにされる事を想像したが、そんな事は、無かった片腕であっても、蹴りや左腕で彼を相手に互角以上に渡り、倒していく。


 浦賀は、そんな彼が輝いてみえた。


 だが、次の瞬間、北岡は背後から組みつかれ倒されてしまう。

 男は、馬乗りになり、北岡に殴りかかる、北岡は左腕がガードをするが、男は問答無用に顔面に拳をぶつけていく。


 「片腕が調子乗ってんじゃねぇ」


 男は、怒にまかせ北岡を殴りつけ、北岡はただ殴りつけられている。

 浦賀は、その光景を見ながら、心の中から怒りがマグマの様に溢れるのを感じた。


 何故、こんな仕打ちをされなければいけないのか

 何故、助けに来てくれた彼が、なんな風に殴られなければならないのか。


 その怒りは、固まっていた浦賀の身体を、動かした、馬乗りになっていた男に向かい、おぼつかない足取りだが、体当たりを行う。

 

 男はバランスを崩し、北岡の上から離れ、反対に浦賀が男の上に馬乗りになる。


 「馬鹿にして」


 浦賀は、怒りを拳に乗せ男の顔を何度も、殴りつける。

 何度も、何度も。



 「こっちです、早く来てください」

 遅くなりながらも、女生徒が、大人を連れてきた。

 女生徒は、北岡と不良の集団のイザコザを見て、助けを呼んできたのだ。


 大人の介入に、場が収まる。

 不良達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ、北岡と浦賀は安全を確保された。


 浦賀は北岡に礼を伝え、それから二人は親友のようにお互いを応援するようになる。



 浦賀は、今の光景があの時と被り、心の中から熱い物が溢れるのを感じた。

 あの時は、身体を張って止めることが出来た、だが、今は声援を送るしかないもどかしさも感じながら、浦賀は自分ができる精一杯をするしかなかった。




 

 

 

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